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後日談 ラッキーアイテム
「えっ? えっ? えっ?」
ウラシマさんが口をぽかんとあけ、リズミカルに三回繰り返す。
「瀬名君、何ていった?」
「一緒に入りましょうっていったんですよ」
僕はウラシマさんの肩越しに手をのばし、バスルームの扉をあける。このマンションにきめた理由のひとつはこのバスルームだ。ジェットバスにもなるゆったりしたバスタブ、サービスバルコニーに面した窓からは高層ビルの夜景がみえ、黒のタイルにはゴールドのアクセントが入っている。
ウラシマさんと知りあうきっかけになったかつての男は、僕のこだわりを鼻で笑っていた。そのくせこのバスルームがお気に入りで、長々と居座っていた。ふとそんなことを思い出し、僕は軽い衝撃を受けた。例のあいつを「ウラシマさんと知りあうきっかけになった」男として片付けている自分に気づいたからだ。
バスタブにはタイマーで湯が張ってある。ウラシマさんは物珍しそうにバスルーム全体を見まわしている。そういえば、彼は今まで手前のシャワーブースしか使ったことがなかった。
「さっさと脱いでくださいよ」
「えっ、うん、はい、わかりました」
ウラシマさんが途惑っているようにみえるのは、僕のマンションに来てセックスするときの、ここ数か月続いていたパターンが崩れたせいか。もっともそのわりにノリはよくて、彼はさっさとシャツを脱ぎ、ズボンを下げ、ボクサーブリーフ一枚になった。
なんかイイよなぁ、この人。自分でも理由のわからないしみじみした感想が浮かび、僕はクスっと笑ってしまう。それが聞こえてしまったのか、ウラシマさんは咎めるようにじろりと僕をみた。
「俺ってそんなに面白い?」
「面白いっていうか、イイです」
ウラシマさんの裸の腹はすこしだけポコッとしている。僕も裸になってウラシマさんの背後に立ち、胸に手をまわし、乳首をつまむ。ウラシマさんは肩をびくっとさせながら「ひっ」と声をあげる。
「ウラシマさんって、すごくいやらしい体してますよね。驚きますよ」
「そんな……こと、ないでしょ……」
「胸弄っただけでこうなのに?」
尖った乳首を指先でさすり、尻をもむ。バスタブの方へ腕をひくとウラシマさんは素直についてきた。裸の男が片足をあげてバスタブに入る動作はどうかするといささか間抜けにみえることがある――が、ウラシマさんはなめらかな動きでバスタブをまたいだ。そう、この人は鍛えているわけでもないのに、体がすごく柔らかいのだ。
「おお……あったかい」
「お湯ですからね」
僕もすばやくバスタブに入り、ウラシマさんのうしろに回る。
「座って」
「あのさ、このお湯、ぬるぬるしてない?」
「大丈夫です」
たしかにぬるぬるしているだろう。ローション風呂用入浴剤を投入済みなのだから。ずっと前に買って一度試したはいいが、排水が面倒なので使わずに残っていたものだ。
「やっぱぬるぬるしてるぞ――あっ……」
僕はウラシマさんの腰を抱えるようにしてバスタブに座る。あたたかくてトロリとした液体の中で肌を密着させ、前に手を回す――なんだ、すっかり元気溌剌じゃないか。
「気持ちいいでしょ?」
耳元でささやき、前を探るとウラシマさんの股間がさらに元気になった。もちろん僕の方もだ。ウラシマさんの股に自分の息子を押しつけながら、前に回した手で乳首にお湯を飛ばす。はぁ……という吐息がきこえ、ウラシマさんの腰が揺れた。まったく、チョロい人だ。
「もうムズムズしてるんですか?」
「あっ、そこっ……」
尻の割れ目に指を這わせ、穴の周囲をマッサージする。何度も繰り返すまでもなく、ウラシマさんの首筋が赤くなり、ハァハァと色っぽい吐息が漏れた。
「やっぱりいやらしいですよ」
「そりゃ……瀬名君のせいでしょ――あんっ」
「そろそろ僕以外の男も咥えたいって思ってるんじゃないですか?」
「なんでっ……うふ…ん……」
「思ってない? ほんとに?」
僕はウラシマさんの後ろから前へ、指でゆるゆると股間を弄り、同時に腰を揺らしはじめた。
