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【幕間2】双子の虹

 私が佐枝零に初めて会ったのは、天藍が大学を卒業した年、のちに盗作疑惑が起きた例のコンペの授賞式だった。といっても私は単なる出席者にすぎず、会話も交わさなかったから、遠目に見かけた程度のものだ。  藤野谷グループの本業とは毛色が異なる企業プロモーションのコンペだったせいもあるだろうが、天藍の両親はどちらも息子の成果に無関心だった。私はその代わりに見届けることにして会場へ行った。  佐枝零の第一印象にきわだったものはなかった。痩せて端正で繊細そうな外見ではあるが、強い印象を受けたとはいえない。受賞した天藍との共同作品は面白く、感心はした。  興味深かったのは佐枝零本人より、彼に対する天藍の態度だった。本人が隠そうと必死になっているのも同時にわかったが、あきらかにそれは庇護対象、つまり、つがいをみつけたアルファの視線と仕草だった。対して佐枝の態度はそっけなく、天藍の片思いのように見えた。  もっともそれは天藍を生まれた時から見ている私だから察したことにすぎず、周囲にはふたりは普通の友人同士と思われていたはずだ。受賞後のパーティでは、天藍は主に他の友人たちと談笑しており、一方佐枝は共同受賞にもかかわらず、天藍の友人とはほとんど関わらずに会場の隅にひとりでいた。その静かで孤独な雰囲気は印象に残った。友人たちから解放された天藍が佐枝の横に立ったとき、ふたりの間に一瞬張りつめた気配が漂ったが、私がそれに気づいたのは、かつて何年も藍閃と葉月の緊張関係を間近で見ていたせいだろう。  子供のころから、天藍にとっての私は、藤野谷の家中で働く遠縁の男、といった存在だったはずだ。もちろん私と藤野谷家に血縁は一切なく、藤野谷家当主の長男である藍閃と、たまたま学友であったという縁にすぎない。  はじめは藍閃の秘書として働いていた私は、彼の失踪の後は当主である天青に見込まれて、藤野谷家の執事のような立場になった。天青が亡くなって次男の藍晶が藤野谷家を継ぐと、その妻の|紫《ゆかり》が藤野谷家を仕切り、以後、私は執事というより藍晶の個人秘書として藤野谷家で働いていた。藍晶の息子の天藍が大学に入った後は、父親の希望もあって天藍のお目付け役のような係になった。  私がそんな役どころに回されたのは、私が家族を持たなかったことと、藤野谷藍閃と葉月が困難な数年を過ごしていた間ずっと、藤野谷家にいたせいだと思う。私は口が堅く信用のおける他人という、ある意味都合がよい立場だった。  そんな私にうっかり余計な話をする人もけっこういて、私の元には藍閃と葉月の一件にとどまらず、藤野谷家周辺の情報が集まるようになった。それを外部に漏らしたことはこれまでただ一度もない。私のような存在は名族の「家来筋」と呼ばれるらしい。  家名のない庶民のベータには不思議に感じられるが、古くから続くアルファの名族は、家中にプライベートまで見聞きできる使用人を置くことにさしたる抵抗がない。彼らにとって「家」とは小さな企業のようなもので、信頼できる使用人をどのくらい抱えられるかはステータスでもあるのだ。「家来筋」として代々同じベータの一族を使用人に置く名族もいるという。  なお当時の私は、オメガ系の佐井家もそんな家来筋を持っていたなど、まったく知らなかった。  ところで、藤野谷藍晶が息子天藍の世話を私に託したのは、なぜか息子に関心を持てなかった彼の、罪滅ぼしのようなものだったのかもしれない。藍晶自身の精神的な支えも父の天青ではなく兄の藍閃で、彼は父の天青にとって自分は無関心な存在だと長年信じていたふしがある。  兄が失踪したあとも藍晶のその態度は変わらなかった。妻の紫に対する関心のなさと裏腹に、ほんとうに藍晶が情愛を感じていたのは兄の藍閃だけだとでもいうように。  後付けの考えではあるが、藍晶はそんな自分が息子に関心を持てないのを業のように感じ、代わりの役割を他人に負わせることにしたのか、と思う。  