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【第1部 カフェ・キノネ】5.世界制作の方法(前編)
セロリを刻むのは楽しい。
真っ白の根元から茎が枝分かれした先端までみじん切りにする。繊維に刃を入れるたびに青い香りがただよい、ボウルの中でみずみずしい白と翠色がまざりあう。さらに生姜をひとかけ、使い残した玉ねぎもみじんにする。皮をむいたジャガイモを賽の目に切る。
フライパンを熱してひき肉を炒め、肉がほぐれてきたところで野菜のボウルもあける。セロリも玉ねぎも透明になるまで火を通し、ジャガイモを入れてさらに炒める。ミニトマトがあったのを思い出し、いくつかつかんでフライパンに追加し、ハーブソルトを振る。
料理をしているとふいに感動することがある。手順を踏んでいるだけなのに、段階を追って形や匂いが変わっていくからだろうか。
十分炒めきったと判断するとフライパンの中身を鉄なべにあける。あとは水を注いで煮るだけだ。このスープのレシピは叔父に教わったもので、月に三度は作っている。昔セロリが嫌いだったのに、このスープのおかげで食べられるようになった。
沸騰しはじめたら味をみて、塩と胡椒を足してしばらく煮こむ。ぶつぶつと煮える鍋をみていると、朝から藤野谷のおかげで上下していた気持ちが平らに戻っていくのがわかる。
俺はコンロのタイマーをセットしてリビングにもどり、手元にある小さな案件を片づけにかかった。ホームAIに声をかけてファイルを呼び出し、パソコンの前に座った。
ここ十年ほどの技術の変化のおかげで、どんな職種もAIの支援を受けるか、AIには向いていない部分だけを人間が行うようになった。デザイナーやイラストレーターの仕事も少し変わった部分がある。何しろ型にはまったデザインや絵ならAIが生成できるのだ。
フリーランスのありかたも変わり、どんな職種でも代理人 を使うのが当たり前になった。とはいえどこまで代理人に頼むかは人によってさまざまだ。俺は比較的単純な仕事ならネットに常駐するエージェントAIを介してオファーをとっていた。海外からの案件でも、AIは契約書のチェックや翻訳もオートでやってくれる。
三年前に知りあった暁が時々持ってくる仕事はそれより手間がかかったが、ほとんどは行政がからんだ文化事業に関する案件だった。俺が藤野谷の会社のような一般企業のPRに関わるなどありえなかった。
さっきの藤野谷との通話を思い出す。夢ではないか確認したいなどとあいつはいったが、俺も昨日藤野谷と再会したことを心の底で信じていないような気がする。おまけにまだ頭の片隅で、今からでも遅くはない、今回のプロジェクトを断るのはどうかという考えをもてあそんでいる。
しかし暁との関係を悪くするのも気が進まない。彼にしてみればアルファの名族とつながりを作る絶好の機会だろうし――それになにより、俺は今回の依頼に惹かれていた。
セロリのスープはひき肉と野菜の出汁でほどよく柔らかい味に仕上がっていた。昼食をとりながら、つまりは藤野谷に会わなければいいのだと俺は思い直した。どのくらい俺が関わることになるにせよ、藤野谷と何度も顔を合わせるとは限らない。企業のトップは暇ではないのだ。俺が直接相手をするのは藤野谷ではなく、もっと下の立場の人間だろう。
もし藤野谷があの動画の新しいヴァージョンを求めているならなおさらだった。|断片《フッテージ》を作るには、他人が想像するよりも手間と時間が必要なのだ。
スマートフォンで撮った写真を大判用紙にプリントする。自転車で走りながら無作為に撮った風景から一枚を選ぶ。そして棚に積んだクロッキー帳からも一枚を破る。
どちらの紙もくしゃくしゃにまるめる。写真の方は紙が厚く、クロッキー用紙のスケッチほど小さくならない。まるめた紙を破れないように、ていねいに広げ、伸ばす。
方向を変えて2枚の紙にライトをあてる。一度このために照明を落としたが、今日は影の具合が気に入らなかった。俺はスクリーンを上げ、両開きの窓もひらいて、外の光に紙をかざした。
光があたる床に二枚の紙を並べると、影がはっきりみえるように寝そべった姿勢のままペンを持つ。光で紙の上に生まれた地形をなぞりはじめる。一種類の紙だけに集中していると視界がぼやけてくるので、時々なぞる紙を変える。力の加減を変えなければ紙が破れるから、注意深く。
