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あなたの番(つがい)です

 運命の(つがい)が亡くなった。  手を繋いで、病室の窓を眺めていたときだ。茜色に輝く夕映えの空が、なんとなく綺麗だね、と振り返ったら眠っているように瞼を閉じていた。少年のような安らかな寝顔で、寝息が耳に心地よく忍び込んでくるように感じた。僕は馬鹿だから、かわいいなぁとのんきに眺めていた。  しばらく経って、看護師さんがあたふたと駆けつけてきた。棒をさしたように立って、「ご臨終です」と伝えられてから、やっと(つがい)が亡くなったことに気づいた。  この世には男と女、さらにアルファ、ベータ、オメガの六つの性に分化される。  アルファである僕と、ほんの一握りの性であるオメガのあの人と出会う確率は低い。  出会った瞬間に運命だと僕は感じた。すべてが愛おしく、愛してしまうと直感した。それをあの人に伝えたら、どうだったか覚えてないな、と誤魔化された。  幸いにも、なのか、ラッキーともいえるのか、あの人に番はいなかった。そのままプロポーズして、結婚式も挙げて、契りを交わして、番になり、子供も授かった。人並みの幸せを手に入れて、僕の人生に福の神が舞いこんだ。  あの人は僕より二つ上で、オメガらしくない人だった。背だって高いし、筋肉もついているし、子供二人産んでからはますます逞しくなった気がする。かわいいと言うと、『おまえだけだよ、そう言うの』と真っ赤な顔で照れる。まだ学費だって払わないといけないんだ、と共働きで忙しいのに笑って出勤する日々だった。  毎日が楽しくて、素晴らしい伴侶と言葉を交わして、僕は恵まれてるんだなって思っていた。それでも、幸せのすぐうしろには不幸が足音もなく歩調を合わせてついてくる。  先に帰宅して、そろそろ帰ってくる子供たちのために夕飯を作って待っていたら、あの人が珍しく早めに帰宅した。困った顔で白い封筒を手にしていた。 『食道に影があったみたいなんだ。でも、ポリープかもしれない。良性かどうか、来週あたり検査してくる』 『え……』 『おまえが病人みたいな顔すんなよ、はは』  僕は頭が真っ白でなんと答えていいのかわからなかった。あの人は笑って、ことことシチューを煮ていた鍋から一口だけ小皿に掬うと、そばで味見した。美味いな! と目を細めて褒めてくれた。目元がほんのり赤かった。  それから数日経って、検査結果を右手に持って帰ってきた。その顔はやる気に満ちていた。 『癌だった。でも、治るよ。分子標的薬や先進医療とかあるんだってさ。すごいよな、いまの医療って』  目を輝かせて、明るく僕の背中を叩いていた。月日は静かに過ぎていき、夏から秋、そして冬にかわる。すぐに入院手続きをして、冬枯れの並木道を通って、自転車で病院へ向かう。  癌はみるみるうちに大きくなって、根治は不可能だった。標準治療ともいえる外科手術、放射線治療、化学療法もやってみたけど、効果はどれもうすく、再発の繰り返しだった。癌マーカーの数値とともに、ステージはどんどんと上がってしまう。食欲もなくなって、最後はアイスを美味しそうに齧っている姿でさえ見るのがつらかった。  それでもなにかに縋りたくて、病室から自宅へ戻ると自由診療や民間の怪しい療法をネットで調べる毎日だった。あやしいクリニックに足を運んで説明も受けた。  温熱療法、ビタミン療法、活性化リンパ療法、NK細胞療法、樹上細胞、キラーT細胞などいろんな会社から資料をかき集める。桜の花びらが窓から入り込んできた日、早口で熱く語る自分の腕をつかんで、あの人は首を振って呟いた。 『……それよりさ、もっと一緒にいたい』  僕は怒った。初めて喧嘩しようと思った。 『なんで? 行こうよ。もっと他の療法を探そうよ。きっとあるよ。大丈夫、絶対助かるから、ね? 諦めないでよ。ほら、ここなんて評判がいいよ』  あの人はへへへと笑って、声を荒げようとする自分の頭に手を置いて、幼い子供をあやすように優しい指先で髪を撫でつける。 『資料とか、細かい字を見ると眠くなるんだよ。外出許可も限られるし、もっとお前と一緒にいたい。だめか?』  申し訳なさそうな微笑みを浮かべられると、嫌だとは言えなかった。それがあの人から僕への初めてのお願いだったからだ。そんなのNOと返せない。  それから、病室に顔をみせる日が続いた。また季節が巡って、夏から秋へと暦がかわる。 