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第15話「感謝」

 ガブリエルに胸の内を話して安心したのだろうか。ダヴィッドはしばらくの間、穏やかに暮らしていた。だが、それも長くは持たない。モリスの回復を待つうちに、禁断症状が出る。床の上には丸めた紙がいくつも転がり、一睡もせず机に向かっても集中できず、ただ手が震えるだけの状態が続く。  ノックの音がして、モリスが入ってきた。松葉杖を壁に立てかけ、チェストに座る。 「ダヴィッド様、どうぞ」  ガトーが自らフルシェットの前に身を差し出す。ダヴィッドの方に手を伸ばし、血を飲めと合図する。誘惑に負けてダヴィッドは指先に牙を当て、血をすする。飢えて渇いた体は、甘い汁を求める。だが、それ以上飲むとモリスがまた貧血を起こしてしまう。  ダヴィッドはモリスの脇に腕を差して腰を持ち上げ、ズボンと下着を脱がせた。チェストの前でひざまずき、まだ硬くないそこを口に含む。やがてあふれ出す蜜を待ちきれずに、牙を立てて血を飲んでしまいそうになるが、必死にその欲望と戦い、褒美の甘露を待つ。 「…ダヴィッド様…私の中に…来てください」 「ああ。ここでいいか? ベッドまで待ちきれない」  恥ずかしそうにうなずくモリスを冷たい床に横たえた。モリスが右膝を立てる。うまく動かない左脚を、ダヴィッドが膝の裏に手を入れて持ち上げる。白桃のような尻の間から、果肉を思わせる赤の秘門が現れた。ダヴィッドがそこに指を刺し入れた。甘く熟した果実を、指先で味わう。 「あっ…あっ、ダヴィッド様…!」 「そうして私の名を…何度も呼んでくれ」  いつ、その声が聞けなくなるかわからない。そして声が聞けなくなった後、ダヴィッドは死を覚悟している。魂も何も残らない、無になるのだ。だから何度でも、モリスに呼んでほしい。 「ダヴィッド様…毎日何度でも…んっ」  指とは違う感触に、モリスの頬が赤く染まって鳶色の瞳が潤む。モリスの中に入ったダヴィッドは、ゆっくりと腰を動かし始めた。じっくり、長い時間をかけて味わいたい。だが貪欲な体は、甘い果実を夢中でむさぼる。ダヴィッドの腰の動きが徐々に早くなる。  硬く勃ちあがったモリスの先端に、ダヴィッドの指が触れる。待ちかねた蜜がそこにある。  抽送を繰り返しながら、モリスのシャツのボタンを外し、前を広げた。胸の辺りや脇腹に傷跡がある。モリスの美しかった真珠色の肌を、醜く紫色に染めている。ダヴィッドは胸の傷跡に舌を這わせた。子猫を慈しむ母猫のように。 「んっ…」 「お前はどこを愛撫しても感じてくれるんだな」  喉を鳴らして低く笑い、ダヴィッドは愉快そうにモリスをからかう。 「ダヴィッド様が触れてくださるから…あ」  からかうと、モリスは恥ずかしそうに頬を赤く染める。そんなモリスが愛しい。それに血が通っている様子を見て、ダヴィッドは安心するのだ。 「可愛いな、お前は」  ダヴィッドがキスをする。甘い唾液がダヴィッドの舌に送られる。 「くっ…!」  激しく腰を打ちつけ、ダヴィッドは果てた。自身を引き抜くと、今度は屹立したままのモリスにしゃぶりつく。あふれた蜜は茎を濡らし、その下の薄い茂みまで濡らしていた。一滴たりとも無駄にはしたくなくて、ダヴィッドは茂みまで舐め回す。 「いや、そんな所…は、恥ずかし――」 「この味が好きなんだ。お前から出たものは、一滴も残さず飲み干したい」  周囲をすべて舐めた後、ダヴィッドは先端を舐め、口に含んだ。