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【第3部 ギャラリー・ルクス】1.鉄と銀(前編)
柑橘にバニラのような甘い風味がまざった香りだった。
花の香りだ。マグノリアだろうか?
顔をあげると俺の真正面にそのひとは立っている。パールグレーのスーツに、孔雀の羽根のような艶のある黒真珠のネックレスが映える。女性の年齢、ことにオメガの年齢は見当がつきにくい。四十代か、五十代か。
「あなたはどなた?」
鈴が鳴るようで、しかしきっぱりと意思の強い声だった。抑揚にどこか聞き覚えがある気がした。
「佐井家の付き添いです」
俺は立ち上がって一礼したが、顔をあげたときも彼女は俺をじっとみつめていた。着慣れないスーツのせいもあって居心地が悪い。俺がみつめかえすと、わずかに眉をひそめた。
「家来筋の方?」
「ええ」
「理事会の後は昼食会で、総会が終われば大広間で続けて親睦会ですよ。長丁場ですから付き添いの控室は用意されているでしょう?」
俺がいたのはVIPカンファレンスルームのロビーで、数分前に中へ入る祖父の銀星を見送ったところだった。会議には部外者は立ち入れないことになっている。
「当主は高齢なので、念のためここに居させてもらいたいのですが。これまでも付き添いの者は同じようにしているはずです」
「これまで付き添いにオメガ男性がいたことはなかったはずです」
「俺は叔父の代理です」
「そう」
彼女はわずかに首を振ったが、その仕草は何か承認しがたいことがあるとでもいいたげだった。
「仕方ないわね」
軽くうなずき、優美に足を運んで会議場へ消える。ヒールの音はぶあつい絨毯に吸いこまれているのに、俺の頭には威圧的な足音が聞こえてくるようだ。扉が閉まると俺はほっとしてソファにへたりこんだ。
土曜にロードバイクで転んで、今日は金曜日。ちょうど一週間だった。絆創膏はすべて取れ、足首の捻挫もほぼ治ったようだ。折れた肋骨の上、胸から脇腹のあたりにはサポーターを巻いているものの、スーツの上からはわからないだろう。めったに締めることのないネクタイが窮屈なうえに曲がっていないか、とても気になる上、緩めるわけにもいかない。
終了まで長いと思うとため息が出そうだが、職分を果たさなければならない祖父の銀星にとってはもっと長いだろう。
主にアルファの名族 の当主で構成される長ったらしい名前の協議会(俺はいまだに正式名称が覚えられない)は佐井家では単に「族会」と呼ばれていた。公的な使命は「社会福祉の増進のための寄付金事業」だが、同時にこの会は名族間の社交と親睦、利害調整の場でもある。
佐井家当主が関わる似たような組織は他にもあったが、ここが一番規模が大きく、政府に影響力があるほど重要なものらしい。たとえばこれまで政府が決定したオメガに対する保護政策はこの協議会がまとめた提言を発端としている。といっても構成員は思想信条で集まっているわけではなく、名族の世襲となっているので、内部では派閥や争いも多発するらしい。とくにオメガ政策をめぐっては過去に何度ももめている。
……といった話を俺はこれまでまともに聞いたことがなかったのだが、ここ数年峡や佐枝の両親が果たしてきた祖父の付き添いを代わってやることになったため、峡が急遽レクチャーしてくれた。名族は例外なく資産家でその多くは企業家でもある。今日は年に一回の総会で、名族の当主だけでなく富裕層の出入り業者――呉服商、宝石商に画商、不動産屋、コンサルタントなど――も集まり、顔つなぎにいそしむらしい。
「目立たないようにしていろ。控室でなくて、銀星のすぐ近くにいるんだ」
早朝、銀星を車に残したまま俺のガレージにあらわれた峡がまず注意したのはこれだった。
