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1話

バックヤードの窓は路地裏に面している。真矢はそっと窓を開け、店長にバレないように、いやどうせバレてはいるのだが、煙草に火をつける。 こんな世の中だからこの店は禁煙のボーイズバーとして売っている。敬虔なものでバックヤードも禁煙ときた。オーナーの方針だから店長は従っていたが、セイケツな男が今はいいんだとよ、そう言う店長のハルオは、爽やか風味の名前に反してヤニで歯が黄色かった。 だからであろう、オーナーは店長にあまり接客を求めない。 路地裏に向かって煙を吐くと、空気の流れが悪いからか、煙はしばらくそこにとどまって、窓の内側へ流れてこようとした。 真矢は足元の扇風機の首を最大限伸ばし、スイッチを踏んでオンにして、煙が中に入らないようにしてやる。喫煙がバレるとオーナーがうるさい。オーナーは滅多に店には来ないが、そう油断するとふらりと現れるのも真矢は知っていた。 煙を吐くと、自分以外の煙を見つける。斜め向かいのビルの、この店に同じく2階の窓からだ。路地裏のために、店の名前は窓に見当たらない。 たしか美容院だった気がするな、と思い出していると煙の主と目が合う。 ハトみたいに首を動かし、ども、と互いになんとなく会釈をする。 向こうは扇子で首元を仰いでいた。真矢は、煙草に扇子、変な組み合わせだと思った後、じっとりとした梅雨の夜にはなんだか合っている気もした。そしてまた一人の時間へ帰る。煙草をふかし、煙を払って窓を閉める。 シフトの時間には、着替えたらちょうど。煙いパーカーを脱ぎ捨てボトムも脱ぎ、隠すようにオードトワレを少し纏ってからロッカーにかけた制服に腕を通す。“マヤ”にならなければならない。 シフトに入る前は必ず全身鏡を見ろ、そのオーナーの言いつけ通りに鏡に映る自分を確かめ襟をグッと引いて作り笑いをする。 「マヤー、今日も頼むなー。」 入れ違いで店長が休憩に入り、早番が上がる。この時間はマヤも、もう一人のカウンターボーイ・タケルも、バーテンダー見習いで酒を作れるため店長は気楽なものだった。 店長は酒を作るだけで接客はほぼしない。バーテンダーとしての腕は確かだが、シェイカーを振らないカウンターボーイの出す酒を作っている。 歯が黄色いことを除けば、10年くらい前は美青年だったであろう顔立ちだが、そうまじまじと見るのを躊躇させる虚ろさがあった。 何がこの人をこうさせたのか、真矢には疑問は沸けど興味はなかった。 「いらっしゃいませ。どうぞこちらの席へ。」 「マヤくんだ。今日遅番なんだね!」 「そうなんです。」 何度か見覚えのある女の客。鼻にかけた甘い声で曰う、白々しい確認が耳に障る。 俺が遅番なのは出勤リストで確認して知っていることだろう。真矢は小さく毒づき、こういう瞬間に愛想を振りまく接客の向かなさを感じていた。本質的に俺は“マヤ”には成れない。 真矢は、接客が不得意でもないが得意ではない。マヤとして柔和な笑身を浮かべて、ただ客の話を聞いてやるのは楽でよかったが、話が自分に及ぶのは面倒で、もっと面倒なのは相手の話を覚えていることだった。 「爽やかな顔に反してちょっとアンニュイでミステリアス。」 彩られた言葉で褒められると虫唾が走った。客に自らを晒す気など到底ないものの、本質的には俺はマヤではないという葛藤が行き場をなくして狼狽える。

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