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紅葉かつ散る―秋四題
天とサエ、16歳の頃~本編終了後あたりの、秋をめぐるミニエピソード四篇。FANBOXのワンライ投稿企画で公開した掌編のまとめです。
【第一題 いたずらなクッキー】
「うわっ、やめろって」
背後で響いた悲鳴にふりむくと、お面をかぶったクラスメイトが別の生徒にじゃれついているところだった。
「おまえ怖えよ、いまマジ怖かった」
「ハハハッ、これサイコー。文化祭楽しみになってきた」
「はぁ、今になってそんなこといってんの? 明日からなのに」
「だってさぁ、準備かったるいじゃん。でもいざ出来上がるといいもんだなって」
「たいして働いてないくせによくいうぜ」
高校に入ってはじめての文化祭は明日の土曜日にはじまる。俺たちの教室は暗幕とセットで覆われていた。ありきたりのお化け屋敷だが、裏方の美術係としては満足のいく仕上がりだった。俺はスクールバッグを肩にかける。
「佐枝、帰る?」
お面にからかわれていた方が目ざとく気づいて手を振った。俺はうなずき返して廊下に出る。そのとたん横から声がかかった。
「サエ、もう帰るのか?」
藤野谷だ。どうしていつも狙いすましたようにあらわれるのだろう。
「ああ、やること終わったし」
スクールバッグの肩ひもをずらすと、藤野谷はあわてたようにいう。
「待って、俺も帰る」
「天はまだ何かあるだろ?」
「何で? 準備は終わってる。そこにいろよ」
そこにいろ、か。
強制してるわけじゃない。でもなぜか逆らいにくい。これも藤野谷がアルファだから? それとも、こんなこと考えてしまう俺が変なのだろうか。藤野谷は友達だ。クラスの他の生徒は俺を藤野谷のオマケとみているかもしれないけれど――というのも、藤野谷と仲良くしたい生徒はたぶん他にもいるからだ。
「あのお面、ほんといい」校舎を出て歩きながら藤野谷は得意そうにいって、こう続ける。「顔を描いたサエの腕だよな」
「そんなことないよ。クラスで作ったんだ」
「謙遜するなって」
なんか恥ずかしいんだよ、といいたいところを俺はこらえる。いくつも作った脅かすためのお面はたしかによく描けたと自分でも思う。でも藤野谷は臆面がない。
「公園、抜けて行こうぜ」
街灯が左右にならぶ道を指さして藤野谷がいう。日が暮れるのが早くなったから人は少なめかと思いきや、今日は妙にごった返している。突然横を舞台衣装のようなマントを着た人が通った。薄暗さもあって俺はぎょっとしたが、前方にオレンジと紫の光る文字がみえたので、理由がわかった。
「ハロウィン?」
「――だな」と藤野谷がいう。昔の外国映画でみたカーニバルか移動遊園地を連想するカラフルな屋台がいくつか並んで、いつもは休憩のテーブルとベンチが置かれているだけの広場が、今日はカボチャのランタンや旗で飾られている。
「一瞬お化け屋敷の世界に入ったかと思った」
思わずつぶやくと藤野谷がクスっと笑ったので、俺は文句をいう。
「ここしばらくおどろおどろしい絵ばかり描いてたんだぞ」
藤野谷はまったく動じなかった。好奇心丸出しで屋台をみつめていった。
「ハロウィンだからトリックオアトリートだ。サエ、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」
「いたずら? まったく……」
「あのクッキー、美味そう」
「クッキー?」
「アイスもある」
俺が怪訝な声をだしているあいだに藤野谷はもうその出店に向かっている。すぐ隣からは香ばしい焼き栗の匂いがした。
「サエはどれがいい?」
「えっと……やっぱカボチャかな……」
のぞいていると俺と藤野谷のうしろにも人がたかりはじめた。藤野谷が買ったクッキーは魔女の帽子のようなとんがった袋に入っている。
「お菓子を食べなきゃいたずらするぞ」と藤野谷がいう。