そういえば、自分は身代わり、代替要員にすぎないという感覚は、藤野谷藍晶にも、その息子天藍にも、深くつきまとっているようだ。藍晶は父の天青にとって、自分は兄藍閃の代わりにすぎないと私に何度か漏らしたことがあるし、天藍は天藍で、自分が生まれなかった伯父の子供――葉月が流産したアルファの子供――の代わりなのだと感じていたふしがある。  詳しいことなど知りもしないのに、いつのまにか天藍が「伯父を捨てたオメガ」や、ひいてはオメガ性そのものに対して反感を育んでいたのは、母の紫の影響が大きいとはいえ、この身代わりの感覚も作用していたのかもしれない。  だがアルファである以上、ひとたびオメガの発情(ヒート)に出会えば、たとえ感情的に否定していたとしても発情(ラット)するのはどうしようもない。これは天藍にとって大きな葛藤になったにちがいなかった。  彼が問題を抱えているのは、長年つかず離れずみていた私には見当はついたが、しょせん他人で使用人という立ち位置では、せいぜい助言や多少の協力ができるだけだった。しかし父親の藍晶にしてみれば、まさにそれこそ私に期待したことらしい。  一方私はというと、藤野谷家の中で自分に課せられた役割をたいして重く受けとめていなかった。私のある種の呑気さは、天藍にとって悪い作用はしなかったようだ。  この日記は、すでに回想録のようなものとなりつつある。とはいえ一度、私の考えや記憶を書き残すのは現在の事態を整理する上で悪くないように思える。そのうち焼き捨てるかもしれないが、とりあえず今は先を進めよう。  八年前にコンペの授賞式が終わり、天藍が大学を卒業した後、父の藍晶の依頼で私は佐枝零について多少調査した。というのも、受賞作品の盗作疑惑(疑惑の対象となったのは天藍ではなく佐枝零ひとりだった)のせいか、佐枝は天藍にひとことも告げず行方をくらましてしまったからだ。  天藍が佐枝に対して持つ執着はそこでいったん明確になった。父親の無関心と呼応するように天藍も父親に関心がなかったが、佐枝の行方については力のある父へ直接調査を頼んだのである。ちなみに天藍をよく知っている私にとっては、これは尋常でないことだった。  盗作疑惑自体は、藤野谷家の跡継ぎになる人間に「特に何の背景もないただのベータ」が近づくことを嫉妬した筋のいいがかりだと最終的に証明された。だがたとえ疑惑であっても、まだ実績がない佐枝のキャリアにこの件は致命的だっただろう。彼が藤野谷家に関わるのを嫌って行方をくらましたのも無理はない。  しかし佐枝の消え方は徹底的だった。私の調査にかすりもしなかったことに対して、当時多少疑問を抱いたのはたしかだ。私の推測は海外へ出たのではないかというものだった。もしかしたら私の念頭には、空良と逃げた葉月が海外へ行こうとした記憶がかすかに浮かんでいたのかもしれない。もう八年前のことで、今はよく思い出せないが。  もっとも佐枝がベータの「男」である以上――当時はいくら調べてもそれ以上のことは出てこなかった――たとえ佐枝が消えなくても、天藍の執着は実りそうになかった。  同じ年齢のころ、人生にさしたる目的も野心も持たなかった私のような人間なら、使用人として藤野谷家に佐枝を迎えることもできたかもしれず、そうすれば天藍も、もっと深い関係に持ち込めたかもしれない。だが佐枝零はクリエイターで、そんな立場を許容しそうになかった。  それに仮に天藍が佐枝とそんな関係になれたとしても、ベータの男がアルファの跡継ぎの執着の対象として家中にいることを、母親の紫は許さなかっただろう。  佐枝零が実際はオメガで、しかも藤野谷天藍の適合者、いわゆる「運命のつがい」だと当時彼女が知っていたらどうなっただろうか。それはそれで問題になった可能性は高い。何しろ佐枝零は、紫と一度もそりのあったことがないオメガ、葉月の息子である。  紫の葉月に対する感情には一種のライバル心と(だいたい、身代わりというなら紫こそが、藤野谷家のために子供を産まなかった葉月の身代わりだったといえる)「運命のつがい」がらみで、葉月が藤野谷家のトラブルメーカーになっていたことからくる憎悪、これが混ざりあっているようだ。  