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流木の夢
十二月に入って最初の月曜日、佐枝の母から荷物が送られてきた。中身は庭で収穫した冬野菜、父手作りのシュトーレン(しばらく寝かせるようにというメモは例年通り)地元の食材市で買ったという鹿肉の缶詰。さらに母手製のクリスマスオーナメントに、真っ赤な実がついた山帰来 のリースが入っていた。
クリスマスオーナメントは色ちがいのものがふたつ入っていた。銀粘土で作られたとおぼしき小さな星に色ガラスがはめこまれたものだ。ふたつの星を俺はしばらく手のひらで転がして感触を楽しみ、あとで飾るために箱にしまった。
カードには「お隣に山帰来をたくさんもらったからお裾分け」とだけ書いてある。そのまま掛けてもいいくらいだが、俺はすこし手を加えることにした。紅く色づいたナンキンハゼの葉を細いワイヤーに通してつなぎ、鎖のようにしてリースに巻きつける。骨を思わせる白さの実は山帰来の赤い実の間にちりばめ、玄関のドアに吊るした。
「すごくきれいだ。買ったのか?」
帰宅してコートを脱ぎながら藤野谷がそんなことをいう。
「今日作ったんだよ。佐枝の母さんから山帰来をもらったから、庭のナンキンハゼで」
俺がそう答えると藤野谷は怪訝な表情になった。
「ナンキンハゼ?」
「中庭の木だよ。毎日みてるだろう」
俺はリビングの窓から中庭を指さす。ここ数日の冷たい強風で葉はすっかり落ちてしまい、枝先の白い実だけがソーラーライトの光にぼうっと浮かんでいる。リースに飾った葉は、紅葉がいちばんきれいだった時に採って保存しておいたのだ。
「こんな木、あったか?」
「あったよ」俺は笑った。「おまえ、香りにはくわしくても本物の植物には疎いな」
藤野谷は俺のからかいに口をとがらせた。
「木は見た目が変わるだろう。葉っぱが落ちたり花が咲いたり……サエみたいに一年中どれが何の木かわかる方がおかしいんだ」
「負け惜しみをいうなよ」
「負け惜しみじゃない」
「どこが」
俺はまた笑って藤野谷の背中をどやしつけた。外は寒くなったが、暖かい家の中ではくだらない口論も楽しい。
夏に引っ越したとき「ホラー映画みたいだ」と三波にからかわれた庭は、その後あちこちに手を入れたのと最近の落葉とですっかり見通しがよくなった。今はほとんどが灰色と茶色の冬の色に覆われて、|山茶花《サザンカ》のピンクの花だけが彩りを添えている。
近所を散歩すると、いくつもの家の庭や窓にクリスマスのイルミネーションが光っている。だが俺は山帰来のリース以外に特別な飾りを作るつもりはなかった。翌日物置から引っ張り出したクリスマスツリーはひとりで暮らしていた時と同じものだ。骨のように白く磨かれた流木の枝のオブジェをリビングに据えて、毎年佐枝の母から贈られるオーナメントを吊るす。そのうちのひとつ、木彫りの小さなトナカイは俺が生まれたときのものだ。
その晩、藤野谷は帰宅するとまっすぐツリーのそばにいった。オーナメントをひとつずつじっくり眺め、木彫りのトナカイをみつけると指先でつついている。
俺は横から口を出した。
「そのトナカイ、天のおもちゃになってたんだろ」
いまでは俺は知っていた。佐枝の母が同時に作ったトナカイの一匹は葉月にも贈られていた。彼が死んだあと藤野谷家のどこかにあったものを、子供の藤野谷が拾ったのだという。
藤野谷は悔しそうな顔をした。
「なくさなければよかったな。そうしたらここに吊るせたのに」
「子供のころのおもちゃなんてそんなものだろう。気にするなよ」
「これ、毎年増えているんだろう? 今年のもあるのか?」
「今年はこれ」
俺は銀の星を指さした。
「ふたつある。ひとつはおまえの分」
藤野谷の眼が丸くなった。「俺の?」
「そうだろう。いつもはひとつだし」
「そうか。お礼――しないとな」
まじめな顔でそういった藤野谷がなんだか可愛くみえて、俺は彼の髪に手を伸ばす。
