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2.今回の勇者は真面目な男だった。
そんな内幕があったから、宿屋の食堂ではじめて会った時、俺は名前を聞いただけで彼が「勇者」だとわかった。
「おまえ、アレフっていうのか。冒険者になりたてか?」
「ああ」
「俺はイルス。こう見えても経験はそこそこあるんだぜ。いま困っていることはないか? 教えてやるよ」
俺がそのセリフをしゃべった時はもう、村人全員に翌日のイベントの指令が飛んでいたはずだ。宿の女将がさりげなく食堂に入ってきて、三日前から逗留していた年配の冒険者をさりげなく追い出しにかかった。俺は親し気にアレフの横に座り、旅のはじまりの記念にビールをおごろうと申し出た。
アレフはほんのちょっと顔をしかめた。
「いや。おごられる理由がない」
断るのか。こいつ、育ちがいいな。そう悟った俺がどうしたか。定石通り絡んだのだ。
「おいおい、受け取れないって? 先輩から後輩へのはなむけだぞ?」
「おまえの方が後輩にみえるってさ、イルス」
タイミングよくブーツを鳴らしながらやってきた冒険者(の格好をした村人)が俺にむかってがなり立てる。
「しかたがないぜ、そんな若いなりじゃなあ。経験があるなんていわれても納得できない」
「うるさい。俺のせいじゃない」
俺はそいつの方をむいて文句をいった。そのときアレフがいったのだ。
「そんな髪の色、みたことがない。綺麗だ」
「そうか?」
俺の髪は黒だが、光があたるとその部分だけ瑠璃色に輝いてみえる。一部の鳥や蜥蜴や蝶の羽根のようなもので、珍しいとはよくいわれる。しかし初対面で綺麗だといわれたのは初めてだった。だから俺はこう応えた。
「おまえだってこのへんじゃ珍しいぞ。そんなに明るい金髪」
「俺の国ではありふれたものだ」アレフは真面目な口調で答え、重々しい口調でつけくわえた。
「せっかくだから、ビールをいただこう」
「おまえいいやつだな! 亭主、俺のおごりでアレフに一杯! 新人冒険者へのはなむけだ!」
俺はアレフの肩を叩き、するとやつは雷に打たれたようにほんの一瞬びくっとした。けれどそのあとしばらく、俺たちは肩がつくほど近い距離で何杯かジョッキをあけ、俺はアレフから根掘り葉掘り聞けるだけの話を聞きだした。
アレフは農民の息子だったが、幼いころに両親が亡くなり、郷里で剣の教師をしていた男に育てられたという。その男はむかしどこかの公国で騎士を任じられていたとかで、アレフは男に剣のほか、騎士の礼儀だの精神だのを骨の髄まで叩きこまれ、並行して生来の異能の制御法をおぼえた。十八歳になると彼は育ての親に冒険者として旅に出るよう勧められた。異能を生かして魔物退治で名をあげ、権力者に仕える道をさがせというのだ。
「え、十八歳なのか?」
「ああ。そうだ」
俺の外見は二十代半ばから変わらないが、アレフの落ち着きようは十代には見えなかった。俺はちょっとばかり落ちこんだものの、そんな思いは顔に出さなかった。何しろ実年齢はずっと上なのだ。そのくらいの精神的余裕はある。
その余裕をもって、俺は、アレフなら勇者や魔王に関係なく公国の騎士に取り立てられることもあるかもしれないと考えた。きっと剣もそれなりに使えるのだろう。
「ふうん。おまえならいけるんじゃないか。魔物退治で名をあげて、いつか立派な甲冑をつけた騎士様になるわけだ」
俺はアレフにそういった。内心ですこし残念に思いつつ――というのも、明日魔王の眷属が村を襲ってきたら、彼は村が火で焼き尽くされるのを目撃することになるのだし、俺はきっと死んだと思われるからだ。
しかしアレフなら良い仲間をみつけて魔王を封印できそうだ。短い会話にすぎなかったが、俺はそう確信した。魔王を封じたあかつきには英雄としての真の栄誉が待っている。騎士どころか、どこかの領国を治める道もひらける。俺の仲間のひとりは実際にそうなった。
まあ、ほんとうのことをいえば、俺がそのとき残念に思ったのは別の理由があったのだ。
アレフは金髪に深い藍色の眸をしていた。なにを隠そう、俺は金髪の男に弱い。ガタイがよくて着やせする男にも弱い。つまりアレフの外見はもろに俺のタイプだ。
もともと男にしか惹かれないたちで、冒険者時代は時たまダメな男に入れ込んで仲間に呆れられたものだった。この村に来てからは宿屋を訪れる冒険者とたまにそういう仲になったこともあるが、アレフはだめだ。こいつは勇者なんだから。
「イルスはどうするんだ」
俺の考えなど知る由もないアレフはおだやかに訊ねた。
「俺? きままな冒険者暮らしが好きなんだ。誰かに仕えるのは窮屈だからな」
「そういう生き方も憧れる。俺は考えたこともなかった」
アレフは俺をまっすぐみてそういった。まずいな、やめようぜ。そんな風にみつめられたら誤解しそうじゃないか。