「控室は家来筋のたまり場だが、零はたぶんいない方がいい。俺なら慣れているし知り合いもいるが、零はこの手の会には来たことないからな。第一苦手だろう? それから親睦会のときは中にも外にも業者がいる。伝手を作ろうと近づいてくるから引っかかるなよ。とにかく銀星のそばにいられない時は目立たないように隠れていろ」
「もともと目立つようなたちじゃない」
俺はそう答えたが、峡の気がかりな様子が逆に気になった。
「何か心配なことでも?」
「いや、その……いまの零がな」
「俺が?」
「最近いくらか感じていたことではあるんだが、その……事故のせいもあるだろう、雰囲気がその……」
「はっきりいえよ」
峡はますます口ごもった。
「いや……あまりいいたくないんだが……いかにもその……オメガらしいんだ」
俺は峡の言葉の意味がよくわからなかった。
「やっぱり今からでも中和剤を貼った方がいい?」
転倒事故と藤野谷にベータへの偽装がバレた話は昨日のうちにビデオ通話で済ませていた。ロードバイクについてはかねがね気をつけろといわれていたので、転んで肋骨を折ったというとたちまち渋い顔で説教をくらったが、偽装については峡はむしろほっとした顔をしたのが意外だった。そして明日は「オメガとして」出かけろといったのだ。
これは他にも理由があり、名族の会合に立ち会う者が「偽装パッチ」などを使っていると万が一知れるとまずい場合があるからだという。
ヒートがまた急にはじまったせいで抑制剤の服用周期がわからなくなってしまったことも伝えたが、峡はこれには渋い顔をして、当面服薬を中止するようにといった。次のヒートか、ラボで診断を受けるまで。もちろんできるだけ早く自分に診せるように、という小言もつけて。
だから今朝の俺のシャワー後の儀式は新しい香水だけだった。たまたま昨日届いたのだ。TEN-ZEROの新製品のベータ版で、オーダーメイドで合成された俺専用の香りは、サンプルとだけ書かれた試験管のようなボトルと真っ白の箱に入っていた。三波にいわれて検査チップや質問票の回答を送ったのは一か月ほど前のことだ。それまで使っていた香水が切れていたのでちょうどよかった。
ボトルを嗅いだときには森を思わせる爽やかな香りがして、肌にすりこむとそこへ甘さが重なったが、馴染んでしまった今はほとんど気にならない。ただ何となく気分はよかった。前の香りよりもはるかに俺の体臭の一部として馴染んでいるような気がする。
峡はこの香りにどこまで気づいているのだろうか。TEN-ZEROの開発コンセプトが成功していれば、この香りは他人にほとんど意識されないうちに、つけている人にもうひとつの「香りの個性」を与えているはずだ。
ともあれ彼は確認するようにスーツの俺を上から下まで眺めると、「いや、今はたぶん中和剤を貼っても無駄だ」といった。
「なぜ」
俺はいささか萎縮した気分だったが、それでもたずねた。昨夜はあわててスーツにブラシをかけ、革靴を磨き、ワイシャツにアイロンをかけている。中学校の初登校を点検されているような気分だ。
「昨夜、ホームAIが採取した零のデータを調べた。たぶん中和剤はもう――前ほどは効かない。ひょっとしたらほとんど意味がないかもしれない。もともと零の場合、一度体内のホルモン環境が成熟したら中和剤がどこまで効くのかは疑問に思っていたしな……。なにしろ成長してから抑制剤や中和剤を使っているケースじゃない、幼児の頃からの調整だ。ただ正直いって、こんなに急だとは予想していなかったが」
「原因は?」俺はさらに聞く。
峡はますますいいにくそうに顔をしかめた。
「おそらくだが」
のこりは唇だけ動かす。
セックス。
瞬間的に俺は耳まで熱くなった。
「俺にはプライバシーってないな」
冗談のつもりだった。峡の顔をみて失敗したのがわかった。
