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英国紳士の恋の作法(2)

 ハイド・パークの並木はすべて葉を落とし、昼を過ぎればあっという間に陽が落ちる季節になった。人々はみな厚い外套に身を包み、冷え切った石畳を足早に通り過ぎる。それでもクリスマスシーズンの入口が間近ということもあり、待ちきれない人々の期待に応えるように、街並みは日に日に華やかさを増しつつある。  ザ・ジャロルズでも、玄関ホールに飾る巨大なクリスマスツリーの飾りつけの準備に余念がない。何ヵ月も前からデザイナーと話し合いを重ね、ようやくテーマと意匠(デザイン)が決まったロンドンでも評判の名物ツリーは、もうすぐその舞台にやって来る。  誰もがそわそわと落ち着かないこの時期。  ここしばらく、昼を過ぎると、ザ・ジャロルズの四〇一号室は賑やかだ。 「流石にこれからの季節、外で食事を取るのは寒いからな」  そう(うそぶ)いて四〇一号室を占拠し続けているジェイムズとの約束で、昼休みになるとレジナルドは手籠(バスケット)の代わりにワゴンを押して、四〇一号室をノックする。応えを待って、礼儀正しく声を掛けてから扉を開ける。  この部屋に居座って以来、ジェイムズは鍵を掛けたことがない。いつでもレジナルドが入れるようにというのがその理由で、こめかみを押さえながら施錠の必要性をこんこんと説いてやったが、一向に効き目がない。おかげでこの部屋は今、一種の無法地帯だ。 「やあ監督生(プリフェクト)、毎日ご苦労だね」 「お邪魔しております、マーシャル様。お勤めご苦労様でございます」  にこやかに迎えられて、思わず頬がゆるむ。 「やあ、二人とも。今日は絶好の散歩日和だね、帰りにハイド・パークを散策してはどうだい?」  シェリングフォード家の主従は、最近毎日のようにこの部屋を訪れる――しかも昼時に。  エリオットは毎回手製の弁当を持参してくる。ジェイムズのサンドウィッチも美味だが、エリオットの心尽くしの品々は味も見映えもはるかに良く、下手をすればザ・ジャロルズの料理長も顔負けの出来だった。一口味わい、趣味は料理だという彼の幅広い有能さに感心し賞賛の声を惜しまないレジナルドを、横目で見ながらエリオットを睨む、という常人には不可能な芸当をジェイムズがやってのけたことを、レジナルドだけが知らない。  かつて手籠の中に収まっていた食器の数は、ワゴンの上で倍になった。仕事の合間を縫ってレジナルドが訪れる可能性に賭けて施錠を拒否し続けているジェイムズは、思わぬ結果に、苦虫を噛み潰したような顔で二人の愛の時間を邪魔する闖入者を睨みつけている。  手際良く珈琲を注ぎ、グラスと小皿と銀器類を回し、持ち寄った昼食を大皿に並べて、賑やかな会食が始まった。 「エリィ、このチキンの味、本当に素晴らしいよ」 「ありがとうございます。マーシャル様の珈琲も、いつもながら大変美味でございます」 「この揚げ魚(フィッシュ)も試してみたまえ、監督生。エリオットが見つけた店で買ってきたんだが、これがなかなかなんだ」 「ありがとう、アルバート。ーーうん、衣がサクサクで新鮮な油で揚げていてとてもいいね。揚げ芋(チップス)も美味いよ」  エリオットは『友人』であるレジナルドに会いに来て、一緒に昼食を取っている。  そう無理矢理納得させて、四人での昼食は実現した。それでもエリオットの口調が、『友人』のそれに変わることはない。主人に同行している『従僕(ヴァレット)』のエリオットにとって、この状況は苦痛に感じられることだろう。しかし、おそらくレジナルドの逃げ場となるために、エリオットは座に加わることを了承してくれたのだ。  アルバートも何くれとレジナルドに声を掛けかまってくるのは、従僕か悪友から何か聞いて、気を遣っているのかもしれない。と、レジナルドは友情のありがたさをひっそりと噛み締めていたのだが、後から始まった悪友の本気の恋が、自分の先を行っているらしいことをアルバートが敏感に察知し、悔し紛れにジェイムズの邪魔しているというのがその真相だということを、レジナルドとエリオットは知らない。 「アルバート、私の伴侶に馴れ馴れしくするのは控えろ」  悪友の悪意溢れるレジナルドへの執心ぶりに、それまで黙っていたジェイムズが乱暴に言い放った。 「そういう物言い、わたしは好かないよ、ジェイムズ」 「――と、監督生が仰せだ」 「愛する者を愛称で呼ぶことすらできない腰抜けは黙っていろ」 「何だと…?」  図星を突かれ、いきり立ったアルバートも臨戦態勢に突入する。緊迫する二人の間に割り込んだのは、あくまで冷静な従僕の至って呑気な一言だった。 「マーシャル様、恐れ入りますが珈琲をもう一杯いただいても?」 「もちろんだよ、エリィ。気がつかなくてすまなかった。ところで今度の休みだけれど」 「ええ、以前のお打ち合わせ通り、キュー・ガーデンに参りましょう。腕によりを掛けて弁当を用意いたしますよ」 「そうかい?それは楽しみだ。でも、たまには外で食べるのもいいんじゃないか?折角の休みなのに君の負担になっては悪いし」 「いえ、是非マーシャル様に召し上がっていただきたいのです。ですから、もしよろしければ」 「もちろんわたしはクランブルを焼いていくよ」  にっこり微笑み合う二人の間には、季節は初冬だというのに春のお花畑が出現している。ほんわかと温かい光景なのに、何故か入れない――最強の障壁(バリア)が張られているように感じるのは何故だろう。  監督生と猛獣使いの二重防御に、さしもの悪童二人も手が出せない。 「――レジィ、休みの日は私とデートだと」 「エリィは先約だし、休みの日には私にも色々と片付けたい用事があるんだよ」 「…エリオット、キュー・ガーデンでもどこでも、行きたければ私が連れて行ってやるのに」 「恐れ入りますが御主人様。休日を友人と過ごすのは、従僕の職分に反することではないと存じます」  果敢に仕掛け無残に迎撃、撃沈された二人は、愛する者が自分を放って楽しいピクニックの計画を立てるのを黙って見守るしかなかった。  ――自分が、あの曇りのない明るい笑顔と共にピクニックに行く日は、一体いつ訪れるのか。  悪童二人のため息は深い。 「…忌々しいが」  気を殺がれたジェイムズが、向かいに座るアルバートに憮然としたまま声を掛ける。 「先人の言葉は時として残酷なまでに正しい」 「…ああ」  長い付き合いの悪友同士、すぐにジェイムズの言わんとすることを察したらしい。アルバートは重々しい調子で頷き、続く言葉は寸分違わず、ジェイムズのそれに重なった。 「真の恋の道は、茨の道である」

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