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第7話 勤勉の章

 白雪は目をあけた。木の葉のあいだから差す日射しが眩しかった。最初にみえたのは犬の耳だった。こぽこぽと水の流れる音がきこえる。足に冷たい感触をおぼえ、首をまげると懐かしい顔がみえた。勤勉の騎士が足元にひざまずき、白雪の体を清めている。白雪は少年の頃を思い出した。閨房術のてほどきを受けたあと、こんな風に体を拭ってもらったものだった。 「私は……」  勤勉の騎士がはっとしたように顔をあげた。 「おうじ――スノー?」 「スノー?」  白雪は問い返し、自分が小さな泉のそばに半裸で横たわっているのを知った。森? 自分は後宮にいたのではなかったか。そう、たしか林檎を食べて……。 「ここはどこだ。勤勉の、なぜおまえがここに? 私はいったい……」 「白雪……王子」  別の顔が白雪をのぞきこんだ。純潔、節制、寛容。母国を出るとき自分を見送った顔ばかりだが、純潔以外は髭だらけで、老けこんでいるようだ。白雪の胸のうちは懐かしさと驚きでいっぱいになったが、騎士たちも自分とおなじように驚いた表情だった。 「おまえたち。いったい何があった」 「王子よ、まさか、思い出されましたか」  寛容の騎士がいった。白雪は体を起こし、勤勉の騎士が差し出した衣類を身に着けた。肌着も上着も、清潔だが上等とはいいがたかった。 「思い出すとは何を? 私は倒れたのか。そうか、林檎――あれに毒が……」  はっとしてつぶやいたが、寛容が手をあげてとめた。 「さきほどのことは覚えておられない?」 「さきほど? 夢を見ていたような気がする。旅の男に南の帝国に行こうと誘われて……」  答えながら白雪は眉をひそめた。 「私は……その様子を見ていた。その……自分が男に誘われているのを、絵物語でもみるように。そして……」  ゆっくり言葉をつむぐうちに頭にかかった霞が晴れはじめた。夢だと思っていた事柄が急に現実感をおびる。  夢――ではない。  白雪は森を見回した。 「私はここに住んでいる……そうだな? おまえたちは私をスノーと呼んでいた。そうだ、私はずっと夢の中でそう呼ばれて……」  騎士たちはそろってうなずいた。勤勉の騎士が白雪の背中をさすった。白雪はこの手をよく覚えていた。勤勉の騎士は七人の騎士のなかでもいちばん生真面目で、少年の白雪は義務をさぼろうとするたびに彼に小言をもらったものだ。その一方、白雪の体調や気分をいちばん早く察したのもこの騎士だった。 「小屋でお話しましょう。説明すると長くなります。立てますか?」  猟小屋の周囲は切り開かれ、小さな畑が作られていた。外壁に沿って薪の束が積まれ、日の当たる場所に濡れた衣服がつるされている。夢の中でみた風景を白雪王子はさらなる驚きと共にみつめながら、あれは夢ではなかったとあらためて感じていた。  私はほんとうの意味で目覚めていなかったのだ。  七人の騎士が切り株に座った王子を囲んだ。代表して話しはじめたのは寛容の騎士だった。魔法がかけられた林檎を食べ、死んだと思われた白雪がこの小屋へたどりつくまでのこと。騎士たちは魔法を解こうとしたが、目覚めた王子の記憶は戻らなかったこと。 「私は目覚めたまま眠っていたのだ」  白雪は自分の手のひらをみつめ、指を曲げたりのばしたりした。 「あの男はどうなった。旅の男だ。南の帝国の王族だといっていた」 「なんですと?」 「世継ぎ候補としての探索の旅の最中だといっていた。そうだ、むかし分別がその話をしていたな。私を――スノーと呼ばれていた私を連れて行くつもりだった」 「まさか!」  声をあげた騎士に、王子は他人事のようにいった。 「スノーは断った――ちがう、おまえたちが一緒なら行くといったのだ。男は駄目だといった。そして……」  白雪はその先を思い出して顔をしかめた。 「……彼は私を抱こうとした。いや、スノーを抱こうとした。そのあとがよくわからない」  どうしてあんな男に体を許したのか。今の自分の意識が戻っていなかったとはいえ、白雪は自分自身に腹を立てていた。王族といっても、北の帝国の皇帝とはまるでくらべものにならない、格の落ちる男だ。  