「悪い。気にしないで」
「すまん。詳しいことはわからないが、その――零の適合者についてだが」
峡は藤野谷の名前を出さなかった。
「銀星にいつ話す? それとも……」
俺は肩をすくめた。
「わからない」
車に乗りこみ、助手席から後部座席の祖父をふりむく。銀星はいつもの穏やかさで俺を一瞥すると、唐突にたずねた。
「零。何があった」
「自転車で転んで怪我をしてますが、たいしたことはないですよ」
峡が代わりにこたえてくれ、俺は内心ほっとする。
「その匂い、ベータのふりはやめているな」
「いろいろあって」俺はぼそぼそと口の中でいった。
「その方がいい」
銀星はそれ以上この話に触れなかった。
そんなわけで俺は受付をすませ、理事会へ銀星を見送ってロビーにひとりでいたのだった。たしかに控室はあったが、峡の忠告を聞いて近寄らないことにして、窓際に座り外を眺める。
先週の日曜に藤野谷に連れてこられた病院の部屋よりさらに地上は遠かった。桜の季節はもう少し先だが、空も地平もぼんやり霞がかかったように穏やかでいる。この前から俺に起きている嵐のような激変を思うと、嘘のようなのどかさだった。
「きみ、理事会はもうはじまったかね?」
ほっとしたのもつかの間、堂々とした足取りで恰幅のよい初老の男性がロビーに入ってくる。俺は時計をみた。
「あと三分で定刻ですね」
「それはよかった。遅刻すると藤野谷家のマダムがうるさいからな」
それを聞いて俺はようやく思い至った。さっきのオメガ女性――彼女は藤野谷の母親だろう。声の抑揚に聞き覚えがあったわけだ。
「おや、きみは……?」
男性はあわただしく会議場へ向かおうとして、俺を正面からみて足をとめた。
「どこの子息だね?」
俺はあわてて立ち上がり、背筋をのばした。
「いえ、家来筋の付き添いですが」
「ちがうだろう」
男性は頭半分ほど高い位置から俺を見下ろす。
「きみによく似た人に会ったことがある」
俺は思わず笑った。
「それはありません。今日は叔父の代理で、この会へ来るのは初めてですから」
「ちがう。ずっと昔だ。何十年も前、佐井家の……なんといった……葉月?」
瞬間的に答えに窮して、俺の顔は糊で固めたようになった。当たり障りのない言葉を探したまさにそのときだ。ロビーがよく知った気配で満たされた。
「鷲尾崎さん? 理事会がはじまります。母から連絡が――」
「おお、天藍君じゃないか」
俺は別の意味で緊張し、さらに固まった。藤野谷の濃紺のスーツが一瞬止まり、それから足早に近づいてくる。鷲尾崎と呼んだ男に会釈し、なめらかな動作で会議場の扉をあけた。
「母が遅刻にうるさいのはご存知でしょう。お入りください」
扉がしまったあとも俺はまだ固まっていた。もともとそれほど広くなかったロビーがぐっと狭くなったように感じた。藤野谷の匂いが鼻をくすぐる。その一方で、俺の頭は単純な事柄をひたすら並べたてていた。たしかに藤野谷の母親がいるのなら藤野谷がいてもおかしくはない。だいたい名族の会合で藤野谷に出くわすのは彼の立場を考えれば当たり前だろう。
それに日曜以来、藤野谷からは毎日何度も連絡が入り、昨夜遅くも寝る前に声を聞いているのだから、緊張するいわれもないはずだ。
にもかかわらず俺はその場に固まったままで、藤野谷が眼の前に立って俺の手に触れるまで身動きもできなかった。前はこんなことはなかったのに、と頭の中で俺の一部がいう。ずっと普通にしていたじゃないか。今もそうしていろ。普通にふるまえばいいんだ。
「サエ。どうしてここに?」
藤野谷はまっすぐ俺のそばにくると、耳のあたりでささやく。
「祖父の付き添いで」
答えるとちらりと扉に眼をやり、得心したようにうなずいた。
「今日はずっと?」
「祖父が帰るまで」
「来て」
