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1.そして村が焼け、勇者は怒りにうちふるえる。
最初にその黒い小さな影をみたのは、村のはずれで畑を耕していた農夫だった。
数週間のあいだ乾いた天候がつづいていた。この日も空は晴れ、雲ひとつなかった。農夫は川や貯水池の水位を気にしていた。みあげた青空の一点にふいに黒い点がぽつりと浮かんだ。ホクロかニキビのようだと農夫は思ったが、点は農夫がみつめているあいだに大きくなり、不吉な翼をもつ影となった。蛆のようにうごめきながら空にべたりと広がりつづける。皮膚の中で成長し家畜を侵す黒い腫瘍のようだ。
「あれは……!」
農夫は鍬をほうりだし、駆け出した。いつのまにか周囲にはおなじようにたくさんの村人が慌てふためきながら走っている。空はどんどん暗くなり、風は悪臭に侵された。ついさっきまで光にあふれていた空はすでに夕刻のような暗さだ。
ドーン! 突然、轟音とともに閃光が炸裂した。通りに面した家の壁が一気に崩れおち、数秒おいて壁のあいだから炎がめらめらと立ち上がる。子供が泣き叫び、犬が吠えたてた。風が粉塵をまきちらしたと思うと炎はたちまちあたり一面を包んだ。空は奇怪な翼をはためかせる魔王の眷属に覆われていた。農夫は息たえだえになりながら教会をめざして走った。この村でもっとも古い石造りの教会だ。
「おまえらーー!!」
宿屋のまえでひとりの青年が叫び、剣を抜いた。襲いかかる奇怪ないきものを一撃で斬り捨てるものの、敵はあとからあとからわきあがる。村人が燃えさかる炎のなかに消え、めりめりという音とともに家々の屋根や柱が崩れた。
青年がつぎに気づいた時、彼はかつて村があった土地に胎児のような姿勢で転がっていた。生きているのが奇跡のようだ。
立ち上がったとき、青年は奇妙なことに気がついた。みずからの内側で古い記憶が覚醒していた。それはこの世界で生を受け、魔物狩りの冒険者となった、自分自身の記憶ではなかった。それより前の、別の地上で生きていたときの記憶だ。
風はいまだに魔王の眷属の臭気に汚染されている。昨夜泊まった宿屋の痕跡を青年は呆然とみつめる。牧歌的な村の風景は、ただの焼け野原になり果てていた。石造りの教会だけがなんとか燃え落ちることなく、傾きかけた壁を青年の方へ向けている。
青年は昨夜、宿屋の亭主や村人たち、他の冒険者と過ごした楽しい休息のひとときを思い出した。青年は故郷を離れて旅に出てからさほどたっておらず、熟練した戦士にからかわれていた。それでも昨夜、彼は幸せだった。今は逆に絶望が心を侵していた。
いったい何者がこんなことを。
青年は宿の亭主の話を思い出した。思い返してみれば、魔物退治に意欲を燃やす青年の意気とは反対に、村人は陰鬱な表情だった。封印から解き放たれた魔王がいつか村を襲うのではないかとおびえていたのだ。
村からはるか遠くにそびえたつ火山の頂上で、はるか昔ひとりの勇者が仲間とともに魔王を封印したという。しかしその封印はいつしか解かれ、魔王はふたたび全世界を支配しようとしている。それなのに魔王を封印するに足る、力ある者がいない。
力ある者。
青年は自身の記憶の奥底をのぞきこんだ。青年は子供の頃から異能を持て余していたが、炎の中でようやくその原因を知ったのだ。覚醒した意識はまざりあい、青年は自らの力を自覚した。
「魔王……待っていろ。俺こそが、おまえを封じる!」
青年は剣をとると、焼土のうえをふたたび歩きはじめた。
*
「ハイ~! 今回の村焼きイベントも完遂しました! 成功を祝ってカンパーイ!」
俺たちは同時にジョッキをあげる。ぷはー! 仕事を終えたあとのビールは最高だ!
