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第2-2話月を見上げながら

 一度火照ってしまうと熱が引かない。これから酒を飲むといういうのに、これではすぐに酔って月夜をじっくりと楽しめなくなってしまう。  早く熱を冷ましたくて、私は月を仰いでゆっくりと息を吸い込む。  ここで月を見上げるのは初めてではない。  学生の頃、今は亡き詠士の姉で、私の妻でもあった沙綾と私と詠士の三人で、何度か月を見ながら談笑していた。  だが中秋の名月は一度も見たことはなかった。  病弱だった沙綾は、夏を過ぎると必ず体調を崩して入院していたからだ。恐らく夏の暑さで体に負担がかかり続けていたことと、季節の変わり目の温暖差が体に堪えたのだと思う。  沙綾が入院すれば自然と集まるのは彼女の病室だった。  そこで時間が来たら退室して、詠士と一緒に夕暮れの中を歩き、途中で各々の帰路へとついていた。  中秋の名月は、いつも自分の家へ入る時に一瞬だけ仰ぎ見るだけだった。  社会に出た後は月を愛でる余裕などなく、ひたすら命をかけて救助の任務に明け暮れた。  月を見上げてきれいだと感じることができるようになったのは、私が大ケガをして後遺症を負い、息子の主真に負担をかけさせられないと詠士が強引に私をここへ連れて来て、しばらく経ってからのこと。  月が美しいと思えるようになったのは、詠士の支えがあったからこそだ。  いたずらに呼び起された熱が、穏やかな温もりへと落ち着く。  沙綾のことを偲んでも、この優しい場所に心を置き続けることができる今に、私の口元が綻んだ。

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