「その髪、ほんとうに綺麗だ。月のない夜に光る星の色だ」
これも育ての親に仕込まれたのだろうか。俺は赤面しそうになるのをこらえた。
「そんなせりふは恋人にとっておけよ。じゃあな」
亭主にめくばせして食堂を出ると俺はまっすぐ教会へ向かった。これから最終点検に入らなければならない。
今回の村焼きイベントで、俺たちは過去最大級のド派手な炎上の準備を整えていた。
村焼きイベントの手順は長年にわたり改良を積み重ねてきたものであり、シナリオに沿って実施される村人のセリフや行動は、多少の時間差はあれどほぼ同じである。しかし魔王の眷属はいつも同じ位置から襲ってくるわけではないし、炎の燃え広がり方も毎回異なる。季節や気温も炎と煙の量や方向を左右した。
魔王の眷属は高温のビームを発するので、命中すれば張りぼてはよく燃えるが、村ではさらなる効果を生み出すため、誘爆の仕組みを盛りこんでいる。
重要なのは単に燃えることではなく、リアルに燃えることだ。それにあまりにも早く延焼してもだめだ。この炎の目的は、勇者を覚醒させることなのだから。
一方で、村人の地下への避難路を確保するため、火が燃えうつる経路は慎重に制御しなければならなかった。こんな制約がある中で、俺たちはここ数回の村焼きの結果を検討し、爆薬を増量したり炎が燃え移る経路を工夫したりして、もっと派手に燃える仕組みをつくりあげた。
なに、どうせ燃えるのは張りぼてだ。ちなみに張りぼての裏側にはたくさん落書きがある。他人に面と向かっていえないことを村人がこっそり書きこむのである。王様の耳はロバの耳、人にはいえない秘密も景気よく燃やせばすっきりするという仕組みである。
そして今回も、運命の朝がやってきた。
*
最初にその黒い小さな影をみたのは、村のはずれで畑を耕していた農夫だった。
「あれは……!」
農夫は鍬をほうりだし、駆け出した。村人の多くが伴走し、教会の方へ逃げ出す。悪臭に満ちた風が吹き、空が暗くなる。ドーン! 轟音とともに閃光が炸裂する。炎が燃え上がる。
火事が起きる前にアレフも建物を飛び出していた。すぐに上空から何かが襲ってきた。反射的に剣を抜いて斬り捨てる。魔物はギャォオ!と耳を聾する鳴き声あげつつ消滅した。襲ってくる魔物を次々に斬り捨てながらも、アレフは燃えさかる壁の向こうに崩れ落ちる人影をみた。助けにいかなければ。
背後で魔物が雄たけびをあげる。炎と魔物に挟まれる恐怖もアレフをすくませはしなかった。耐えがたいほどの熱気の中にアレフは駆けこむ。すると突然目の前の炎の真ん中に――炎をみつめる自分の意識に、残像のようなものが浮かび上がった。
封じられていた記憶がよみがえったのはその時だ。
前もおなじことがあった。この世に生を受ける前。
俺は炎の中で人を殺めた。
我に返ったアレフは炎の中を駆け抜ける。
キエエエエエ!と魔王の眷属が奇怪な声で鳴いた。煙のまじった空気のためか呼吸が苦しく、異能を発動させることができなかった。アレフは剣をかまえ、黒い翼と鉤爪と獣の顎をもつ生き物を斬っていく。ふいにドン、と何かが破裂するような音が聞こえた。途方もない圧力がアレフの体の右側を襲った。地面に叩きつけられようとした瞬間、アレフの体は自身を襲う力に背き、ふわりと浮いて――、
*
――爆風が襲う寸前に俺はアレフをかっさらっていた。自分の異能を発動させ、すでに鎮火した村はずれに跳躍する。黒く焦げた土から手のひらひとつ分ほど高い空中にアレフの体をいったん浮かせ、そのあとで異能を解除した。ドサッと土に落ちる音が響く。アレフは意識を失っていた。
これまでの村焼きイベントでも、勇者がにっちもさっちもいかなくなったところを村人がこっそり助けた例は何回もある。俺がアレフを助けたのもその手順通りだ。
それに今回は俺たちの方も下手をした。派手に燃やしすぎた上、爆発の順序についていくつか計算を間違っていた。アレフが予想より強かったのも、計算をまちがえた原因のひとつだ。
とにかく、今のうちにずらかろう。
俺は指をパチンと鳴らして宙に浮かんだが、魔が差した。地面に横たわるアレフの顔をもう一度間近で見たくなったのだ。繰り返すがアレフは俺の好みだったのである。
眺めているうちにひどい火傷をしていないかが気になったのは、昨日宿屋で一緒にビールを飲んだからにちがいない。このさいだから、万能薬くらいポケットに入れてやってもかまわないだろう。
俺は地面に降りて薬瓶をひっぱりだし、アレフの横に膝をついた。たぶんそれがまずかった。
乱れた金髪が揺れ、ひたいに皺が寄った。あっと思った時はもう遅かった。吸いこまれそうな藍色の眸がまっすぐに俺をみつめていた。
「イルス。助けてくれたのか」
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