紫の感情は傍観者である私にはとても興味深い。そこにはオメガ性の本能への嫌悪と同時に、自分だけはオメガであってもそんなものに左右されない規律を持つのだという、圧倒的な自尊心と自負がある。息子の天藍に「伯父を捨てたオメガ」つまり葉月と「運命のつがい」の厄介な側面について、子供の頃に教えこんだのは、この紫だった。  ここで俗称「運命のつがい」と呼ばれる関係について、すこしメモしておくことにしよう。重要なことだが、この関係はアルファの名族の場合、トラブルの原因となりこそすれ、大っぴらに歓迎されることはめったにない。 「運命のつがい」がベータ向けの娯楽として映画や小説で消費されるのは、我々ベータが原則として、アルファとオメガの間に交わされる情熱の単なる傍観者、観客にすぎないからだ。アルファの名族もその事情を理解していて、逆にアルファ支配の神秘化や伝説作りに「運命のつがい」という現象を利用している側面もある。  アルファの指導力がどれだけのものであろうとも、この世界の大勢を占めるのは数の多いベータなのだ。いくつかの社会変動をのりこえて、現代の世界はそれをよく理解している。ベータの民衆の間で評判を損なわないためにアルファの男性、ことに名族に生まれた者は、自らの衝動の管理について厳しく教育される。レイプはいうにおよばず、たとえオメガの|発情《ヒート》にあてられたのだとしても、同意なく妊娠させるなども考えられない。  さらにこの事情を逆手にとったオメガに陥れられる場合もあるため、名族に生まれたアルファ男性は予定がなくても避妊具を持ち歩くのが普通だった。社会的地位のあるアルファ男性がオメガと結婚し、つがいをもつのが奨励される理由のひとつも、不慮の事故を防ぐためだ。ベータとの結婚ではつがい関係を持つことができないので、アルファ男性は発情(ヒート)の誘惑にさらされ続けてしまう。 「つがい」は、ベータでかつ独身の私にとっては、実感の湧かない現象でもある。性交中、オメガのうなじ付近の皮下にある受容体にアルファの体液が混ぜること、つまりアルファが噛むことで、この両者はつがいになる。これは、アルファがオメガにマーキングして外部に対し自分の所有権や縄張りを示し、一方でオメガに対し自分の庇護を約束する行為という解釈も可能だ。  つがいになると日常的にアルファに存在を主張するオメガの強い匂いは消え、程度の差はあっても|発情《ヒート》が穏やかになるといわれる。相手のアルファも他のオメガの匂いに|発情《ラット》することがなくなる。ベータのカップルでも、結婚して長年同居していれば雰囲気や顔つきが似てくる、といわれるように、つがいとなったアルファとオメガには共通する雰囲気があり、それは私のようなベータにも何となくわかる。  ただしつがいは一度成立すれば終生そのまま続くような絆ではない。長期にわたり接触がないと自然に解消されるし、片方の病気や事故で消滅するケースもあるという。だが通常は、多少感情的な行き違いがあってもつがいになっていれば、アルファとオメガのカップルはなんとかやっていくものだ。藤野谷藍晶と紫の夫婦がそうであるように。  ところが、番狂わせ、という言葉がある。 「運命のつがい」はまさにこれに当たるといえるだろう。運命のつがいのふたりは、通常のつがい関係で作られた秩序を壊してしまう。たとえ片方、もしくは双方にすでにつがいの相手がいたとしても、「運命のつがい」の前では壊れてしまう、というのはよくいわれることだ。  藍閃と葉月がいい例である。柳空良に出会った葉月を藍閃は強引な方法で先につがいにしたが、葉月が空良へ逃げるのを止められなかった。藍閃は葉月をつがいにしたとき、禁止されているヒート誘発剤を使ったのではないかと私は推測しているが、真偽は定かでない。  ヒート誘発剤は抵抗するオメガを囲い込むために大昔はよく使われた薬だが、このころはすでに、不妊治療以外の目的では手に入れられなくなっていた。