「ねえ、他の男に挿れてもらったらどんな感じか、想像したりしないんですか? 僕よりすごいかもしれませんよ」
ウラシマさんの背中がビクッとした。へえ。これはどういう意味だろう。
「ウラシマさん、才能ありますよ」
「才能って、な――あのね、乳首はやめ――」
「最初っからお尻でイったでしょ? そろそろ僕に飽きて他の男をさがすかもしれませんよね」
いったい僕は何をいっているのか。ウラシマさんが他の男の下であんあん呻くのを想像したとたん僕の息子はますます昂り、とろりとした湯の中でウラシマさんの股を擦った。
「しない、しないって……ね、瀬名君、あの……」
「なに?」
「そんな焦らすみたいなの……やめて……もっと……」
「もっと何? 気持ちよくない?」
「気持ちいい、イイんだけど、あの、あ……あふっ」
「奥まで入れてほしい? ガツガツ突いてほしい? お尻でイキたい?」
膝のうえで年上の男がこくっとうなずいた。
「じゃあ立って、壁に手をついて」
僕はささやき、ウラシマさんがバスタブの中で立ち上がり、いわれたとおり僕に背をむけるのを眺める。湯気の中で濡れた髪から雫が滴り、肩を流れ落ちていく。ウラシマさんの首筋に唇をつけてきゅうっと吸うと、また腰が揺れた。
「ん、んん……」
「中、柔らかいですよね」僕は指でウラシマさんの尻の中を広げる。「でも男を咥えるときゅっと締まるんだ」
「ね、瀬名君、あの、早く……」
「ここに男が欲しいんですよね」
耳朶を咥えながらささやくとウラシマさんの腰はまたひくりと動いた。
「ちがうの、瀬名君が……」
「僕がなんですか?」
「瀬名君がほしいんだって……」
「へえ……そうですか」
もっといじめたい気分と待ちきれない気分が僕の中で争い、結局息子の昂ぶりが勝つ。コンドームをつけるのがもどかしい。本当はつけたくない。ウラシマさんの中はひくひくうねりながら僕を飲みこんでいく。
「ああ……いいですよ……もっとお尻突き出して――しっかり壁おさえて」
「ああんっ、あふっ、あんっ、あんっ」
「まだイカないでくださいね?」
パンパンっと股のあいだでぶつかる音が響き、ウラシマさんは僕の動きにあわせてゆるやかに腰を揺する。
「はぁっ、あ、あっ、ああんっ」
「いい感じ……ん、イキそうですか?」
「そんなの、さっきから……だめ、あああああ、そこ、そこだめ――」
ウラシマさんの体全体がビクビクっとうねり、僕も叩きつけるように精を吐きだす。ウラシマさんは壁に手をついたまま肩でハァハァと息をついた。僕はコンドームを手早く床にほうりだし、ウラシマさんの胸に手をまわし、こちらを向かせた。抱きしめるようにしてふたりでそろりとバスタブに腰をおろす。僕はバスタブの栓を抜き、同時に新しい湯を蛇口から流した。体についたローションを洗い流していると、ウラシマさんもだるそうな表情で同じことをはじめる。
「気持ちよかったでしょう」僕は駄目押しのようにいう。
「たしかに、よかった……」
「ビール飲みますか?」
「いいねえ、湯上りビール」
ウラシマさんはけだるい声でいった。伏せた目元がひどく色っぽくみえて、僕はどきりとする。
ウラシマさんと毎週セックスするようになったのは今年に入ってからのことだ。昨年十二月に彼が失業したのがきっかけとはいえ(もう再就職したと聞いたが)毎週セックスしても飽きないのは、裸にして弄りたおしているときのウラシマさんと、それ以外の時のウラシマさんのギャップが大きすぎるせいかもしれない。
「こんなこというの失礼だとは思うんだけど、瀬名君っていつも美形だよな」
バスルームを出て服を着たウラシマさんは、ギネス缶のプルタブを上げながら唐突にそんなことをいう。
「どういう意味ですか」
「いや、そのまんま」
年上の男は真剣な目つきになって、ビールグラスの上で缶を傾けた。黒褐色の液体の上にきっかり三センチの厚みでクリーム色の泡をのせると、満足そうに息をつく。グラス付きギネス缶のシックスパックは「ホワイトデーだから黒ビールを手土産にした」という謎の理由とともにウラシマさんが持ってきた。
「ほら、外では美人だけど内に入ると違う、とか、よくあるでしょうが。でも瀬名君は二十四時間おう――いや、ちゃんとしてるなって」