騎士たちは顔をみあわせ、ひとりがいまいましげに舌打ちをした。 「守護の魔法が働いたのでしょう」と寛容がいった。 「あなたの体にはまだ魔法がかかっています。左胸に手をあててください」 「こうか?」 「鼓動を感じられますか?」 「鼓動?」  白雪は怪訝な表情になったが、意味していることがわかると顔色を変えた。 「まさか」 「あなたの心臓は動いていない。魔法で時が止まっているのです。守護の儀式でつくられた林檎の魔法があなたの時をとどめ、永遠に今の姿のまま死から守っています。あなたを剣や槍で傷つけたり、交合した者は時の渦に弾かれてしまう」 「弾かれる? では南の帝国の王族といったあの男はどうなった」 「あなたの元へ駆けつけたとき、かの男は衣服が散らばっていただけで、姿はどこにもありませんでした。時の渦の外へ飛ばされてしまったのかもしれません」  白雪王子は沈黙した。長い沈黙だった。寛容が説明した魔法の効果とその意味を考えていたのである。やっと口をひらいた時、その声は喉がつまったようにくぐもっていた。 「――みなあの男とおなじことになるのか?」  見回した視線の先で騎士たちは無言だった。白雪は重ねて問うた。 「その相手が……誰であっても?」  今度は騎士たちの長い沈黙が答えとなった。  白雪王子はごくりと唾を飲みこみ、体の中で欲望がうごめくのを感じた。少年の頃から教えられ、培われた技の数々が頭をよぎった。この体を抱く者を悦ばせるのは白雪にとって義務だったが、純潔と勤勉の授業はときに義務以上のものだったし、北の後宮ですごした夜も、義務だけでおわるものではなかった。王子は自分の肢体をみおろし、もう一度胸に手を当て、吐息をついた。 「たしかに私の心臓は動いていない。私は誰と親しくまじわることもなく、今の姿のまま、おまえたちが生きて齢をとり、老いて死ぬのをみるのだ。寛容。この魔法は解けないのか。そもそもこの魔法はどのようにかけられた? 私はまるで覚えていない」  王子の言葉をきいて七人の騎士の心はそれぞれに揺れた。ついに寛容の騎士が重々しい口調でいった。 「我々は棺で眠るあなたに我々七人の息をふきこみ、それによってあなたは目をあけ、起き上がりました。しかしそれだけでは不足があったのです。魔法を解除するには、守護の儀式と同じことをしなければなりません」  白雪王子は鋭く口をはさんだ。 「その儀式を私は覚えていないのだ。私はそのとき何をしたのだ? おまえたちは?」  寛容は小さく息をついた。 「あなたは私たち全員とまじわったのです」 「まじわった?」  王子は息を飲んで七人をみつめた。 「だとしたら今度も……しかし……あの、時の渦とやらはどうなる?」  寛容は立ち上がり、奥の戸棚から銀の枠を嵌めた箱をとりだした。中には白い灰に覆われた林檎と硝子瓶が入っていた。灰は溶けたガラスのような固まりとなり、林檎をぺったりと覆っている。硝子瓶の中にも白い灰が入っている。 「この灰をかければ林檎は溶けます。林檎が残っているうちに終わらせれば時の渦に弾かれずにすむでしょう。王子よ、我々を受け入れてくださるか」  白雪は魔法の道具をみつめて唾を飲みこんだ。手のひらは勝手に左胸をさすっていた。みずからの動かない心臓をたしかめるように。 「わかった。その儀式を行おう」  小屋の扉の外で、王子の犬が背中を丸めて座っている。  小屋の奥の部屋で、寛容の騎士は粗末な寝台の隣に香炉をおき、練香を焚いた。白雪は粗末な寝台に座っていたが、質素な小屋に漂う甘い匂いを嗅いだとたん、体の奥がきゅうっと疼く感覚をおぼえて身をふるわせた。ボタンをはずし、上半身を晒す。「スノー」と呼ばれていたあいだは感じなかった羞恥に顔が熱くなる。  寛容の騎士は慎重な手つきで灰をかぶった林檎を香炉にのせた。他の騎士と白雪が見守るなか、青い硝子瓶を傾けて林檎のうえにさらさらと灰を注ぐ。  たちまち不思議なことが起きた。白い灰をかぶった林檎が熾火のように輝きはじめたのだ。その光は白い灰を透かし、強くなったかと思うと弱くなり、やがて一定間隔で点滅をはじめた。灰が溶けた硝子のような透明に変じ、果実の丸みに沿ってとろりと垂れる。