121 / 121

約束のくちづけ④

 目を開けると、頬を冷たい何かが流れ落ちていった。  いつの間にか、鈴真は朔月の私室のベッドに寝かされていた。昨夜、びしょ濡れになったふたりの手で散々汚されたシーツは新しいものに取り替えられ、枕からは日向の匂いがする。  横を見ると、朔月が床に座った状態でベッドに顔を伏せ、どうやら眠っているらしい。その手は鈴真の手を握りしめていた。 「……朔月」  名前を呼んで身体を起こす。朔月は伏せていた顔を上げて眠そうに瞬きをし、鈴真を見た。途端に心配そうに手を伸ばして、鈴真の濡れた頬を撫でる。 「怖い夢でも見たの?」  鈴真は違うよ、と返答して首を振った。そして、ずっと気になっていたことを聞いてみる。 「朔月、なんで僕を鈴って呼ぶんだ?」  今さっき見た夢のことを話そうかと思ったが、やめた。朔月は知っている気がしたからだ。 「君がそう呼ぶように言ったんだよ」  朔月は当たり前のことみたいに言って、くすりといたずらっぽく笑う。  その時、ドアが軽くノックされ、冬音が外から声をかけてきた。 「お愉しみのとこわりぃけど、そろそろ下校時刻だぞ」 「わかってるよ。先に帰ってて」  朔月がドアに向かって言うと、へいへい、と呟く声とともに気配が去っていった。  朔月が身動ぎしたのでてっきり帰るのかと思ったら、彼はなぜかベッドのそばに恭しく膝をつき、鈴真の手をとってそっと口付けた。 「朔月……?」  朔月にこんなことをされたのは初めてだった。自分が主人なのに、朔月はまるで鈴真の従者みたいにこちらを見上げてきて、握った手を宝物のように優しく撫でる。 「僕の世界は鈴が全てだった。鈴が僕を救ってくれたから、今こうして生きていられるんだ。だから、僕の命は鈴に捧げる。君を幸せにするために生きる。昔も今も、ずっと君は僕の主人で、立場が変わっても僕は君に逆らえない」  朔月の声も瞳も表情も、手を握る指先も、全てが優しく温かい。  窓から射し込む夕陽が照らしだした彼の姿を、鈴真は生涯忘れないだろう。 「……ずっとこう言いたかった。鈴真さま、僕は貴方を愛しています」  遠い日のふたりが、手を繋いで微笑み合う姿が浮かんだ。沢山傷つけ合って、ようやくこの場所まで辿り着いた。あの日々があったから、こうしてふたりで笑い合えるのだと、今は思える。 「じゃあ……僕の命令、聞いてくれる?」  そう言って、鈴真は朔月にだけ聞こえるように囁いた。  ふたりだけの約束を。 fin

ともだちにシェアしよう!