光線がゆっくり動き、俺がなぞる地形の影も変化しはじめる。不自然な姿勢で描いているせいで腰が痛い。やがてなぞられた線に満足がいかなくなった。
俺はペンを置く。
なぞっていると時間の感覚がなくなる。窓から射す光は弱くなっていた。
俺はまだほとんどの領域が白いままの紙を棚に置き、道具を片づけた。コーヒーで休憩しながらふりむいて、部屋の隅に積んだ紙の山を眺める。どの紙もくしゃくしゃで、皺が線でなぞられている。ぱらぱらとめくり、線のなかに――あるいは俺の頭の中に?――見えてくる像や風景をさがす。
いけると判断したものをとりだし、何枚もメモをとった。窓のスクリーンを下ろして明かりをつけ、光源を増やす。撮影台の光量を調整し、モニターをみつめながらなぞられた紙を撮影する。俺にとってはこの作業の方がペンで紙の皺をなぞるより辛い。こうして撮影した画像を元にアニメーションを作るには、さらに多くの時間がかかる。
誰に頼まれたわけでもない、自分ひとりのための作業だ。気がつくと肩や腰がガタガタに痛み、指先がぷるぷるとふるえる。それでもやめることができない。
皺をなぞった紙をながめて、自分は少し頭がおかしいのではないかという考えをもてあそぶ。クロッキーとスケッチは物心ついたときから続けていた遊びだった。俺は子供のころから毎日なにかを描いていた。
大学で美術を専攻してはいない。絵は独学の趣味で、在学中に藤野谷が主宰していたプロジェクトに関わって一時マスコミに注目されたのも偶然にすぎなかった。いま、細々ながら絵やデザインに関わる仕事を続けていられるのは親族の協力や運のおかげだ。それに俺の生活は俺ひとりの力で賄われているわけではない。
毎日描いていた絵を破り、くしゃくしゃにしてからペンでなぞる、ということをはじめたのは、大学卒業間近の頃だった。
ある日描いたスケッチが気に入らず、まるめて投げたのはいいが、捨てられずにもう一度ひろげたことがきっかけだった。俺はその紙に描いた線が気に入らなかった。別のものを上描きしたかった。なのにそれもできず、ただ漫然と皺の影をなぞった。
それがはじまりだった。
ふだん絵を描くときとは違ったやりかたで紙や手に集中できたせいかもしれない。皺をなぞると、線は光源と俺の気分と手の微細な動きのような、偶然の要素で変化した。あらわれるのは俺が描いているにもかかわらず、俺が意図していない線だ。
たぶんこの事実に魅せられて、それから何年か、俺は暇な時間は紙の上の皺をなぞり、意味のない線画を生み出すのに熱中していた。なぞった線であふれた紙は棚の上にたまっていった。
あるとき、何の気なしに積みあがった紙を広げて眺めていると、皺をなぞっただけの線に、別の像がみえるのに気がついた。焦点を変えながらぼうっと眺めていると線の厚みや強弱が変わって見え、うっすらと別の絵、別の空間がみえてくる――ような気がした。まるで別次元が立ち現れたかのようだ。
もちろん別の像がみえるのは一瞬だけ俺の頭が生み出した錯覚にすぎない。まばたきするとその幻は消えたが、生まれた小さなアイデアは頭から去らなかった。やがてもつれた線の中に隠れる像を視覚化しようと、俺は線をなぞった紙の撮影をはじめた。
撮った画像をデジタル処理し、俺の脳内にあったものが実際に眼でみえるようになるまで加工し、編集して、最終的に短いアニメーションを作るようになるまで、どのくらいの時間がかかっただろう。
この作業が単なる落書きとは違う「作品」となることがわかると、俺はさらに熱中して、あれこれの方法を試すようになった。
藤野谷が断片 と呼んだ動画はここから生まれたのだ。ネットでそう呼ばれているのは知っていた。すべてがつながっていつかひとつの物語の一部分となると、動画を観た人は思いたいらしい。だからこそ「断片」なのだろう。
作品をインターネットに流したのはただの出来心だった。一応の肩書はデザイナー、イラストレーターといっても、ほとんどの時間は単純な作業や調整、事務連絡に明け暮れて過ぎていく。自分が作ったものを誰かに見てほしいという欲望はあったが、それによって何かを得ようとは思っていなかった。第一、俺という人間を特定されるのは避けたかった。ネットなら不特定多数の人間に匿名で見てもらうことができる。
藤野谷と再会しなければ、このままでいられたはずだった。
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