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第7話
「遅い」
仕事帰り。
最寄駅からぶらぶらと夜空を見上げながら歩いていたら、聞きたかった声がした。
いつも別れる曲がり角。
チョコレート色のロングコートに身を包み、寒そうにポケットに手を入れて立っている。
一週間ぶりの君の姿。
「え……? 何で? っていうか、遅い?」
残業をしたわけじゃない。
寄り道をしたわけでもない。
駅前のコンビニに一瞬寄ろうかと思ったけど、欲しいものが思いつかなかったからそのまま歩いてきたんだ。
まだ、外灯はついていないし、宵の明かりが残っている。
条件反射で時計を確かめたら、やっぱり夕飯時にもなっていない。
「遅いよ。桜が咲いたから、返事をしにきたのに」
もたれていた電柱から身を起こして、君が情けない顔で笑った。
「なんてね、ホントは自信ないんだけど。でも、前に言ってたから」
顔を覗き込むように首をかしげて、あってるよね? と、目だけで君が問いかける。
「……覚えていてくれたんだ?」
「だから、自信なかったって言ってるじゃん。でも、あってたんだ」
ほぅ、と息をついて、ホッとしたようにそらされる視線。
ねえ、自信を持っても、いいデスカ?
っていうか。
もしも、芳しくない答えだったとしても、なりふり構わずに粘ってしまいそうなのだけど。
それくらい、嬉しいのだけど。
「桜は、ソメイヨシノじゃ、ないんだよね?」
「そう。彼岸桜」
自信なさげな君の問いかけに、僕はうなずく。
自分の出身校に植わっていたのは、彼岸桜。
だから、入学式のシーズンじゃなくて卒業式のシーズンに咲く。
そんな話をしたのは、出会って間もない頃。
ホントに他愛ない、新入社員の頃に花見の場所取りをしていたとき。
桜に種類があるっていうのを知らなくて、君は目を丸くしていたっけ。
「ちゃんと、覚えていたよ。だから、今、返事をしにきた」
今度は逃げないで聞いてくれる? と。
君が困ったように笑うから、返事はまだなのに、思わず笑顔になってしまったんだ。
「サクラサク」
いたずらっ子のように呟いて、君が僕を抱きしめた。
「ねえ、好きだよ」
「好きだ」
「キスしてもいい?」
「やだ」
「したい」
「何を」
「だからキス」
ぎゅうと僕を抱きしめてから解放して、君は顔を覗き込んで「何を連想したの?」ときいてくる。
「うるさい」
「部屋にいってもいい?」
「うち?」
「こっちでもいいけど。ちゃんと話をしよう。それから、キスがしたい」
晴れ晴れとした顔で笑う君の向こうを、ふごふごと鳴きながら浮かれた猫が歩いて行った。
「ほら、猫も愛を確かめ合うんだってさ」
ねえ、春だね。
寒さは彼岸まで。
もう、春だね。
桜が、咲いたよ。
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