『子供たちを頼む』  病室に顔をだすたびに、開口一番にそう言うようになった。口を酸っぱく、顔を合わせるたびにお願いだと言われると首を縦にして頷くしかなかった。高一と大学生の兄妹をもつ僕ら夫々はまだ働き盛りだ。 『まだ思春期なんだから、頭ごなしに怒鳴るなよ。それと、女の子はナイーブなんだからちゃんと話を聞いてあげろよ』  と、なぜか僕が怒られる始末だ。しゅんとすると、笑うので、その顔がとてもかわいくて何度も同じ表情をしてしまう。世界一かわいい番だと叫びたい。  出会った頃は色々あったけど、十年以上はそばにいた。  ご飯を食べて、散歩をして、お風呂もたまに入って、一緒に寝て、本当に幸せだった。出会えたことが幸運で、それが魂の番ならなおさら幸せとしかいえない。  でも、でも、もう少し長く生きてほしかった。  少しじゃない。あと五年、いや、十年、二十年、ずっとだ。一生、僕のそばで笑ってほしかった。  葬式なんて最悪だった。  土砂降りで、喪服はびしょ濡れ。子供たちの方がしっかりしていた。おとーさんしっかりしてよ~と娘にすら怒られた。  神様はなんて残酷なんだろう。  小さな葬式も終わり、火葬もした。骨も壺にいれた。タクシーで帰宅すると、喪服姿の子供たちに塩をふりかけて、自分の丸まった背中にパラパラと振りかけてもらった。  塩なんてかけたくない。と呟いたら、子供たちは呆れた顔をしていた。  あの人が幽霊になって、この家に戻ってくるならいつだって迎えたい。最後にこの家に帰ってきたのは、だいぶ前だ。検査入院に行ってくると言ったまま、即入院になった。  後ろで、一人、家に足を踏み入れると冷たい空気が頬をなでる。 『おかえり』  そんな声が耳の奥に響いた。  家族全員ででかけてきたのだから、家のなかに誰かいるわけがない。  それなのに、リビングから声が聞こえてきそうで息を飲んでこらえた。 「おとーさん、夕飯なににする?」 「あ、うん……、寿司でも頼もうかな」 「やった! お寿司!」  二人ともキャッキャッと喜んで、まだちいさな子供みたいにみえた。  スマホで寿司を注文して、しんみりした雰囲気で夕食を食べた。  家族が寝静まってから、はたと喪服から着替えてないことに気づく。自分だけが取り残されたようだった。線香臭い上着を脱いで、リビング隣にある寝室のウォークインにいって扉をひらいた。いつから用意していたのか、クローゼットの端には黒ネクタイ、数珠、袱紗まで整えられていた。ご丁寧に保険はかけてくれていたし、学資保険も払い終えていた。墓の手配なんかもしていた。さすがに、葬儀屋から電話があったときには、あの人の終活の完璧さに少し呆れてしまう自分がいた。 『でもさ、おまえはアルファなんだし、再婚でもしろ。あ、二人とも大学卒業してからな!』  そう言って、いつも笑っていたな……。と溜息をもらす。結局、運命の番だと思っても、それは自分だけだったのかな。いや、それでも一緒にいて楽しかった。そして、半分失ったような喪失感だけが抜けそうにない。  掛けられたスーツのポケットから白い切れ端に目が留まる。  手にとってみる。短い文面が綴られている。 『食器棚の二番目』  のろのろと重たい四肢を持ち上げて、食器棚へむかう。両開き戸を開いて、右端にセロテープで張りつけられている一枚の紙を発見する。いままで気づかなかった自分に驚く。 『よくやった。次はテレビのうら』  急いで、駆けつけるように狭いリビングを走ってしまう。配線が絡んだ隙間から、埃にまみれた四角い紙がでてくる。 『でかした。最後は俺の好きな本』  いつも読んでいた文庫本はぴんときた。病室で持って来ようか? と何度もいったのに『いらない』と首を横に振って断られた。紙がヨレヨレになるまで読んでいたのに、珍しいなと記憶に残っている。  お気に入りの推理小説をパラパラとひらくと、象牙色の封筒がはらりと床に落ちた。  目を瞠って、慌てて、それを両手ですくう。ハサミで丁寧に封を切ってひらくと一行だけ書かれていた。 『絶対に幸せになってくれ。愛してる』  紙には丸く滲んだ涙のあとが残っていた。  僕はわんわん泣いた。もう涙が枯れるぐらい声をなくして号泣した。おとーさん、どうしたの? と寝ぼけまなこで子供たちが起きてくるまで泣いた。    僕の番はあの人だけです。  生まれ変わっても、また出会えますように。

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