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注文の多い贈り物(後編)
タクシーの後部座席で藤野谷は俺の肩にぴたりと体を寄せている。膝に置かれた手に手のひらを重ねあわせると自然に指がからまって、俺たちはそのままじっとしていた。コンシェルジュの前を通ってエレベーターに乗ったとたん、藤野谷の腕が俺の背中にからまる。壁に押しつけられた状態でエレベーターが動き出した。
「天、すぐ着くよ」
「さっきの続き」
唇が重なってきて俺は声を出せなくなる。花束や贈り物を入れた紙袋を足元に転がしたまま、エレベーターが止まるまで俺たちはキスをしていた。到着しても俺はしばらくぼうっとしていて、閉まりかけた扉を前にあわてて開ボタンを押した。
リビングに入ると外では気づかなかった百合が強く香った。パーティで渡された花束からただよってくるのだ。大きな白い百合とカラーのアレンジで、名前を知らない青い花がアクセントのように散らされている。藤野谷は花束をソファの足元にほうりだして座った俺に覆いかぶさり、抱きしめてくる。空調完備のマンションは梅雨明けの外の気温とも無縁で、俺は涼しい空気のなかで藤野谷の首に腕を回し、彼の髪に指をうずめる。藤野谷の吐息が俺のこめかみから耳、首筋に触れていく。
「サエ」
「ん?」
「ありがとう」
「それはおまえの会社の連中にいわないと」
藤野谷は答えなかった。俺の首筋に顔を埋めてじっとしている。太腿にかかる重みに俺はみじろぎ、その拍子に足先が何かに当たってガサガサ鳴った。
「天、あれ。開けようぜ」
「ん――ああ」
「ふたりで開けろって念押ししていただろう。どけよ」
ラッピングをはがすと何の表示もない白い段ボールだった。クッションシートの下からあらわれたのは液晶画面で、タブレットとミニコントローラーのコードが二本、それにタッチペンのセットだ。ボタンを押すと画面はすぐに明るくなった。丸い耳に長い尻尾を持った動物がぴょこんと浮かびくるくる回る。
『こんにちは! いらっしゃいませ!』と合成音声が飛び出した。
「なんだ?」
藤野谷は怪訝な顔をしたが、俺はかまわず画面をタップした。画面にあらわれた文字は昔のゲーム画面のようなピクセルフォントで、ロボットめいた声が話をはじめる。
『こちらは注文の多いギフトショップです。本日はご来店ありがとうございます。当店ではすばらしいプレゼントをたくさんご用意しています。おふたりにはこれをぜひ持って帰ってもらいたいのです!』
「ギフトカタログ?」藤野谷がつぶやいた。
「手がこんでるな」
俺は点滅するカーソルをタップする。案内役のキャラクターはタヌキのようなリスのようなアライグマのような何かだ。
『当店はとても注文が多いギフトショップなので、お客さまにお手間をかけることがありますが、どうかご了解ください』
「どこかで聞いたような話だ」といって藤野谷がソファに座りなおす。
『さて、そういうわけでおふたりにプレゼントを選んでもらいたいのですが、もうしわけないことにすこしトラブルが起きています。じつは当店の店長がせんじつ休暇で南の島へでかけたとき、コドモダイドラゴンに囚われてしまったのです! 店長のポケットには当店の倉庫のカギが入ったままでした』
「子供大ドラゴン……」
「コモドオオトカゲのもじりだろう」
『そこでお客様に最初のご注文をさせていただきます。どうか店長を南の島からつれもどしてください!』
テレッテレッテッテー
「ゲームか」藤野谷があきれ顔でいった。
「そういえば三波がへんなこといってたな」俺は思い出す。「注文の多い贈り物ですからって」
「なにが南の島だ。三波のシマだろう」
「これまさかオリジナル?」
「そこまで暇じゃないだろう。あ――そういえば開発部には趣味でインディーズゲーム作ってるのがいたな……」
「あのキャラ、おまえに似てないか」俺はタッチペンで店長を指さす。「なんとなくさ」
「気のせいだ」
ぐずぐずしているうちに画面が変わり、攻略ヘルプとチュートリアルがはじまった。これは――乗るしかないだろう。俺は画面に従ってコントローラーをつなぎ、チュートリアルのミニゲームを起動する。藤野谷にもうひとつのコントローラーを持たせ、並んでローテーブルに置いたタブレットを見下ろしてピコピコと操作する。チュートリアルのあとで本番がはじまって、どこかでみたような敵を倒していくダンジョン攻略かと思ったら、その次に登場した「敵」は投資ゲームだった。