「そうじゃないだろ」
「ほら、サエの分」
歩きながら俺は藤野谷が差し出したクッキーを受け取る。手作りのようなクッキーは大きく、ナッツが入っている。噛むとボロっと崩れそうになる。あたりはどんどん暗くなっていく。街灯と屋台の明かりとハロウィンのランタンが奇妙に懐かしいような気分をかきたてる。歩きながらクッキーを齧るなんて小さな子供みたいだ。
「サエ」
「ん?」
「顎のとこ、なんかついてる」
「え?」
自分の手よりも藤野谷の方が動くのが早かった。指が顎に触れたのはほんの一瞬で、すぐに離れていく。藤野谷の袖から甘い香りが漂い、俺は理由もなくどぎまぎして、目をそらす。公園を取り囲むカボチャのランタンがニヤニヤ笑いながら俺たちを見ている。
*
【第ニ題 紅葉の手】
重厚な瓦屋根をいただく藤野谷家の母屋を出て、横にのびる石畳の小路を進んでいく。まもなく苔むした石に囲まれた翠色の池があらわれるが、道は池にそってまだ続く。静かな表面には色づきはじめた紅葉が影を落としている。左右の木立を抜けて歩くうち、周囲はしだいに洋風の庭に変わっていく。
「昔はここも庭の一部でね」渡来がふりむきざまにいった。
「今いるあたりにベンチが置いてあったはずだ。晴れた日は葉月が座っているのをよくみた。カメラを持っていることもあった」
俺と藤野谷は渡来のあとに続いている。彼は今の藤野谷家を誰よりもよく知っているにちがいない。もしかしたら当主よりも知っているのかもしれない。
「渡来さんは葉月とよく話したんですか」
藤野谷がたずねると、渡来は予想外のことを聞いたように眉をあげた。いつも冷静で、表情をあまり変えない人だけに珍しい反応だ。この家で長いあいだ禁句に等しかった葉月の名前が出たせいだろうか。
「いや。私は藍閃とは学生時代からつきあいがあったが、葉月にとってはただの使用人だからね。葉月は私が藤野谷家で働くすこし前からここの離れに住んでいたが、親しく話をすることはなかった。……ここで彼のことを話しているとおかしな気分になるな」
「そうですね。葉月の話題は長年タブーだった」
「これからはそうもいかないだろう」
俺は渡来からもらった葉月の写真を思い出した。たしか紅葉の写真も一枚か二枚あったはずだ。
小路の幅は狭くなり、藤野谷とふたりでならんで通るとぶつかってしまう。俺はわざとゆっくり歩き、列の最後をついていく。どうせ落ち着きなく辺りを見回してしまうのだから、この方がいい。
初めて来たときも思ったが、見事な庭だ。石も道も木々も、どの角度からみても絵になるように設計され、手入れされた立派な庭。完璧にみせようとする意図がわかりすぎて、息苦しさすら感じてしまう。佐枝の母が菜園を作ったり、ハーブを育てたりして好き勝手にやっている佐井家の庭とは雲泥の差だ。
「サエ?」
藤野谷が怪訝な声をあげたので俺はあわてて弁解する。
「あ、ごめん。珍しくてつい……俺の実家も紅葉を植えてますが、ここは見事ですね。でも庭の様式としては変わっている方じゃないですか? 」
後半は渡来にいったのだった。年配の男はうなずいた。
「古いものと新しいものが混ざっているからね」
「そうなのか」
藤野谷は初めて気がついたようにつぶやいたので、俺はつい笑ってしまった。
「自分の実家なのに。どうせおまえは庭のデザインなんて興味ないんだろうけど」
藤野谷はきまり悪そうな顔になった。渡来が突然手をあげて母屋の方向をさす。
「藍閃がよくそこから庭をみていたよ。葉月がこの家にいた頃だ。改築したから、当時のまま残っているのはその窓だけになったが、葉月はよく庭にいて……藍閃はその窓から葉月をみていた」
俺と藤野谷はそろって渡来が指す方を向く。かなり離れたところに大きな窓があった。今はカーテンの柄しかみえない。
「それは最初から?」
俺は思わずたずねた。最初から――つまり、俺のもうひとりの父親である空良と葉月が出会う前から?