「かしこまって考えるなって。ふたりでカードを送ろう。母さんのことだからオーナメントを贈る相手が増えて喜んでるよ」
佐枝の母のオーナメントを藤野谷は本当に気に入ったらしい。翌日の朝も家を出る前に彼は枝に下がる銀の星をつついていた。ふたつの星にはそれぞれ水色と黄緑の色ガラスがはめこまれ、光が当たると淡く色づいた影がリビングのカーテンや床で揺れる。
俺もひとつ作ってみようかと急に思いついたのはただの気まぐれだったが、そんな藤野谷の様子に触発されたのかもしれなかった。このオーナメントは俺がクリスマスを迎えるたびに追加されてきた。今年佐枝の母から贈られたふたつめの星が藤野谷の分だとしても、俺がもうひとつ作って毎年足していけば、いずれオーナメントの数は俺とあいつの年を足した数になるだろう。
そう思うとなんだか楽しくなって、俺は本気で何を作ろうかと考えはじめた。これは自己満足もかねた秘密の贈り物のようなものだから、藤野谷に話すつもりもなかった。こっそり増やしていって、ずっとあとになって藤野谷が気づくときがあったら面白い。そんないたずらめいた気分もあった。
母のように手工芸歴があるわけでもないからやれる範囲で作ることにして、結局俺は絵を描いた。俺のいつものやり方――皺をよせた紙をなぞったパターンを何枚も重ねる方法――で下絵を作ったのだ。そのあとは例によっていろいろな思いつきを試した。表面処理をした木製のキューブに下絵を写すと、極細の筆でなぞり、様々な色の線を塗り重ねる。絵具が層になるまで繰り返した後、キューブの面に星や月のレリーフをナイフで削り、色の層を剥き出しにする。
イブの一週間前に仕上がったオーナメントは俺としては満足のいくものだったが、母が作るものとはずいぶんちがうテイストになった。そのせいか、流木の枝に吊るすと思ったより目立つ。
俺はちょっと迷って結局外した。藤野谷は庭の木はろくに見ないくせにこういうものには目ざとい。クリスマス直前に飾ることにしよう。
クリスマスはイブも当日も特に予定はなかった。藤野谷はイブも会社があるし、年末年始はそれぞれの実家を訪問することになっていたから、家でゆっくりすごすことにしたのだ。毎年この時期はなにかと俺の世話を焼いてきた峡も今年は音沙汰がなかった。三波と仲良くやっているのだろう。
「天、サンタのプレゼントは靴下に入れるのとツリーの下に置くのと、どっちがいい」
イブの朝にそうたずねると藤野谷はまじめな顔で「靴下は吊るしたことがない」という。
「じゃあ俺が吊るしておいてやるよ」
「プレゼントが靴下に入らないサイズだったらどうするんだ。ずっと不思議だった」
「欲張りだなあ。そんな欲張りにはサンタはろくなものを持ってこないぞ」
「靴下限界でプレゼントを決めるサンタの方がケチじゃないか」
「靴下限界ってなんだよ」俺は吹き出した。「いいから今日は早く帰れよ。ケーキを注文したし」
藤野谷の腕が回ってきて、俺たちはキスをする。習慣のようになった毎朝のキス。なのに今日は藤野谷の香りが強く感じられて、俺は突然背中を走り抜けた震えに吐息をついた。
「サエ」藤野谷が耳元でささやく。「近いんじゃないか?」
「あ……」
俺は顔が熱くなるのを感じた。ヒート。つがいになってから藤野谷は俺のささいな変化に敏感で、前兆に気づくのも早い。
「そうかもしれない」
「できるだけ早く帰る。無理するなよ。特別なものなんていらないから」
「でも――」
「俺には毎日がクリスマスみたいなものだ。サエがいるから」
藤野谷は俺が赤面しそうなことを平然とのたまうと会社へ行った。
クリスマスという行事に対する感じ方は人によって様々にちがいない。俺にとってクリスマスは子供の気分に戻れる機会のひとつだ。ジングルベルの音楽、街にあふれる赤と緑、リボンや星や鈴で飾られたモミの木、イルミネーション。子供時代のクリスマスは家族――佐枝の両親と峡、佐井の祖父――と過ごす優しい時間だった。大人になるとそんな時間はなくなったが、クリスマスは俺にとって基本的に暖かいものだった。
