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ベッテ(2)
エルサラの繁華街までは、ステファンの城から一番近い村まで行くのとそう変わらない距離だった。歩いていくこともできそうだったけれど、何かあった時にサッと逃げられるから、馬はいたほうがいいのだとアマンダが言った。馬車を断ったのも動きやすさを重視してのことらしい。
「軽く走るから、しっかり捕まっててね」
練習も兼ねて、アマンダが軽く|駈歩《かけあし》で馬を走らせる。フランは思わず悲鳴を上げてアマンダにしがみついた。いざと言う時にはこの倍以上の速さで走るのだと教えられて、何もありませんようにと祈る。
レムナの街も大きかったけれど、エルサラの中心地はさすがに王都というか、別格の規模と賑わいだった。レムナで一番大きかったセントルベッグ通りと同じくらいの通りが、何本も並行して走っている。
そのうちの一つノルベッグ通りを馬に乗って進み、『スターナ・バーシュ』という看板を掲げた大きな宿屋の角を曲がって脇の通りに入る。宿屋の裏手に回りこんで、アマンダとフランは馬を下りた。
「この国にはね、大きく分けて四種類の人がいるの。腐敗した組織で不正を繰り返しながら甘い汁を吸う人、それを知っていて知らんぷりを決め込む人、それを正そうとして戦う人、そして、不正によって被害を受けていながら、何が起きているのか全く気づいていない人」
国を動かしているのは一番目と二番目の人で、国の大半は四番目の人だとアマンダは言った。四番目の人たちは何も気づいていないから、争いごとを起こすこともない。一見すると世の中は平和。
「四番目の人たちは、自分たちが何を奪われているかも知らないし、声を上げることもない」
けれど、格差と搾取はどんどん広がっている。苦しい立場に立たされた人は抜け出す方法を失っている。そんな人が増えることが、国にとっていいことだとは思えないと静かに続けた。
「都市部の使用人たちの中には、雇用契約の内容もわからないまま奴隷のように働かされている人が大勢いるし、農村部では税の取り立てに不正があっても気づかないし、何も言えない。どんなに働いても、どんなに収穫しても、食べるのがやっとっていう状況の人がたくさんいるし、増えているの」
フランも……、と呟かれて顔を上げた。
「フランも、以前は辛い思いをしてきたって、聞いたわ」
「僕……」
ステファンの城で暮らすようになる前、マットソンの屋敷での日々を思い出して、フランはうつむいた。明日は何か食べさせてもらえるだろうかと、そんなことだけ考えて生きていた。朝、目を覚ますと、今日は叩かれませんように、食事を抜かれませんようにと、それだけを願って一日の労働に取り掛かった。お腹が空いて力が出なくても、動いていないと叩かれる。文字も知らず、学ぶことも知らず、考えることも知らなかった。
フランはオメガだから、余計に辛く当たられたのかもしれない。けれど……。
(だけど……。この国には……)
ベッテや他の使用人も、いつも休みなく働いていた。少しの食事で毎日の厳しい労働に耐えていた。
「この国には……、僕と同じような人が、たくさんいるの……?」
「ええ」
ステファンが言っていたことが、フランにもだんだんわかり始めていた。オメガを貶めることで人々の不満の目をごまかさなければならないくらい、苦しい立場で生きている人は多いのだ。
そこから抜け出せないのは、『そのほうが都合のいい人間がいるから』。本当のことを教えないほうが、搾取する側には都合がいいから。
(教育……)
ステファンが言っていた大事なことの一つ。
フランが考え込んでいると、アマンダが「私たちは、三番目の仲間」と囁くように呟いた。
宿屋の裏手にある黒い扉に手をかけて、フランを振り向く。紺碧の瞳がキラリと光った。
「私の仲間を紹介するわ」
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