相手に承諾なく使用すると重大な人権侵害として重犯罪扱いになる。  だが何を使おうとどのみち、葉月を止めることはできなかった。空良から連れ戻して、藍閃が何度葉月をつがいにしようと噛んでも、葉月のヒートは安定しなかった。  教訓はひとつだ。「運命のつがい」が出会うと、その当事者だけでなく、関係するものがみな、振り回されることになる。  ドラマの材料としてはもってこいだが、当事者や巻きこまれる周辺には困った話だ。それこそ「運命」としかいいようがないわけだが……。  近年は「運命のつがい」同士は稀有なホルモン適合型の一致によって惹かれあうと判明したが、どうやってたがいを認識するのか、詳細はよくわかっていない。大半は匂いだというが、それは通常アルファとオメガが認識しあう匂いとどう違うのか。それは普通のつがい関係が強固になっただけなのか、もっと特殊なしるしがあるのか。ともあれ「運命のつがい」はお互いを見分ける。天藍と佐枝零が互いをどのように見ているのか、他の人間にはけっしてわからないとしても。  そう、佐枝零と藤野谷天藍が「運命のつがい」だと、私が理解したのは昨日のことだ。  自転車の転倒事故で怪我をした佐枝を拾ったあとの展開は、私の予想をいささか超えていた。車中で彼がほんとうはオメガだったと持ち物や医療タグから判明し(とはいえその直前の調査で私はそれを推測してはいたが)病院で怪我の処置をした佐枝が眠ったあとで、天藍が私に打ち明けた。ふたりが「運命のつがい」だと。  というわけで、私はいま、最近新たに集めた佐枝の資料をもう一度見直しているところだ。今晩ひさしぶりにこの日記を――いささか長すぎるが――書きはじめたのもこれがきっかけである。  もっとも、昨年の終わりから、私はふたたび佐枝零について個人的に調査を開始していた。  ひとつは現在天藍が進めているプロジェクトの準備段階で、アーティストとして佐枝零を後押しするか売り出したいという意向を天藍がみせており、投資対象としての予備調査は害になるまいと思ったためである。その後、天藍が結婚をめぐって母の紫とやりとりを繰り返しつつも、佐枝との接触を深めようとしているのをみて、さらにアンテナが動いたのもあった。  さらに先月になって、天藍がハウス・デュマーで「佐枝零にそっくりのオメガ」をみたから調べてほしいと頼んできたのはちょうどよい符合だった。ハウス・デュマーでの調査には完全に合法とはいえない手段を使ってしまったが、名族の使用人にはままあることだ。  それにしてもだ。  私が「運命のつがい」をめぐる事象に関わるのはこれで二回目だ。ただのベータが生涯で二回も「運命のつがい」にぶつかるのも珍しいのではないだろうか?  そして二回目であっても、私にとって「運命のつがい」はあいかわらず、ただの謎である。  天藍の佐枝零に対する執着は、彼らが「運命のつがい」だからなのだろうか? しかし佐枝零は長年、中和剤と抑制剤の併用でオメガの匂いを隠してベータに偽装していたわけだから、もとより自分たちがアルファとオメガの「運命のつがい」だったとは、天藍にはわからなかったはずだ。  では天藍の佐枝零への執着は、純然たる恋――もっとも匂いによって人々が惹かれあうこの世界で純然たる恋心なるものをどこまで信じられるのか、私には疑問だ――だったのだろうか? あるいは薬品を使った佐枝零のベータへの偽装は、藤野谷家の追及や周囲の人間をあざむくには効果があったが、運命のつがいの相手である天藍には通用しなかったということなのだろうか?  もっとも中和剤の偽装が解けた現在、天藍はまさしく眼のまえにニンジンをぶら下げられた馬のようなもので、佐枝零しかみえていない。  佐枝の方はどうなのだろう。彼にはずっと天藍が「運命のつがい」だとわかっていたはずだ。そうと知りつつも天藍をあしらう努力は大変なものだっただろう。  今の私には、佐枝が偽装しながらも近くにいた天藍を完全にはねつけられなかった理由がわかるし、同時に逃げようとした理由もよくわかる。