でも藤野谷にとってクリスマスはそんな時間ではなかったようだ。子供のころのクリスマスについて藤野谷が話すのを聞いたのはいつだったか。いい記憶だとは思えなかった。寒々しい大きな家の玄関で、豪華なツリーが夜中も光り輝いている。大人はみな出かけていて、子供の藤野谷はひとりでベッドに潜っている。夜中に部屋を抜け出して、こっそりツリーの光を眺めている。
頭に浮かんだその光景を俺は何となくスケッチブックに描いた。はっと気づくと昼近くになっている。あわてて買い物へ出かけると午後はささやかなクリスマスのごちそうを準備した。チキン、サラダ、前菜を何種類かと、薪のかたちをしたケーキ。そしてこの前完成したオーナメントを流木のツリーにひっそりと吊るした。
夕食時になり、藤野谷を待って皿を並べているうちにだんだん頭がぼうっとしてきた。肌の内側が火照るような気配は明らかにヒートの前兆だが、妙に眠い。俺は明かりをいくつか落とし、リビングのソファに横になった。空調の風を受けて枝先のオーナメントがゆらゆら揺れる。
壁の上でいくつもの影が重なる様子は見慣れた部屋をすこしちがう光景に変えていた。夢うつつで影のゆくえを眺めながら、俺はいつの間にか手を伸ばして壁に絵を描いていた。流木の枝のオーナメントに触れると光る絵具が指先につくから、それで絵が描けるのだ。クリスマスの絵を描くべきだな、と俺は思った。定番のサンタや天使、橇にトナカイ。そこから連想が広がって、犬やゾウ、麒麟――アフリカのキリンではなく――を描き、煙突のある家を描いた。
急に光る動物たちやサンタが壁の上で生き返った。楽しそうに踊ったり走り回ったりしながら、俺に仲間をもっと増やせと催促する。俺はオーナメントに触れて絵具を足し、描けるだけの動物を描く。リスや猫、ウサギ、キツネ……俺の指が動くそばからすべてのものが生き返り、やがて壁から俺の手に飛び乗ってきた。くすぐったさと幸福感に包まれて俺は笑い出し、光の生き物をつかもうと手を伸ばして――
「サエ?」
はっとして眼をあけると藤野谷が覆いかぶさるようにしてソファに寝転んだ俺を見下ろしている。俺はあわてて手をひっこめる。
「天――おかえり」
起き上がろうとしたとたん頭がくらりと傾いた。匂いのせいだ。藤野谷の匂い。それに色も。甘くて強くて――
「そのままでいい」
藤野谷がささやいた。その響きも振動として背筋を伝わり、腰のあたりがぞくりとうずいた。
「サエ、夢をみてた?」
「あ、うん――動物が――俺が描くと生き返るんだ。壁の上で……」
「ヒート、はじまってる?」
「食事……準備してるんだ。チキンと――ケーキもあるし。クリスマスイブだから……」
そういいながらも俺は藤野谷から眼が離せなかった。腰の奥から背中に熱がのぼる。うなじのあたりがひくひくして、背筋にまた震えが走る。
「後でいい」
「でも……」
藤野谷の腕が俺の首を抱いた。上にのしかかる重みに全身が安堵した。肌をもとめて俺の手が勝手に動き、頭はすでに上に乗った男とひとつになりたい欲望でいっぱいだ。なのにまだいくらか寝ぼけていた俺の唇はとんちんかんなことを口走った。
「だめだよ、天――イブの夜はちゃんと食べて寝ないと、サンタが――」
クスクスと笑う声が耳たぶをくすぐり、尻のあたりから溢れた液体が足のあいだを濡らした。
「大丈夫だって」藤野谷の低い声が胸に直接響いてくる。
「サエで十分だ。俺のサンタクロース」
「俺はあんな白髭ジジイじゃない」
「知ってる」
首筋をたどる藤野谷の吐息の熱さに俺の全身が甘くうずいた。うなじに歯を立てられると背中が勝手に跳ねあがる。壁に映った流木の影はひらいた翼のような形をして、俺が飛び立つのを待っている。
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