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第14話「決意」

 間もなく夜が明ける。隣で寝息を立てるモリスを見て、ダヴィッドは肩を落とした。モリスが望むこととはいえ、また傷を増やしてしまい、血を飲みすぎた。青白い顔はまるで陶器で、温かさが感じられない。  モリスは造血効果のあるハーブや野菜をよく取るようにしているが、ダヴィッドには調理法がわからない。料理を作ることができれば、モリスを休ませて自分が厨房に立つこともできる。自分にできることがあまりにも少なく、ダヴィッドは頭を抱えてうずくまってしまった。  風が涼しくなり、実りの季節を運んで来た。毎日のように玉ねぎや人参などを収穫し、モリスは細い体ながら庭仕事に精を出す。時折、花壇の花を寝室や書斎の花瓶に差してくれる。淡い色のコスモスが五本飾られた机に向かい、ダヴィッドは紙をじっと見つめている。  集中できない。モリスの血を我慢していると、羽根ペンを持つ手が震えてくる。モリスの体液で何とか欲望は抑えられるが、栄養としての血が足りない。  ダヴィッドは、林に出かけた。冬ごもりのために餌の木の実を探す小動物たちがいる。腐敗した死骸にはウジがわいていて、辺りに腐臭をまき散らす。リスやウサギや野ネズミなどを捕まえ、味けの無い血をすする。  栄養は足りても、満足はしない。塩を混ぜた小麦粉を、喉に流しているようなものだ。モリスの体液は蜂蜜の甘さで、血はザクロのシロップ、肉は上等のガトーなのだ。  いくらモリスが体を差し出そうと、食べつくしてしまうわけにはいかない。そうしてダヴィッドはまた、噛み合わない歯車の間に挟まってしまうのだ。  秋が深まり、収穫の時期は終わる。庭は冬支度。ハーブの上には、冬を越すための布が被され、木は寒さと害虫から守るため、藁が巻かれた。  庭仕事を終えたモリスは、松葉杖をつきながら、テラスから屋敷に入る。  夕食を終え二階に上がろうとすると、玄関の扉が開き、ガブリエルが入って来た。 「こんばんは、ガブリエル様。ダヴィッド様なら、もう起きていらっしゃると思いますよ」 「そうか、ありがとう」  ガブリエルはシルクハットを脱いだ。肩の下まで金髪が流れ落ちる。ガブリエルは、左側に松葉杖をついて階段を上がるモリスに駆け寄った。 「大丈夫か? 手を貸そう」 「いえ、慣れましたから大丈夫ですよ。お心遣い、ありがとうございます」  外套を脱ぎ、ガブリエルはモリスの後ろからゆっくりと一歩ずつ、階段を上がる。万が一よろけたりしても、後ろからなら受け止める。そうしてガブリエルは無言でモリスを見守った。そんな心配をよそに無事階段を上がったモリスは、寝室のドアをノックしようとした。 「いや、違うな。ダヴィッドの匂いがしない」  嗅覚が鋭いヴァンパイアは、ダヴィッドの匂いがここにないことを知り、書斎へ向かう。 「お帽子と外套をお預かりします」  右手を差し出したモリスを、ガブリエルは右手を上げて制する。 「いや、私が自分でかけるから」  モリスは一礼をして、自分の寝室に向かう。ガブリエルはモリスが部屋に入るまで、後ろ姿を見守っていた。  ドアをノックし、ガブリエルは書斎に入った。 「ダヴィッド、モリスの左足はどうした?」  この寒い晩秋の夜、ダヴィッドは上着も着ずにシャツ一枚だった。机に向かい、頬杖をついていた。ガブリエルの方を向くが、苦しい表情を見せるだけで、返事はしない。 「…愚問だったな。何が原因かは察する」  ダヴィッドが噛んだ傷が深く、モリスの回復が追いつかない。そう悟ったガブリエルは、ベンチ代わりのチェストに座った。 「兄上…私は執筆に夢中になると、モリスを傷つけずにすむ、そう思っていましたが、実際には逆でした」  モリスの甘い体液とほんの少しの血で活力が出て、執筆もはかどる。だが、それは数日も持たない。血や肉が欲しくなる。モリスの回復を待ち、いざ肌を重ねると、食らいつきたい気持ちがわき起こる。それを抑えるうちに、ダヴィッドに限界が来る。そして筆が止まる。  ガブリエルが脚を組み、ため息をつく。 「…なるほど…私の見解は間違っていたか」  しばらくの静寂が続く。