佐枝本人は家来筋の養子になっているが、産みの親である葉月の実家、佐井家と藤野谷家の関係は、面倒以外の何物でもないからだ。  おまけに現在藤野谷家を実質的に支配しているのは、当主の藍晶というより、妻のオメガ、紫である。  藤野谷天藍の母親、藤野谷紫は、佐井葉月とはさまざまな意味で対照的なオメガである。  旧姓を水津といい、夫の藍晶より年上の彼女は、大学では兄の藍閃の同級生だった。同じゼミに所属していたが、特に親しかったわけではないらしい。成績優秀だったにも関わらず、当時のオメガをめぐる環境のおかげで院への進学も能力に見合った就職もできず、学部卒業後は指導教官の研究室で助手として働いていた。  紫を藤野谷兄弟の父、藤野谷天青に紹介したのはその教官だ。要するに見合いの仲介をしたのだろう。大学教授が優秀なオメガ学生を裕福なアルファ家系に紹介するのは、当時の典型的な「玉の輿」だったし、社会進出の機会を制限されていたオメガにとって、名族に見初められるのは自己実現の手段にもなっていた。  紫はベータの庶民の家庭に生まれたオメガだ。名族に一切係累を持たなかったが、優秀なだけでなく野心と意欲のある女性だった。いまでもそれは変わらないし、野心の方は三十数年前の結婚当時より強くなっているかもしれない。  というのも、藤野谷家という名族の地位や格式を維持する意志と欲望を当主の天青から受け継いだのは、血を分けた息子たちではなく、彼女のように見えるからだ。  人間というのは面白い。  この世界ではオメガはアルファを産むための存在として、長い間アルファに隷属し、抑圧され、搾取され、同時に保護されてきた。|発情《ヒート》にともなう快楽(それはベータ間のセックスではなかなか想像できないものだ)は、ともすると暴力的になりがちなアルファの支配とトレードオフになっているし、つがいという関係は、オメガにとって特定のアルファ以外の支配を免れる防波堤として機能する。  そんな機能的側面のほかに、歴史上何かしらの業績を残したアルファには例外なくオメガのパートナーの影がある。この場合、オメガは単にアルファに支配されているわけではない。むしろアルファの強引で支配的、暴力的な側面を和らげたり補完することでアルファを影からコントロールしている場合が多く、結果としてアルファの目的達成に不可欠な調整役を果たしている。  アルファが持つ支配への情熱はさまざまな形や方向をもちうるが――政治や企業経営のような対象に向けられる場合もあれば、発明や学術研究のような目標へ向けられる場合も、またスポーツ競技や芸術のような個人的達成へ向けられる場合も――アルファだけでそれを実現するのは困難だ。  というのも、世の中の集団の大半は我々ベータという凡人が占めており、我々ベータはアルファの極端な情熱をときに嫌い、彼らの意思をサボタージュしたり、反抗する場合もあるからだ。オメガのパートナーはアルファとベータの関係を仲介する上でも重要で、まわり回って、アルファの自己実現に不可欠な存在にもなるわけである。  とはいえ、オメガがつねにアルファと対照をなす柔和さや柔軟性を持っているとは限らない。アルファの支配性格や貪欲さをより強く内面化して、自分で自分を抑圧している場合もあるし、アルファによるオメガへの一方的な強制や支配を正当だと信じている場合もある。  こんな思想は現代では古い考え方だといわれ、公然と口に出す人も少なくなった。しかし建前はそういわなくても、いまだにそう信じてふるまう人々はアルファ、オメガ、ベータのそれぞれに存在するのだ。  藤野谷天藍の母親はそういうタイプだった。これは私の推測にすぎないが、彼女が義父の天青の意思を受け継いだ原因のひとつは、夫の藍晶にもあると思う。藍晶は紫に結婚当初から感情的な興味をまったく示さなかった。紫も新婚当時はまだ藍晶との結婚生活に甘い夢をみていたかもしれないが、藍晶は義務として彼女と結婚したにすぎず、つがいになっても愛情はなかった。  その一方でアルファの名族の妻であることは、名族間の社交と政治と経営に関わることでもあって、紫はその方面に才能を発揮した。