「ああ、そうだね」渡来はうなずいた。
「私がはじめて葉月に会ったのは婚約中のころだ。藍閃はずっと同じような調子だった」
藤野谷がぼそりとつぶやいた。
「庭にいるのなら、見ていないで隣にいけばいいのに」
渡来は口元をゆるめて笑った。
「まあ、昔の許嫁や新婚は、今のように人前でつがいの相手をひけらかさなかったものだ」
俺はいつのまにか肘に触れている藤野谷の手を意識する。さりげなく外そうとしたが、逆にぐっと掴まれてしまった。渡来が笑いをこらえるのがわかった。
庭を渡るように風が吹く。ふと目をあげると、紅葉が小さな手を振るようにして、俺を迎えているような気がした。
*
【第三題 逃した秋刀魚は…】
「僕はいま、とても後悔していることがあって」
三波が悔しそうに顔をしかめながらいった。いつものことながら、どんな表情をしてもサマになる美貌である。
「佐枝さん聞いてます?」
「聞いてるよ。なんでそんなに後悔してるって?」
「なんと今年、僕は秋刀魚を食べそこねてしまったんです! 旬の秋刀魚を!」
いったいどんな大問題がが起きたのかと思ったら……なるほど、とうなずきはしたものの、俺はすこし返事に困った。
「あ、そう……秋刀魚かあ。そういえば俺も今年は1回しか食べてないな」
「佐枝さんは食べたんですね……」
じんわりした口調でそう返されて、まずい、いわなきゃよかったと俺は後悔する。三波は凄みのあるじとっとした目つきで俺をみている。
「このまえ実家に行った時のことだよ。俺、焼き魚ってどうも苦手で」
「え、嫌いなんですか?」
「いやいや、料理がってこと」
三波はここでなぜかぐっと拳をにぎった。
「……僕も自分で焼いたことはないですけど、毎年10月は秋刀魚月間として定食屋にいったら逃さないことにしてるんです。焼きたての秋刀魚って感動的じゃないですか? 焦げた皮がちょっとパリッとして身はじゅわっとして、食べるたびに生まれてきてよかったと思うのに……それが今年はなぜか機会がなくて!」
なるほど。正直な話、俺はそこまで秋刀魚に思い入れはない。しかしモデルみたいな美貌の持ち主が真剣な顔で焼き魚を語る図はかなり面白い。
三波は食いしん坊である。
知りあったばかりの時、俺は三波のことをいわゆる垢抜けたタイプの人間だと思っていた。今考えると申し訳ないが、主に外見のせいである。ファッションや話題のスポットや写真映えのする料理が好きなのだろうと、一方的に思い込んでいたのだが、まもなく、というかすぐにそうではないことがわかった。
たしかに三波は服装にはこだわりを持っている。しかし食べ物に関しては、三波はただの食いしん坊だ。食べることが好きなのだ。
ちなみに三波とつきあっている叔父の峡は作って食べさせるのが好きな人間だから、世の中というのはうまくできている。
「峡に秋刀魚食べたいっていったら喜んで焼いてくれただろうに、あいつ忙しかったの?」
しかも峡の名を出すと顔つきがさっと変わるから、ますます面白いのだ。
「え、それは、それはまた別の話です!」
「照れなくていいよ」
「照れ――ちがいます、僕は単に秋刀魚を逃したといいたかっただけですから! 実家って、ボスも一緒だったんですか?」
「うん、そうだけど」
突然俺はその時のことを思い出した。
「そういえば藤野谷家ってああいう魚、あまり出さないのかな」
「何のことです?」
「天のやつ、骨とるのに苦戦してたから、慣れないのかなと思って」
「へ――あ、でもわかる気がします。だいたいボスのあの顔で秋刀魚食べてる図って、なんか間違ってる気がしますよ」