「天、設備投資と研究開発費の比率を決めろって」
「は?」
「アイテムボックスに『ざいむ三表』が入ってるぞ。おまえの得意分野だろう」
おいおいとかなんとか藤野谷はつぶやくとタブレットにかがみこんだ。登場する「敵」はシューティングや図形回転パズル、脳トレめいた計算問題などさまざまだ。ひとつひとつは単純なのだが、次々に繰り出されて、そのたびにタッタラッタッターというメロディが鳴る。同時に『注文があります! 注文!』という文字が浮かび、クリアすると『ご注文ありがとうございました!』と出る。
「どっちがどっちに注文してるんだかわからないな」
藤野谷が苦笑した。
「でもたしかに注文は多いぞ」
「いつまで続くんだこれ」
「店長を助けるまでだろう」
おいおいと藤野谷はぼやいたが、俺にはとても新鮮だった。高校生の時も藤野谷とテレビゲームをしたことなんてない。こんなふうに肩をくっつけて、同じ小さな画面をみつめたことも。
意外にも藤野谷はシューティングや指先を使うタイプのゲームが苦手だった。戦略的な計算は瞬時にやってのけるくせに。
「天、もっとちゃんと見ろよ。指じゃなくて画面」
「俺は慣れてない」
「こんなの止まってるみたいなもんだろ」
「サエは自分の動体視力がおかしいってわかってない……」
攻略をすすめるたびにゲージにたまる「プレゼント」が増えていった。気づくと日付が変わっている。俺はあくびをし、藤野谷はコントローラーを置いた。
「サエ、寝よう」
「これ最後までやったら何が出てくんのかな……」
「今日は終わり。寝るぞ。明日がオフでよかった」
もうちょっとだけ……という俺の願いをよそに藤野谷はさっさとセーブポイントに行ってしまった。電源を落とす前に「さいかいのあいことば」を決めろという指示が出る。起動用のパスワードだろう。藤野谷がさっさと打ちこもうとするので俺は横からのぞきこんだが、すかさず背中に遮られる。
「なんだよ天。それ、知らないと俺が入れないだろうが」
「駄目だ。教えない」
「何で」
「サエがひとりで続きをしないように」
「ええー」
「俺が寝てる間にこっそりやりかねない」
図星だったので俺は黙った。藤野谷は笑って俺の髪をかき回す。
「ゲームは一日一時間」
「子供じゃないんだから。それにもう二時間以上やってるぞ」
「だったら子供の時間は終わりだ」
するりと俺の背中から胸へ藤野谷の腕が回される。首のうしろに息がふきかけられ、呼ばれる。
「サエ」
熱い舌が俺のうなじを舐め、とたんに背筋に熱がこもった。腰の中心まで甘い疼きが走り抜ける。
藤野谷の手のひらが服の上からへそのあたりを覆い、さわさわと撫でるた。舌先は俺のうなじの噛み痕――かさぶたのようになっているのだ――に触れたままだ。背後で藤野谷の匂いが濃く強く立ちのぼる。陶酔に息がとまりそうになる。
「天……ずるい……」
「ずるくない。ずるいのはサエの方だ」
藤野谷の舌がうなじから首筋をたどって耳の裏を舐めていく。耳たぶをゆるく噛まれ、俺の腰は勝手に浮き上がりそうになる。背中をソファの座面に押しつけられたと思うと藤野谷の顔がすぐそばに近づき、俺は眼を閉じてしまう。鼻から抜けてくる彼の匂いに脈が速くなり、自然にひらいた口に彼の舌を受け入れる。夢中でキスしている隙をつくように、藤野谷の指がシャツの裾から内側へ入りこむ。乳首を直接つままれて俺は体を震わせる。
「あっ……天……待って……風呂入ってな――」
「風呂でしたい?」
「ちが――」
のしかかる重みを感じながらもう一度眼をあけると、俺の視界をいっぱいに覆っているのは藤野谷のまわりに見えるあの色だ。きらきら光るまばゆい夜の色。
今朝はアラームが鳴らなかった。
なのにどういうわけかすっきりと目覚めて、俺は仰向けになったまま天井をみつめていた。藤野谷は隣で同じように仰向けで眠っている。寝息は静かでまだ完全に熟睡体勢だ。無防備に眼を閉じた顔はふだんより子供っぽい。
そっと起き上がってキッチンへ行き、水を飲んだ。リビングを通って戻ってくると昨日の『贈り物』が眼に入る。俺は箱ごと寝室にもちこみ、タブレットを起動する。
『さいかいのじゅもんを入力してください』
パスワード。藤野谷が勝手に決めたやつだ。何にしたんだろう?