ウラシマさんが本当は何といいたかったか僕にはわかっていたが、今回は突っ込まなかった。彼は僕に「王子様」というあだ名をつけているのである。まあ僕も、本名を知っているのに「ウラシマさん」と呼んでいるのだから――本名を呼ぶこともあるが――お互い様といえるだろう。
「それはどうも。でも何が失礼なんです?」
「え、そりゃあ」ウラシマさんは黒ビールをごくごくと飲み、満足した猫のように目を細めた。「美形に美形っていうのは失礼だろう。どうせ耳にタコだろうし、そもそも外見の話なんてするもんじゃない――って、いま話してるけど。ごめん」
「僕はかまわないですよ。悪い気はしません」
「そうかな。それならいいけどさ」
「子供の頃は太ってたんですよ」
自分でも思ってもいなかった言葉が口から飛び出したが、ウラシマさんは表情を変えなかった。
「かっこいいとか、全然いわれたことなかったですね。中学三年の後半から急に背が伸びて痩せたんです。そうしたら周りに寄ってくる人が増えましたよ」
ウラシマさんは眉をかすかにあげただけだ。中肉中背、これといって特徴のない顔立ちなのに、僕は近頃ウラシマさんの表情にどきりとすることが多い。
「子供は成長すると変わるよな」
「変わらないこともありますよ」
「何が?」
「太っていても痩せていても僕はゲイなんで。あのまま成長してガチムチになった方がモテたかもって、たまに思いましたよ」
今度のウラシマさんは驚いた表情をする。
「え、そうなの? そっちでモテるタイプって」
「一般的にはそうですね。別にぜんぜんモテないってこともありませんけど」
「そうだろう。そうじゃないと」ウラシマさんはビールをごくごく飲み干した。
「瀬名君は単なる美形じゃなくて、イイ男だよ」
「それはどうも」
いったい僕らは何の話をしているのだろう。ギネスを空にしたウラシマさんは大きなあくびをした。眠そうだった。
「帰ろうかな」
「寝ていったらいいじゃないですか。近いんだし」
ウラシマさんは先月引越をした。それまで住んでいたアパートにシロアリが出たとかいう、僕には思いもよらない理由のせいだ。引っ越し先は寺の庭先にある長屋で、どこからそんな物件を探してきたのかと思うような建物である。この調子なら、ウラシマさんの再就職先もきっと変わったところにちがいないと僕は決めつけている。
「いや、近いんだから帰るよ」
「帰らなくていいですよ。近いんだから」
同じ理由で真逆のことをいっているのがおかしくなったのか、ウラシマさんがふふっと笑った。
結局ウラシマさんはそのままリビングのソファで寝ていき(僕はベッドで寝ればいいといったのだが「体力ゲージが落ちすぎるからだめだ」と断られた)翌朝僕が目を覚ますと、寝そべったままテレビの早朝番組をみていた。
「瀬名君って何座?」
「しし座ですね」
「しし座か。来週の順位は――お、いいぞ。三位だって。ラッキーアイテムは猫の置き物」
「ウラシマさんは?」
「七位。面白くない順位だ」
「占いなんか信じるんですか?」
「いや?」
ウラシマさんは体を起こし、僕をふりむいてニッと笑った。テレビ画面で占いの一覧が切り替わった。
ラッキーアイテムか。そういえば、ウラシマさんをはじめてみた頃――ビルの屋上にいるのに気づいた頃は、僕の人生最悪の時期だった。今はうってかわって悪くない、いや、かなり良い。ウラシマさんとセックスするようになってから、仕事も私生活もいい感じに回っている。
考えてみると、たしかに、置き物というには大きすぎるが、とらえどころがないのは猫に似ているといえなくもない――
「瀬名君、どしたの?」
ウラシマさんが不思議そうな声でたずねた。僕は首を振る。
「朝食、食べたいですか?」
ウラシマさんは真面目くさった声で答えた。
「食べたいです。お腹が空きました」
この世には手放してはいけないものがあるのかもしれない。
キッチンに立ちながら僕はそんなことを考えている。
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