弾力がある先端は舌で押した感触が気持ちよく、刺激を与えるたびに蜜があふれてダヴィッドを満足させる。 「ダヴィッド…様…もう…」  ダヴィッドの望んでいた、もっと甘いミルクが出る。言葉を発する余裕がなくなったモリスは、銀色の髪を撫でた。勢いよくあふれたミルクは、一滴残さずダヴィッドの喉に流れこむ。  飲み干した後は、何度も髪を撫でてくれた指にキスをする。そこには先ほどつけた傷がある。甘いザクロの香り。ダヴィッドはまた、牙を立ててしまった。ザクロのシロップを指先から喉に流す。  つい夢中になってしまった。ダヴィッドがモリスの手を離すと、冷たい床にポトリと落ちた。顔を見ると、あの頬を赤らめて恥ずかしがっていたときとはまるで違い、青ざめていた。  ダヴィッドは細い両肩をつかみ、小刻みに揺さぶる。 「モリス! 返事をしろ、モリス!」  あれから何度、冬が過ぎただろうか。庭の作物は収穫数が減り、花も蕾をつけるものの開かず枯れてしまうものもある。ハーブの芳香は以前より減り、セイヨウミザクラの木の根元には茸が、花壇には雑草が生えてしまっている。  日が沈んでから、ダヴィッドは真っ白なマーガレットを何本か摘んだ。さくらんぼも数は少なく色も悪く、実も小さいが、摘んでおいた。さくらんぼを井戸水で洗い、テラスから屋敷に入った。階段を上り、モリスの寝室に入る。 「モリス、最近は小説を書くために新聞や雑誌に目を通すことがあるが、世界はきな臭くなってきているようだ。この国も穏やかじゃない」  ダヴィッドは花瓶にマーガレットを生ける。 「しかし、この国は元気だ。女性の流行ははなはだしく変わる。昔は広間がさぞ狭く感じただろう、クリノリンのドレスはなりをひそめ、今ではバッスルスタイルが流行だ」  あれも場所を取りそうだ、と笑いながらさくらんぼを手に、ベッドに腰かける。 「兄に聞いたが、我々一族も芸術の分野が幅広くなったらしい。モダンバレエや写真家、というのもいるそうだ。映画を手掛けた親戚もいたんだが、サラ・ベルナールの記録映画に話題を持っていかれたらしい」  ガブリエルを始め、ビーンスタック家は全員隠居生活に入っている。人前に出ないダヴィッドは相変わらず小説を書いているが、今ではタイプライターを使っている。小説を書き上げると、帽子や手袋、外套などで全身を覆い、村に出かける。村の郵便局から、原稿を出版社に郵送する。原稿料は出版社から郵送されてくる。モリスの左足は壊死してしまい、切断してしまったため、出版社への使いができなくなったのだ。  右手も麻痺してろくに動かないため、モリスの左手にさくらんぼを乗せ、ダヴィッドは微笑む。 「パリの街はすっかり変わったぞ。二人で深夜にエッフェル塔を見に行ったのは、何年前になるかな…。もう時代は二十世紀だ、変わるのも当然だな。ビーンスタック家はまた、時代について行かなくてはならないな」  他人事のように言うダヴィッドは、流行を追う必要も、時代について行く必要もない。もはや、あと何年も生きるつもりではないのだ。  弱々しく、シワに覆われた左手が持ち上がる。モリスは顔中をシワだらけにして、できの悪いさくらんぼに苦笑する。 「ダヴィッド様」  かすれた低い声が、主を呼ぶ。 「私が死ねば、新たなガトーを迎えてください…。できれば、庭仕事が得意なお若い方を」  ダヴィッドはモリスの上に覆いかぶさるようにして頬を重ね、白くなった髪を撫でる。 「モリス…私はお前以外のガトーはいらない。例え村じゅうがガトーであふれていようと、ほかの誰の血もいらない」 「ダヴィッド様は生きてください…。