いきなり手を引かれて俺はあわてた。ほどこうとしても強い力で握られたまま、藤野谷はずんずん進み、ロビーを横切った。
「待てって」
俺が小声で抗議しても完全に無視して大股に歩くので、追いつくために急がなければならなかった。藤野谷はロビーの脇の、直角に折れ曲がり防火扉で仕切られた小さな空間へ入ってようやく足をとめた。
「藤野谷、何――」
「サエ」
あっという間もなかった。
振り向きざまに俺はスーツごと抱きしめられている。藤野谷の眼が俺をのぞきこみ、指が俺の顎をつかむ。
「会えるなんて」
一瞬キスされるかと思ったが、吐息は俺のひたいに当たっただけだ。藤野谷はさらに強く俺を抱きしめようとする。
「藤野谷、肋骨」
サポーターをつけた胸と脇腹が不安で、俺は藤野谷の腕の中でもがいた。
「力入れるなって……」
「ごめん」
ぱっと腕が離れた。そのまま解放されるかと思いきや、今度は壁の方へ押しやられる。
「スーツのサエと会うのは初めてだ」と藤野谷は耳元でささやいた。
「いい匂い……」
「おい」
俺の口調を藤野谷は気にした様子もない。
「どうして俺に教えなかった? 今日サエが来ると知っていたら……」
「叔父の代理だし、俺はこういう会のことはよく知らない」
俺は壁に背中を押しつけた格好で藤野谷を見上げ、なんとか平坦な声を出そうとした。意地のようなものが働いて、動揺していると見られたくなかった。
「おまえは用事があるんだろう」
「次は昼食会だ。少し時間がある」
藤野谷の唇は俺の頬に触れそうなくらい近かった。
「サエ、キスさせて」
「藤野谷、こんなところで」
「天って呼べ」
嫌も応もなかった。藤野谷は俺のうしろの壁に片手をつくと顔を寄せ、俺は半開きの唇でそれを受け入れた。下唇を甘噛みされ、内側を舌先でそっとなぞられる。俺は匂いに陶然となりながら、予期しなかった安心感に包まれているのを自覚した。これまでは藤野谷に触れられるたびヒートがくるのではないかと怯えていたのに、今はキスが嬉しい。ヒートは例の時にあったばかりだからさすがに――
と思ったとたん、急に恥ずかしくなった。
「天……離せ」
唇が離れ、俺は顔が熱くなるのを感じながらつぶやく。藤野谷の眸が真正面からみつめてくる。俺は顎を両手にはさまれ、さらに耳のうらがわを指でなぞられている。ペンで模様でも描くような動きだった。その指を追うように藤野谷の唇が俺の耳たぶをはさむと、舌で裏側をなぞった。
「明日は土曜だ。サエの家に行くから、出かけたいところがあったらいって」
俺の背中にふるえが走る。
「来なくていい」
「行く。あまり時間はとれないかもしれないから、立ち寄るだけでも」
「だったらなおさらだ。来るな」
「新製品の発表が近くて決めることがたくさんある」
藤野谷は俺の話を聞いていないらしい。俺の耳元でささやき続けた。「それに今日は母が外堀を埋めようと待ち構えてる。それをかわせたら、サエのこともいずれ……」
「天、やめてくれ」
何をやめてほしいのか自分でもわからないまま俺はいった。
「俺の家に来たいのなら……来ていいから」
「ほんと?」
即座に両肩に腕が回された。やっと肋骨のことを学習したらしい。今度は抱きしめられなかった。
「サエは今日、親睦会にいるのか?」
「銀星の――祖父の隣にいるか、必要なければ外で待っているはずだ。出席者じゃなくて付き添いだからな」
すると藤野谷のまなざしが翳った。
「それなら母に会ってしまうかもしれない」
「もう会ったと思うよ」
「何だって?」
「明るいグレーのスーツを着たひとだろう。黒真珠のネックレスをつけた」
「何かいわれた?」
「誰かと聞かれた。佐井家の付き添いって答えたが……」
落胆したようなため息が聞こえた。藤野谷は俺の肩から腕をはずす。
