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第5話

 やっぱり……嫌な予感がしたんだ。  タワーマンションの高層階に住む住人。  呼び鈴を押して出てきたいかにもアルファな男を見て、僕はげんなりした。  仕事は続けられない。 「家事代行の桜坂です」 「よろしく。神保冬馬だ」 「神保様、では各お部屋のお掃除と食事のストックをご用意させていただきます」 「ああ」  何か言いたそうなアルファの男を押しのけて、僕は仕事に取り掛かった。  家事代行は今日だけ。上司が掛け合った結果によっては、僕は退職をしよう。オメガが安心して働ける場所は少ないけど……危険な場所では働きたくない。  一通りの掃除を終えて、僕は居間に戻ってくると家の主は、ソファに座ってパソコンを打っていた。 「神保様、あとはお料理だけになりましたので、買い物に行ってきます。何か食べたいものはございますか?」 「……わざとか?」 「なにが、ですか?」 「顔は知らなくても、俺の名前は知っているはずだ。顔色一つ変えずに、よく仕事ができるな」 「仕事ですから。名前を知っているはずって……ああ、マッチングの……。すみません。僕は、書類を数行だけ読んで捨てました。名前は見ていません。弁護士の名刺もいただきましたが、それも捨てました」 「捨てた?」 「はい。要らないモノなので」  下手にとっておいて、気持ちが揺らぐを阻止したかった。僕のような人間には番は必要ない。  パソコンを打っている手を止めると、眉間に皺を寄せて顔をあげた。ひどく傷ついたような表情をしているように見えた。  なんで……そんな顔をするの?  あなたにはたくさんの候補者がいるはずだ。僕一人に固執する必要はない。  アルファには、オメガと違って選ぶ権利がある。たった一人のちっぽけな男に振られたからって、これから先の人生になんの影響も及ばない。 「なぜ俺を拒絶する」 「あなただから断っているわけではありません。あなたが希望とするオメガの役割を僕が果たせないとわかっているから、お断りしています。こんなことに時間をかける必要はないでしょう? 僕以外にも候補者は病院からもらってますよね? その方とお見合いして、番になるなり、結婚するなりしたほうがよっぽども効率的です」 「なぜ?」 「……だから!」  僕が声を荒げて、アルファの顔を睨む。  今までの人生できっと、彼は誰かに拒絶された経験などなかったのだろう。今にも泣きだしそうな顔をして、僕を見つめていた。  望んだ未来は全て手にしてきた人なんだ。挫折もなく、大人になった。  僕と違って……どうにもならない人生のどん底を知らないただのお坊ちゃまなんだ。  なのに、どうしてだろう。  彼の表情は僕を困惑させる。どうでもいい人間なはずなのに、彼の傷つく顔を見ると胸が締め付けられるように痛い。 「なんで、そんな顔をして」  動揺した。  僕の人生のなかで関わってきたアルファにはなかった表情だ。 「理由を知りたい」 「話したら、諦めてくれますか?」 「……わからない。ただ弁護士を通して無理やりどうこうはしないと誓う」 「理由知ったら……きっと他のオメガを探す、よ」  絶対に、ね。  僕は掃除で服が汚れないようにつけていたエプロンを外すと、小さく息を吐いた。  神保冬馬は、膝に乗せていたパソコンをテーブルに置くと、僕にソファに座るように言ってくれる。彼の言葉に甘えて、一人掛け用のソファに座った。 「病院のマッチングを希望したってことは、神保さんは優秀な子どもがほしいんですよね? きっと働いている会社も大企業なんでしょ?」 「ああ。否定はしない」 「あなたが優秀な子どもを望む限り、僕はその希望に応えられない。オメガとしての最大の利点、子孫を残す機能が欠落してる。僕にはあなたの夢を叶えられない」 「マッチングの書類に表記されていなかった」 「だろうね。傷付けた本人たちが訴えられうのが怖くて、もみ消してさらには僕には内緒でマッチングに登録して、誰かの番にしてしまおうって思ってるだろうから」 「……は?」  きっと彼は、真面目なアルファなんだろう。裏の世界を知らない。  僕はシャツの袖を捲って腕に今も残っている注射針の痕と、手首に残っている痣の痕を見せた。 「僕はずっとアルファの玩具だったんだよ。両親が最低な奴らで……僕がアルファに身体を売ることで金を稼いでた。薬を打たれ、無理やり発情状態にされて犯された。誰の子かわからない男の子どもを妊娠した。可能性の高い男たちの中に産科医がいて、堕胎手術をした。失敗して傷を付けられて、妊娠しにくい身体にされたあげくに、腹を切った傷痕のある男はもう売れないから、と僕は無一文で放り出された。そして今の僕がある」  思い出したくない過去だ。あれから四年……どうにか生きてる。  罪滅ぼしなのか。自分たちのした過去を隠したいのか。  名のあるアルファたちが、金にモノを言わせて本人の意思を無視してマッチング登録したのだろう。  手紙が届くまでは、僕は登録されていたなんて知らなかった。 「こんな酷い過去、あなたは背負いたくないでしょう? マッチングで簡単に番を見つけようとしたお坊ちゃまには、荷が重すぎる。僕はもう、誰とも関係を持ちたくない」  傷ついた僕の身体には、もう価値はない。  仕事はする。でも番は僕以外の人を探して、と神保冬馬に伝えると彼の次の言葉を待たずに買い物に出かけた。  過去の話を聞いた彼が、僕を否定する言葉を聞きたくなかったから。怖かった。  たぶん、最初に誓った通り……今日限りにすれば良かったんだと思う。  続けてほしいという神保冬馬から、お願いされたと聞いたときは僕の全てを知っていて雇ってくれた彼に感謝と喜びを感じた。  でもアルファの彼に会いたくなくて、出社して家をあけている間に僕が仕事をして帰る契約を結んだ。

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