あなたはいつまでもお若いから、また新しい恋に出会えます」 「昔、私が話していたのを覚えているか? お前が生きている間は、何でも望みを叶えるが、お前が死んだ後は私の好きなようにさせてくれと」  モリスはそれ以上のわがままを言えなかった。灰色の目からはヴァンパイアらしからぬ熱いものが流れて、シワが刻まれた頬を濡らしていたから。  産業革命に新たな文化、アール・ヌーヴォーと人々が活気づく中、世界情勢も危うくなる。ドイツ帝国がイタリア、オーストリアと軍事同盟を結んだ後に、フランスはロシア、イギリスと三国協商を結ぶ。長い間歴史を見てきたビーンスタック家の予想では、世界に戦火が広がるのも近いだろうということだ。アールヌーヴォーに活気づいていた街も芸術は邪魔者になり、ガラス工芸や演劇のポスターも色褪せ、鉄と鉛が世界にあふれる。絵画の代わりに国旗が翻り、シャンソンの代わりに軍歌が流れ、街を行くのは着飾った紳士淑女ではなく、軍人たちの行進となる日がいずれやってくる。かのムーラン・ルージュは、営業ができるのだろうか。  ビーンスタック家もその親族たちも、再び平和が来るまで何年も身を隠す。  深夜、目立たない焦げ茶の外套をまとったガブリエルは、屋敷の門をくぐってから立ちつくす。花や野菜は見る影もなく枯れ、雑草が生い茂り、噴水は枯れて苔がびっしりと生えている。あの、モリスが手入れをして美しかった庭は、すっかり荒れてセピア色に色褪せてしまった。  庭の変貌に愕然として立ちつくしているのではない。庭の真ん中に、腐乱死体があったのだ。顔にはウジがわき、肉が腐っていて顔の判別ができないが、着ている服に見覚えがある。モリスであるのは間違いない。  ガブリエルは屋敷を見上げた。ダヴィッドの匂いがしない。  扉を開けて中に入った。天井にはクモの巣が張っている。階段もほこりに覆われている。階段もほこりに覆われていて、一歩ずつ上がるごとに靴跡が残る。  二階の書斎のドアを開けてみた。部屋の主はいない。飴色の机に置かれたタイプライターに、書きかけの小説があるだけだ。  “お前が死ねば、私は日光を浴びて灰になろう。それまでは、お前の望みは何でも叶える。だから、お前が死んだ後は、私の好きなようにさせてくれ”  ガブリエルはすべて悟った。ダヴィッドは日光を浴びて灰になったのだ。モリスの遺体が庭の真ん中にあることから、おそらく夜のうちに死んだモリスを抱き上げて庭に出て、朝日が上るのを待ったのだろう。そのタイプライターに残された文章は、小説というより、ガブリエルへの遺言のように見えた。  庭に下りてみた。物置小屋には、藁を編んだ物がある。冬、木に巻きつけるための物だ。その藁とシャベルを持ち出し、遺体のそばにしゃがみ、無駄とは知りながら土に触れる。やはり、何日もたって風に飛ばされ、雨に流れたのだろう。どこにも灰はなかった。泥だらけのモリスの衣服の間に、ほんのわずかでも残っているだろうかと確かめるが、灰らしきものは見当たらない。せめて、二人いっしょに葬ってやりたかった――  ガブリエルはセイヨウミザクラの木の根元を掘る。藁を広げ、遺体を乗せると藁で包み、木の下に埋めた。  胸に手を当て、目を閉じてしばらくうつむく。まぶたの裏に浮かぶのは、最後に見た二つの笑顔。ダヴィッドと年老いたモリスの、互いにいたわりあうような穏やかな笑顔だった。  長い金の髪が、風に乗って揺れる。 (モリス、弟を愛してくれてありがとう――)  ――――

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