義務としてのつがいの庇護を得られても、パートナーの真の関心が得られないのなら、情熱をそちらに注ぐのは人間として自然な事だろう。  天青は才気にあふれた嫁を気に入り、息子より紫を社会的なパートナーとして尊重した。結果、藤野谷家の一員として家のために役割を果たすのが紫の生きがいになったのはこれまたよくわかる。人間には仕事が必要なのだ。  だが彼女はその過程で、天青の狂信的なまでの家中心主義を映しとった上に、生まれながらにして藤野谷家に嫁するべく育てられたような葉月の不自由や、彼が運命のつがいを求めた情熱をついに理解しなかった。  葉月をめぐる何年ものごたごたと、死後の藍閃の失踪は、藤野谷家にとってトラブルの塊でしかなかった。紫は名族の間で家名の評判を取り戻すために尽力していたから、葉月を憎んだとしてもおかしくない。  それに庶民出身の紫からみれば、オメガ系とはいえ名族のはしくれである葉月は、生まれながらに家柄を保証された恵まれた存在だった。葉月と天青との確執や、まして彼が求めた運命のつがい、柳空良との関係がどんなものかなど、紫にはまったく想像が及ばなかったにちがいない。  そんな紫も私と同様、あと四年もすれば六十歳だ。オメガの例にもれず、彼女は年齢よりも若々しく、まだ十分美しい。名族の社交界での長年の努力もあって、いまでは各所に隠然たる権力を持っている上、私とちがうルートで豊富な情報も手に入れている。  ここ数年、彼女は息子の天藍をオメガと結婚させようと手を尽くしてきた。この件ではずっと息子といさかいを繰り返していたが、最近になって彼がその気になったようなそぶりを見せていたから、少し関係は軟化していた。  ここで――まさか葉月の息子が自分の息子と「運命のつがい」だと知れば、彼女はどう出るだろうか。葉月に対して持っていたような感情をその息子にも持つのだろうか。あるいは藤野谷家に跡継ぎができる可能性が増えて喜ぶのだろうか。なにしろ「運命のつがい」のオメガは妊娠しやすいといわれている。とはいえ佐枝零は年齢も高く、長年ベータに偽装するため服薬を続けた影響もあるはずだが……。  たぶん紫に――そして私にも――わかっていることがひとつある。運命のつがいは、当人の意思と関係なく、周囲の人々に大きな影響を及ぼすからこそ「運命」と呼ばれるのだ。そして天藍と佐枝零が再会したなら、トラブルであれ幸運であれ、何らかの出来事は起きるだろう。  はじめて話した佐枝零は、学生の頃に調査した時にくらべると、かなり雰囲気が変わっていた。今日隠し撮りした写真をみていると、繊細な艶めかしい顔立ちに葉月の面影がいくばくかあるものの、控えめな印象に潜む芯の通った頑固さは私の記憶にある葉月とは一致しなかった。葉月も頑固だったが、同時にすこし投げやりでもあった。  今朝、天藍が彼を送る前に話をしたときは、妙に新鮮な初々しさを間近で感じて、私としたことが少し驚かされたものだ。佐枝零は天藍と同い年で、格別童顔というわけでもないのに。  いま思い返すとあの雰囲気は、最初のヒートを迎えたあと急速に成熟していくオメガの雰囲気に似ていた。オメガなら男女問わず、春が来て花がひらくように、いっせいに華やかな気配をまとう季節がある。今回は中和剤の効果が切れていたからそう感じたのかもしれないが、二月にハウス・デュマーの一件から天藍の依頼で彼の調査をして、遠目に見た時にも似たようなことを思ったので、原因は他にあるのだろうか。  すでに夜になったが、天藍からは連絡がない。  彼らがこの先どうなろうと、私は状況に応じて最善と思われることをするしかない。ともあれ、佐枝零に今度会ったときは、以前書庫で発見した葉月の写真を渡すつもりだ。  あの日以来書庫からは空や虹を映した写真が何枚もみつかり、私は保管のためのファイルを作った。天青と紫が抹消したはずの葉月の名残がまだこんなに残っていたのかと、私は内心驚いている。

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