机の上の原稿用紙も、白いままで何も語らない。  その静寂を破ったのは、ガブリエルの一言だった。 「モリスから離れろ」  ダヴィッドが、苦しげな表情から驚きの色に変わった。頬杖から顔を離す。 「無理を承知で言うが、このままではモリスが持たない。モリスが出血多量かお前に食われるかで死ねば、お前は甘い味を求めてガトーを探し、手当たり次第人間を食い殺す」  フィリップのように、とガブリエルはつけ加えた。 「私は、お前を抑えなければならない使命がある」  家族としてではなくクトーとしての使命があるガブリエルの目は、いつにも増して刃物に似た鋭さがあった。 「できればお前を死なせたくない。小説が売れた今なら、父上も母上も迎えてくれる。家に戻らないか?」 「兄上、私は――」  ダヴィッドは立ち上がった。 「モリスが死ねば、自ら死を選びます。ほかの人間は殺さない」  強い意志を見せたダヴィッドに、今度はガブリエルが目を見開いて驚く。  机に寄りかかり、ダヴィッドは腕を組んで天井を見上げる。 「兄上、もしも私がフルシェットでなく、モリスがガトーでなければ、私たちは出会えなかったでしょうか」  ガブリエルは数秒、考えた後に答えを出した。 「おそらく、アルマン伯爵のパーティーで会ったとしても、お前はまったく興味を示さなかっただろう」  仮にダヴィッドに味覚障害がなかったとしても、モリスが人目につかない所に来たとき、隙を見て気絶させてほんの少し血を吸う、それだけで終わっただろう。  ヴァンパイアは一族間で婚姻が結ばれる。人間と恋に落ちることはない。 「ならば私は」  ダヴィッドがガブリエルの方を向く。  ガブリエルはまた驚いた。ダヴィッドが穏やかな微笑みを浮かべている。 「フルシェットに目覚めた運命を、嬉しく思います。生きていてよかった、そう思うのは彼のおかげです」 「モリスを…殺すかもしれないのだぞ」  そう制する言葉が、どこか弱々しかった。それほど、ダヴィッドには決意が満ちていた。 「もしも私が人間であれば、ヴァンパイアのように血を吸う術を知らず、とっくに殺していたでしょう。もしもモリスもヴァンパイアなら、体液だけでは飽きたらず、血肉をむさぼるという自殺行為をしてたでしょう」  ヴァンパイアは、仲間の血は飲まない。拒絶反応を起こして死んでしまう。  ダヴィッドはガブリエルの正面に立つ。 「できれば最期まで、私たちを見守ってくれませんか。モリスが死んで、私が暴走することがあれば、あなたの手で始末をしてください」  面倒を押しつけてすみません、とダヴィッドは胸に手を当てお辞儀をした。そんな頼みごとをするのは、ガブリエルを信頼している証拠だった。  ガブリエルが立ち上がり、掛けてあったシルクハットと外套を取る。 「クトーの役割はガトーとフルシェットの間に立ちはだかるものと思っていたが、フルシェットとともに食卓を下がる覚悟も必要なのだな」  この世という食卓の上で、己の使命という皿の上で事を果たせば、食卓の上から下げられる。つまり、ガブリエルも死を選ぶことになるかもしれない。 「兄上! あなたは生きていてください! 父上も母上も…みんな悲しみます」  外套を羽織り、シルクハットをかぶり、手袋をはめてガブリエルは青と灰色の目をダヴィッドに向けた。 「実の弟を手にかけて、正気でいられると思うか? フィリップを殺した叔父は――あれから何年も隠居生活だぞ」  犠牲者を増やさないために、苦渋の選択で息子を始末した叔父は、今でも苦しみ続けている。 「わかりました」  ダヴィッドはうなだれる。兄を殺すわけにはいかない。だとすれば、取るべき道は一つ。ダヴィッドは一人でテーブルを下がる覚悟を決めた。その意志が固いことを悟り、ガブリエルはもうそれ以上何も言わない。 「また、冬が終わるころに来る」  月が煌々と輝く空を、ガブリエルは跳躍を繰り返してビーンスタック家に向かう。あと何度、弟に会えるだろうか。月明かりを受けて輝く瞳には、ナイフの鋭さはなかった。

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