寛容の騎士がいったように、透明に変わった灰にくるまれた林檎はすこしずつ溶けていたのである。  熱をおびたような林檎の輝きをみつめるうち、白雪の体も奇妙な火照りをおぼえはじめた。うるんだ目で顔をあげる。純潔の騎士の顔がすぐ近くにあり、白雪のひたいに唇をつける。寝台に背中を倒しながら白雪はふと、十八歳までをすごした離宮に帰ったような気分になった。閨の手ほどきを受けはじめたばかりの少年の日々を思い出したのだ。  しかしそれもわずかなあいだにすぎなかった。純潔の騎士は慣れた手と舌で白雪の体を愛撫し、のぼせるような快感の高みへ素早く王子へ導くと、いまだ射精の余韻にいる王子の腰をもちあげて、蕾に自身の屹立を突き立てた。 「あ、ああっ」  揺さぶられて王子は声をあげ、喘いだが、騎士の律動にあわせて体は揺れ、射精とは異なるながい絶頂へ達した。唇の端から垂れた唾液を純白の騎士は舌をつかって拭い、王子から体を離した。魔法の林檎はひとまわり小さくなっていたが、王子は気づかなかった。休むまもなく今度は慈愛の騎士が白雪をもちあげ、つらぬいたからだ。その次は寛容、節制、忠義、分別、最後は勤勉の騎士。  重なり、絡みあうたびに濡れた音がこぼれる。騎士たちの堅い肉棒が細い腰をつらぬき、打ちつけられ、注がれるたびに王子の白い喉がのけぞって、甘い喘ぎはついに嬌声となった。蕾からあふれた精液が太腿を垂れ、敷布を汚す。林檎の妖しい輝きが徐々に小さく、弱くなっていく。  光がついに消えたとき、王子はしどけなく寝台に横たわり、眠っていた。勤勉の騎士は王子を両腕で抱えると、純潔の騎士が広げた乾いた布にくるんだ。  騎士たちは待った。王子の心臓が動き出すのを。  北の帝国の後宮で死んだと思われていた第七王子が王国の城へに帰還したのは、夏のおわりのことである。  王子が十八歳で王国を出てから七年がすぎていたが、白い肌も黒い髪も紅い唇も、白雪の名にふさわしく美しく、迎えた人々の目をみはらせた。かつての王子を知っていた城の者は、七年前に北へ旅立った時より、今の方がもっと美しいと評した。  王は第七王子が生きていたことをひどく喜んだ。白雪はそのときはじめて、北の帝国の皇帝が後継者に帝位を譲ったことを知った。あらたに皇帝となったのは白雪が後宮にいた当時の皇太子ではなく、後宮で官人の職についていた皇帝の異母弟だという。  これからどうしたいかと王にたずねられたとき、白雪はすぐに答えを出せなかった。  後宮にいた白雪王子が暗号で書いた手紙は王に確実に届いていた。第七王子がもたらした情報は、現在の王国の安泰な状況と繁栄に大いに利したのである。白雪が北の皇帝に寵愛されたことも貢献のひとつであった。王子の尽力は報われなければならない。  王は北の帝国から代償に贈られた財宝を白雪に与え、ほかに欲しいものがあれば何でも与えると告げたが、白雪はこれ以上欲しいものを思いつかなかった。そこで王はこう告げた。 「そなたは王国の望みの場所を選び、そこに住むとよい」  白雪王子はすこし考えて答えた。 「それでは以前の離宮で暮らしてもよいでしょうか。私の七人の騎士とともに。また、国境の森を私にくださいますでしょうか」 「その程度のことは造作もない」と王は答えた。  こうして城に戻った白雪王子は、十八歳になる前のように離宮で暮らすことになった。王とその世継ぎは、後宮から戻った第七王子がいかに王国の繁栄に貢献したかを折にふれて語った。その稀な美しさもあって王子は人々の語り草になった。  七人の騎士はつねに離宮の王子の近くにおり、王子が森へ行くときも必ず同行した。王子の犬も離宮と森を行き来するのに慣れた。やがて王子は国境の森に別邸を建てた。そして夏は森で、冬は離宮で、七人の騎士と共に暮らした。  離宮から森へ、馬に乗った第七王子が七人の騎士を伴って進むさまは、とても美しく、また凛々しく、王国の人々の目を楽しませた。道で王子の一行をみかけた人々は「後宮の白雪王子と七人の騎士」に出会ったといって、喜んだものである。  おしまい。

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