「いや~よく燃えましたね! うまくいってよかった~」
「ちゃんと覚醒したようですね。顔つき変わってたから」
「今度こそ魔王封印できるかなあ」
壁に投影された映像には勇者となる青年が肩をいからせながら歩き去る姿が映っている。教会の窓に設置したカメラオブスクラを使い、ずっと外を観察していたのだ。俺もほかの連中も上機嫌である。注意深く準備し、仕込んだ本番が無事おわることほど楽しいものはない。
「がんばれよ~って思うよ、ほんと。うまく協力者をみつけて、魔王と戦えるといいけどな。どんな異世界から来てるかにもよるけど、ひとりじゃきつい」と俺はいう。
「昨日いろいろ教えたからなあ。熟練者が集まる町や、迷宮攻略用道具が手に入る場所なんか。覚えていればいいんだが」
昨夜「宿屋の亭主」だった村人がいった。でっぷり太った外見は重ね着の変装だから、半分脱ぐと脱皮中の蜥蜴みたいにみえる。
「覚えていても、前世の記憶に覚醒した興奮ですぐには思い出せないんだよ」
俺は空になったジョッキをテーブルに置き、すると誰かがすぐ注ぎ足してくれた。
「俺の場合はさ、とりあえず出くわした魔物狩って町に売りに行って、うろうろしていた時やっと思い出した。あ、そういえば……って」
「村を出発する時はイルスさんもあんな感じでした? 俺がやってやる! みたいな」
まだ若い村人がたずねた。今回の「村焼き」が初仕事の新人だ。
「ああ、うん。怒っていたよ。混乱してたし」と俺は答えた。
俺たちはいま、教会の地下にいる。
焼けのこった石造りの教会の祭壇の裏に、ここへ続く階段があるのだ。火の影響を受けない深いところで俺も村人も暮らしている。
この村の地表にある建物のほとんどは実は張りぼてだ。実際に使われているのは教会と宿屋だけで、宿屋も毎回焼け落ちるから安いつくりにしてある。教会の地下から地中を進んでいくと広い洞窟に出て、そこに本物の村がある。広くて清潔で快適な場所だ。
地上の村からすこし先に行くと魔物がよく出る谷と森がある。だからここには冒険者たちが立ち寄るのだが、もうひとつ秘密があって、じつはこの村は勇者が魔王封じの旅へでかけるきっかけとなる「はじまりの村」なのだ。勇者となる若者は、魔物に襲われて村が焼けた衝撃で、生まれる前に生きていた世界の記憶に覚醒する。
生まれる前に生きていた世界って?
これはひとつの解釈だ。マルチユニバース、多元宇宙っていうのかな、どうやら、宇宙には並行してたくさんの世界が存在しているらしいのだ。
あるひとつの世界の内側で生きている人間は、他の世界に行くことなんてできないし、他の世界のことなど知らない。ところがこの世界には、稀に、別の世界の記憶を封じられて生まれる者がいる。そして、火の山の魔王の封印が解け、平和な村が火で焼かれるとき、その者は本来の自分に目覚め、勇者として立ち上がる――
――ことになっている。ゲームみたいだって? そういうな。
「今度の人は強そうですよねえ」
新人のむかいに座る、村焼き経験三回の中堅村民がいった。
「めちゃくちゃ剣ふりまわしてましたね」
「けっこう外していたな。ムキムキではあった」
「俺んときはひょろひょろで悪かったな」
「でもイルスさんは強くなったんでしょう。村焼き経験して覚醒した勇者だからって、全員魔王を封じられるわけじゃない。おまけに賢者の石に触ったのはイルスさんがはじめてですよ。不老アイテムがあるなんて、長老以外知らなかった」
そう、俺もかつては「勇者」だった。
俺はイルス。転生前の名前は田中啓介という。
二一世紀の二ホンで生まれ、首都圏の市役所で公務員をしていた。ごく平凡な人生だったが、二十八歳で交通事故により急死してこの世界に生まれ変わった。
この世界では、俺は貧しい地方領主の五男坊だった。「異能」と呼ばれる力が他の人間より強かったおかげで若い頃はやんちゃして、いろいろあって冒険者になった。そのころ、火の山の魔王の封印が解けたという噂が流れた。
冒険者というのは、財産のある家に生まれなくても異能と腕力と知恵だけでやっていける、夢のある職業だ。大きな公領の領主の娘を救って結婚するなんて夢もみられるし、死なずに引退できれば剣術の教師になるとか、そこそこ堅実な人生もないわけじゃない。