「あの顔」とはひどいいわれようである。俺は吹き出しそうになった。
「それをいうなら三波もだろ」
「え、なんで?」
「いやいや、何でもない。じゃ、甘栗でも食べる?」
三波はぶんぶんと首をふってうなずいた。
「秋っておいしいものがいろいろあって、いい季節ですね」
*
【第四題 空の色、天の色】
気がつくと庭のナンキンハゼが紅葉していた。橙から赤へ、グラデーションに染まった葉が風にふるえている。この家の以前の所有者は、この木をシンボルツリーのように庭の真ん中に植えていた。リビングの掃き出し窓からはきれいに広がる枝ぶりが正面にみえ、梢が秋晴れの空に照り映えて美しい。
その一方で、リビングの壁はいささか殺風景だ。もちろん、シンプルにまとめて何も飾らないという手はある。でもひとつの壁だけはがらんとした空洞のようにみえるのが気に入らなくて、さっきから俺は額縁を片手に壁の前を行ったり来たりしている。
額縁の中身は葉月が撮った写真で、展覧会で非売品にしたものだった。どこかの都市にある建物の、ショウウインドウに、雲と空良と葉月自身が映りこんでいる様子を撮ったもの。俺の実の両親が並んでいる唯一の写真だ。空良と暮らした短い期間に葉月がこれを撮れたのを、今の俺は素直に喜んでいる。
でも、いまだに気になっていることがひとつある。
葉月と空良は〈運命のつがい〉だった。俺が藤野谷にあの色――絵具や画面に再現するのに苦労しているあの色を感じていたように、葉月も空良に特別な色をみていたのだろうか。それともこのおかしな感覚は俺だけのものなのだろうか。
べつにそれが何であっても困ることではなかった。でも、葉月は空良と一緒の時に最良の作品を残したのだと思うにつけ、つい考えてしまうのだった。おかげで玄関のドアが開いたときも俺は額縁を片手にぼんやり立っていて、帰ってきた藤野谷に「どうしたんだ?」と聞かれるはめになった。
「いや、これをどこに飾ろうかと思って……」
「ああ、その写真か。リビングにあると良さそうだな。この辺とか?」
藤野谷は無造作に手をあげて壁の一点を指す。なるほど、こういうときに身長が高い人間がいるのは便利だ。そういえば三波が以前そんな話をしていたっけ。だけど藤野谷が動いていると、単に身長がどうとかいうだけでもなくて……。
俺は白い壁の上に、俺にしかわからない藤野谷の色が散るのをみる。
「サエ?」
「あ、うん。そうだな、やっぱりその辺になるか」
「吊るすなら金具がいるんじゃないか? つけようか?」
「ピクチャーレールがアトリエにあるから」
持ってくるよ、というつもりだったのに、言葉が途中で止まってしまった。藤野谷が怪訝な表情で俺をみた。
「天、ちょっとそのままでいて」
「え?」
「手をあげたまま、あと五秒……うん、いいよ。ありがとう」
藤野谷の目は完全に「意味がわからない」と語っていた。俺は吹き出しそうになった。
「サエ、いったい何だったんだ?」
「天のポーズを目に焼き付けたんだ」
「は?」
「モデルになってもらったようなもんだ。気にするな」
「どういう意味だ?」
「身長の高いアルファは便利だな」
「???」
藤野谷のあの色が壁に散るのを目に焼き付けようとしたなんて、本人にも教えたくなかった。俺にしかみえないおまえの色。いつかキャンバスに描くとしても、今はまだ、俺だけのものだ。
(おわり)
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