「サエ。午後の親睦会は――母が手を回してきっと余計なことをしている。うちのグループや他の名族の口さがない連中がいるし、三波や鷹尾や、他に彼女の眼鏡にかなった連中を呼んで俺を引けなくさせる気だ」
「三波と鷹尾も来るのか?」
「ああ。特に三波を彼女は気に入ってる。三波の方はちがうらしいが」藤野谷は小声でいって、それからあわてたように付け加えた。「サエ、俺は三波とは今はもう何も――」
俺は肩をすくめる。
「天、気にしなくていい。この前いっただろう。俺はおまえの家に関われるとは思えない」
「俺はサエを離さないといった」藤野谷の声が低くなる。
「俺のしつこさを甘く見るなよ。俺は十四歳のときからおまえが好きなんだ。とにかく今日が終わったら、明日はサエの家に行く」
時計をみた藤野谷は俺のネクタイが曲がっているといい、同意も得ずに勝手に直した。昼食会の時間だといってようやく離れる。
俺はしばらくその場で息を整えてから会議場の前に戻った。足がふるえないように立っているのがやっとだった。
理事会は十分延長され、扉がひらいてあらわれた祖父の表情は疲労で少し暗かった。書類の束のいちばん上には「オメガ性拉致誘拐事件の阻止と予防」という文字が踊っている。オメガが拉致誘拐にあうのは昔から階級を問わない。ここ数十年は数が減ったとはいえ、名族ですら身代金を請求されるケースも後を絶たなかった。誘拐する側にとってもされる側にとっても、アルファを産む可能性がもっとも高いオメガは貴重な「財産」なのだ。
拉致誘拐のような直接の暴力の前には、個人の身体の所有はそのひと自身に属し、他の誰かのものにはならない、というのはきれいごとになる。今のような世の中になる前から続く問題で、オメガ性の自立や権利獲得にも障害となるテーマだった。オメガ系の当主である祖父には辛い議題だっただろう。
「零、おまえの昼食はどうなってる?」
「控室で軽食をもらえるらしい。食べて戻ってくる。書類は預かるよ」
銀星はステッキを握り、俺は書類をブリーフケースに入れた。昼食会に指定された部屋へ祖父を連れて行き、控室でケータリングをつまんで、ついでに少し周辺を探検する。午後なかばだが、絨毯がしきつめられた廊下につながる広いロビーの先では大広間のシャンデリアが光っていた。中は総会とそれに続く親睦会の準備で忙しそうだ。親睦会といっても実態は大規模なパーティで、ここで知己を増やすのは名族の仕事のようなものだ。
俺は祖父と弁護士のおかげで佐枝姓になっていることをひそかに感謝した。正直な話、あまりこんな世界に関わりたくなかった。なにしろ上流にすぎて、俺がふだんささやかにこなしているデザインやイラストの仕事とも接点がない。
しかし人間関係は何がどうつながるか、予想がつかないところがある。祖父を迎えに戻る途中、背中で意外な声を聞いた。
「ゼロ?」
「マスター?」
カフェ・キノネのマスターが俺をびっくりしたように見開いた眼でみつめていた。俺と同様にスーツを着ているが、俺と同様に着慣れていないらしく、とても居心地が悪そうだ。
「奇遇っていうかどうしてこんなところにいるのさ。仕事?」
「いや、祖父の付き添い。マスターこそ」
「僕は黒崎の手伝い。あいつの画商仕事の」
マスターは窓を指さした。午後の逆光のなかに熊のようにがっちりした黒崎さんの姿がたたずんでいる。その隣にもうひとり長身の影がある。黒崎さんはマスターの様子に気づいたのか、会話を中断してこちらに視線を向け、連れの男も俺の方を見た。締まった背中が高級な仕立てのスーツをぴしりと着こなしている。彫りの深い顔に魅力的な笑みがうかぶ。
「零」
「加賀美さん」と俺はつぶやく。
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