魔王の封印が解けると世情が不安定になるうえ、狂暴化した魔物が増えるから冒険者が急増する。剣だの鎧だのマントだのといった装備をこしらえる宿屋や、異能で使うお守り作成やら、周辺産業も栄える。やんちゃだった俺は張り切って旅に出て、新人冒険者がかならず通るこの村に泊まった。すると翌朝魔王の眷属が村を襲ってきた。俺は奇跡的に生き残り(と、当時は思った)さっきこの村を出て行った青年と同じように前世の記憶に覚醒した。
そしてさっきの勇者のように「魔王を封じてやる」と誓った。
そのあとはいろいろ大変だったが、他の異能使いや剣術師と仲間になって、火の山まで旅をして、魔王を封じた。ところがこのとき、うっかり俺だけ光る珠――賢者の石に触れてしまったのだ。
それ以来俺は齢をとらなくなってしまった。十年たっても俺の外見は若者のままだった。他の連中は体力の衰えを愚痴っているのに、俺の体は変わらない。これが俺の将来を変えた。
魔王を封じたあとは俺も仲間もみんな英雄だったから、仲間たちの境遇はがらりと変わった。どこかの領主の婿に入って領地を継ぐ者、名声を利用して商売をはじめる者、教師になる者もいた。でも俺だけは冒険者を続けた。魔王が封じられていても魔物はいるし、魔物を倒すと武具や宝飾品の材料が手に入る。俺はあちこちに拠点をおいて、旅をしながら呑気に暮らした。そんなある日、気まぐれを起こしてこの村を訪ねた。
そして、どうも変だと思った。
「戻ってきた勇者はイルスさんだけなんですよね?」
村焼き初仕事の新人はビールジョッキを片手にまだ興奮の面持ちである。初仕事は緊張が大きい分、おわったときが嬉しい。
「記録をみるかぎりそうだな。あのときは本当に変だと思ったよ」
村は何事もなかったように復興していた。
十年たてば復興してもおかしくはない。しかし村に入った最初の瞬間から俺はあまりにも記憶と同じ様子に逆に違和感をおぼえた。宿屋に入ると俺のような冒険者が何人もいて、ひとり、あきらかに新人らしき男がいた。宿屋の中も外も、煉瓦の模様から道ばたの小石まで全部そっくり同じだった。宿屋の亭主は俺の記憶とまったく同じ言葉を喋っていた。まるで芝居をやってるみたいだった。
ちなみに同じだとわかるのは賢者の石のせいである。触ったとたん俺のなかに取りこまれてしまったあれは記録装置みたいなもので、俺は昔経験したことをそっくりそのまま思い出すことができる。
宿にたむろする冒険者を眺めながらどういうことか考えていたとき、空から魔物が襲ってきた。不自然なほど素早く火が回ったとき、宿屋の主人に「こっちですよ」と呼ばれたのである。
「あの時はショックだったなぁ。騙されたのかって思ってさ」
そうつぶやいた俺に当時「宿屋の亭主」を演じていた村人が「魔王の封印が解けるたびに勇者を覚醒させなくちゃいけない、そのために村が焼かれなくちゃいけない、となると、こっちも自衛しないとねぇ」と答えた。あれから年月がたって、かなり白髪が増えている。
ちなみに村が焼かれた時、宿屋に泊まっていた「冒険者」はひとりをのぞいてみな村人の扮装だ。はじまりの村には勇者を見分けるための秘伝がある。だから勇者がやってきたとわかるとその日は村民以外を村から締め出す。
再訪のとき、勇者がいたにもかかわらず俺が締め出されなかったのは「賢者の石」による効果 だと推測されている。
「まあ、勇者っつっても、仲間を集められない勇者もいるし、異能の制御に失敗して自滅するのもいるし、途中で飽きてやめるとか、中堅どころの冒険者で落ちついて魔王を封印しないこともある。勇者が勇者でなくなるとまた世界のどこかで勇者が生まれてしまうからね」
「村焼きを災厄じゃなくイベントにすることでこの村は続いてきたんですよ。こちとらプロときたもんだ」
こんなふうに裏事情を明かされて最初はびっくりしたものの、以来ずっと俺はこの村に住んでいる。前世で俺は市役所の都市整備局にいたから、地下のインフラ整備に前世の知識が役立つことがわかったのである。やがて村焼きイベントの企画運営にも加わるようになった。
「今度の勇者、ちゃんと封印できるかね」
「あいつが失敗したら、次に来るのは誰だ?」
「今回の人はエランだから、つぎはオクト、その次はアレフですね」
勇者を見分けるための秘伝書には名前がずらりと載っている。
勇者の名前はみんな「あ行」だ。
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