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第6話
なんとか周囲の人を振り払って、郎 主任は上司を追って会場の外に出た。
キョロキョロと見回すが、加瀬 部長の姿は見えない。
ふと気付くと、ホールの奥の方に、ホテル自慢の庭園へとつながる出入り口が解放されていた。
もしかしたらと、郎威軍 はそこから庭園へと出た。
常春 の国と言われる年間の気温がほぼ一定の貴陽 の今宵は満月で、夜風も心地よかった。
外へ出ると庭園へ続く回廊があり、その先に階段が見えた。そこを降りて、広い庭園へ上司を探しに行こうとした時だった。
誰かがその階段を上がって来る。
雰囲気を出すためか照明は薄暗く、それが誰かは郎威軍には最初は分からなかった。
「Watch your step.(足元に気を付けて)」
その声に、威軍はハッとして足を止めた。この声は、間違いなく声優部長と綽名される、加瀬志津真 の声だった。
そして、加瀬部長の隣には若く美しい女性が居て、彼女の右手はしっかりと加瀬部長の左腕に絡められていた。
腕を組み、一歩一歩近づいて来る2人を見せつけられ、郎威軍はこれまで感じたことがないほど胸が締め付けられるのを感じた。2人の姿は、まるで恋人同士だ。もしくはそれ以上、バージンロードを歩く新郎新婦のようにさえ見える。
何も考えられなくなった郎威軍は、それでも表面的にはいつものように沈着冷静な無表情で佇んでいた。だが内心、自分自身がこんなに動揺し、これほど胸が苦しくなるとは思わずにいた威軍だった。
「帰るぞ…」
けれど、擦れ違いざまに、加瀬が郎威軍の耳元にさらりと、それでいて誘うように濃艶に呟いた。感じたことも無いジェラシーに胸を痛めていた威軍を、まるで見越していたようだった。
「!」
帰る…。
それは、他の誰でもなく、威軍との2人の場所に帰ると言う意味だった。
聡明な郎威軍はすぐにそれを察し、先ほどまでの痛みから立ち直り、あとを追うようにしてホテルのロビーに戻った。
部長の手を煩 わせることの無いように、クロークに預けてあった荷物を手早く受け取り、ホテルの前にタクシーが停まっていることも確認した。
しばらくして部長がホテルの玄関にやって来ると、部下の手によって全てが調 えられていた。
部長は満足し、待ちきれない様子の恋人にも満足だった。
「先ほどの女性はよろしいのですか?」
タクシーに乗って行き先を告げてから、部下は上司に訊ねた。そのわざとらしさに笑いが込み上げる加瀬部長だったが、澄ました顔で応じた。
「庭を歩いてたら、靴のヒールが折れたって困ってたんで、手を貸しただけや」
腕を取ってホテルに戻るまでに、彼女の部屋に誘われたことは、上司としてだけでなく、恋人としても威軍に告げるつもりは無かった。
志津真自身、彼女の誘惑に乗って部屋に行くつもりなど微塵も無かった上に、いたずらに威軍を悩ませるようなことはしたくなかったからだ。
タクシーが2人の宿泊するホテルに到着し、アプリで支払いを済ませると、ドアボーイがタクシーのドアを開けた。
志津真の愛想の良さが効果的だったのか、それとも威軍の美貌のせいなのか、2人はホテルに到着後すぐに多くのホテルスタッフに顔を覚えられ、親愛の込められた笑顔で迎えられることが多かった。
「Good Night!」
ボーイだけでなく、フロントスタッフからも声を掛けられ、部長はビジネス用の笑顔で会釈をし、エレベータホールに向かった。
エレベータの中で2人きりになると、思い出したように威軍が口を開いた。
「どうして急に出て行ったんですか?」
まるで自分を置き去りにしたことを拗ねるように、視線も合わせずに威軍が言った。
「なんでかな~?」
気の無い口調で志津真が答えるが、もちろん威軍は納得がいかない。
「私は、怒ってたんです」
俯いていた威軍が、顔を上げ、しっかりと志津真の目を見詰めて告発した。
「え?」
「貴方は次々と人を魅了して、私なんて眼中に無かった」
不満げな恋人の言い分に思い当たる節がない部長は、不思議そうに威軍の美貌を覗き込んだ。
「漢方薬を研究している人は、みんなイイ人だ、なんて。そんなわけないじゃないですか」
ようやく威軍が言わんとすることに気付いた志津真は、ニヤリとして威軍を避けるように背を向けた。
「けど、ホンマに感じのエエ人ばっかりやったやん」
満足げに志津真は言って、フロアに到着しエレベータのドアが開くと同時に足を踏み出した。
「貴方が魅了してしまうんです。その声や、笑顔や、人柄で。貴方と話した人間は、みんな貴方が好きになってしまうんです」
取り残されそうになった威軍は、言い訳がましくエレベータの中で1人呟いて、閉まりかけたドアから素早く飛び出した。
志津真はすでに部屋の前に居て、カードキーをドアにかざしていた。
ピッと音がして赤いランプが青になると、志津真はドアノブを握ったまま、廊下を振り返り威軍を待った。
2人揃って部屋に入るなり、威軍が素早くドアを閉め、鍵を掛けた。
「置いていくなんて…」
恨めしそうにそう言って、威軍はいきなり両手を志津真の首に回してすがった。
「貴方は、私の、私だけのものなのに。貴方が魅力的過ぎるから、みんな貴方に惹き付けられてしまう」
「お前やあるまいし、俺なんて誰も…」
笑いながら言い訳しようとした志津真の唇を、威軍は強引に塞いだ。そして、思うままに貪る。それが、一途で、必死過ぎて志津真の気持ちを動かした。
「貴方が裏切るなんて思ってはいませんが、誰かが貴方を好きになることが、私はイヤなんです」
ようやく気が済んだのか、口づけを終え、威軍はギュッと志津真にしがみ付いた。
「それって嫉妬なん?俺のこと、好き過ぎて?」
からかうように言う志津真が、威軍にはもどかしい。こんなに本気で苦しいと思っているのに、それを笑って受け止めようとしているのが悔しかった。
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