彼の名前、TEN-ZERO、Singularity――春に発売した新製品――藤野谷の誕生日を組み合わせたり、適当に思いつくものを入力してみるが、どれもはじかれてしまう。やっぱり無理か。あきらめようとして、最後に思い立って自分の名前を入れてみた。やはり何も起きないので、末尾に誕生日を追加する。
テレッテレッテッテー
『おかえりなさい!』
「あれ、入れた……」俺は思わずひとりごとをいった。
「簡単すぎるぞ」
「悪かったな」
横からにゅっと腕が伸びた。藤野谷はタブレットを持つ俺の肘に手をかけ「ほら、俺のいったとおりだ」という。
「何が」
「サエひとりで続きをやろうとしていた」
「そんなことない」
俺は反射的にいいかえしたが、頬が熱くなった。
「だってほら、最後までクリアしないとTEN-ZEROの連中が何をやったかわからないわけだし……どうせひとりじゃ進められないゲームになってるし」
いいわけがましくつぶやいたが、藤野谷は気分を害したふうもなく、逆に口元をゆるめてふふっと笑う。
「いいよ。サエが可愛い」
「何だよ」
「続き、どうなってる?」
「ここをクリアしたらコドモダイドラゴンの洞窟」
窓の外の光を無視してカーテンを閉じたまま並んでベッドに寝そべると、俺たちはコドモダイドラゴンの洞窟に囚われた店長を助け出した。コドモダイドラゴンはピンクと黄色のドットの組み合わせだ。藤野谷と息を合わせて攻撃を加えていくたびに小さくなり、最後は青いスーツの店長の足元にオモチャとなって転がってしまう。
「天、ここで店長に攻撃させて!」
「こう?」
「連打して連打!」
『必殺技グレートラッピング! はつどう!』
青いスーツの店長はすばやく足元のオモチャを拾い上げ、次の画面にうつるとドラゴンはリボンのかかった箱におさめられていた。
チャララーッチャチャータラララララー
『やられた……このわしがプレゼントに墜ちるとは……』
「こういうオチか」
箱のリボンが液晶画面いっぱいに広がり、ふわっとほどける。ドットがぼやけ、音楽がやんだ。これまでとちがう映像に切り替わったのがわかった。闇の中に細い線があらわれる。からみあう線が重なり、影をつくり、その影が動いて画面の奥に消える。と、誘われるように別の像が浮かび上がった。俺と藤野谷だった。
――いや、俺たちだけじゃない。三波も鷹尾も、マスターも、TEN-ZEROの他の社員たちもいる。
すべて|CAFE NUIT《カフェ ニュイ》の壁を背景にしたスナップだ。画像はすばやく切り替わっていく。ビールのジョッキをもちあげて乾杯するTEN-ZEROの社員たち。ワゴンに乗ったケーキ。三波が黒猫を抱き上げている瞬間。鷹尾が指についた生クリームを上品な仕草で舐めている。黒崎さんとなにやら囁きかわしているマスター。そして俺の横で笑っている藤野谷のスナップが何枚も――
「……あいつら、いつこんなに撮ったんだ」
藤野谷がいった。声の調子がすこし変だった。昨日のパーティを企画したTEN-ZEROのチームはこの箱を俺に渡す直前まで作業していたにちがいない。ゲームが完全に終了した後の画面はフォトアルバムのようなデザインで、納められていた画像は昨夜のパーティだけではなかった。春の新製品発表会、その前の中間発表の記録写真もある。慣れないスーツを着た俺がぎこちない様子で写る一方、登壇する藤野谷は堂々としたものだ。
それより前の日付の画像には藤野谷ひとりしかいない。プレス向けに撮ったらしいスーツ姿。取材を受けているのか、カメラが写りこんだ会議室で話をする彼。俺はつぎつぎに画像をひらいていった。最後の画像の藤野谷はずっと若かった。プロフィール写真のようだ。日付が残っていないが、ひょっとしたらTEN-ZEROを創業したころなのかもしれない。睨むようにこちらをみつめる視線は鋭くて凄みがあるが、可能性と同時に脆さも感じさせる。今とちがって。今と――
「天、おまえずいぶん――顔、変わったな。こうして並べないと気がつかないけど」
「そうか」
藤野谷は低い声で答えた。俺はタブレットを枕の上に押しやった。横に寝そべる藤野谷の顔をのぞきこもうとしたが、後ろから彼の腕が回る方が速かった。背中から横抱きにしようとする藤野谷に抵抗して正面を向くと、今度は胸のあたりに顔を押しつけられてしまう。まったく。
「天?」
「ん?」
「おまえ、もしかして泣きそう?」
「まさか」
「嘘つけ」
藤野谷は答えなかった。そのままの姿勢で俺を抱き、髪をかきまわしている。遠くの方から微笑がこみあげるのを感じながら俺はされるままになっていた。腕の中の暗闇は柔らかく、とほうもなく甘い匂いがした。
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