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3.勇者の相棒になってしまった。
五日後、やっとのことでたどりついた町の安酒場で、アレフは真剣な目つきでこんなことをいっている。
「イルス、あなたは見かけ通りの人じゃない」
「そりゃそうだ。おまえよりは経験が多いっていったじゃないか」
ひとまずそう答えておいて、俺は酒場の亭主を呼びとめる。
「なあ、あっちでいい匂いさせてるのはなんだ?」
「六角獣の腿肉です。香草煮こみですよ、旦那」
「そいつを二人前。他になにかあるか?」
「テモテの実はいかがです? 蒸し焼きにできますよ」
「じゃあそれも。それとビール」
「二杯で?」
「ああ」
ビールと食べ物が運ばれてきたのに、アレフはどことなく不満そうだった。ここ数日ではじめてありついたまともな飯だというのに。
「ちがうんです。俺がいいたいのは、単に経験があるっていうだけじゃない。あなたはもっと……」
「今は面倒くさい話はやめろ。やっと町にたどりついたんだ」
俺は湯気をあげているテモテの実を指でつついた。
「アチチッ」
「どうやって食べるんです?」
「皮を剥いてバターを落として、つぶすんだ。食ったことないのか?」
「あ、はい」
「ナイフでひっかいて表面を切って、ぺろっとしたところから指で剥がすんだよ。貸せ」
テモテの実はホクホクしてコクがあり、これにバターの塩気が加わると最高だ。美味いだけでなく栄養もあって腹持ちする。俺は皮を半分剥いた実をアレフの皿にのせてやり、自分のものにとりかかった。アレフは納得がいかない表情だったが、潰した実を一口食べると笑顔になった。
「これは……」
「美味いだろう?」
「はい」
「肉も食え。やっぱり町はいいな。亭主待って! ビールのおかわり!」
「へい、まいど!」
俺は飲み干したジョッキを亭主に渡し、アレフが皿の中身を片づけるのを見守った。不老の体は便利なもので、あまり食べなくても大丈夫なのだ。腹が減っても少し食べれば満腹になる。つまり量を食べられないということでもある。アレフの健啖ぶりは見ていて気持ちがよかった。
「イルス」
「ん?」
「ちゃんと食べてます?」
「俺はあまり食べなくてもいいのさ。経験豊富だからな」
「ふざけないでください」
「ふざけているのはおまえだろう。なんだよ、その言葉づかい。三日……四日前からそれだ。最初に会った時はそうじゃなかった。かしこまりやがって」
「え、でも……」アレフの顔がボッと赤くなった。
「当たり前……です。あなたはあまりにも……」
あまりにも何だ? そう返すのは意地が悪いかもしれなかった。焼け野原になった村から魔物が跋扈する谷と森を通りすぎるあいだ、アレフを少々甘やかしてしまった自覚はあった。
いいわけをさせてもらうなら、アレフは未熟な冒険者――またはなりたての勇者――とは段違いのスキルをすでに持っていたし、村を出たときに背中に負っていた火傷はけっこうひどいものだった。結局手持ちの万能薬は役に立って、薬が効くあいだ、俺は久しぶりに魔物を狩っていた。村を出たときの俺は着の身着のままだったし、アレフの剣も村に残してきたので、魔物を狩るときは剣ではなく異能を使ったズルをしなければならなかった。
しかし異能も万能ではない。長距離を跳ぶことはできないから、傷が治ったアレフと町までたどりつくには徒歩の旅が必要だった。俺たちは狩った魔物を苦労して運び、町はずれの解体屋に売った。七本の角がある魔物はねらい通り高値で売れたから、俺とアレフはいま温かい飯にありつけているわけである。
ここに来る前に俺は鍛冶屋でナイフを買い、武具屋でアレフの剣と俺の弓を注文し、仕立て屋でアレフのコートその他、装備一式を採寸させた。仕上がるまでは町にとどまることになる。アレフが採寸しているあいだ、俺は伝書屋を探して村に手紙を送った。勇者を町まで見送ってくるが、そのうち戻る、と。
「だからさぁ、最初に会った時に経験はすこし多いといっただろう。俺は正しかったな?」
「はい。もちろん」
返事を聞いて俺はため息をついた。
「俺はおまえの師匠じゃないんだ」
「そうかもしれませんが……だったらあなたは、賢者です」
「賢者ぁ?」
俺は呆れた声をあげたが、アレフはしごく真面目な表情だった。
「ああもう、なんでもいいよ。とにかくその言葉づかいはやめろ。俺はこの見た目だし……育ちも悪い。おまえに丁寧な話し方をされると気持ち悪いんだ」
そこまでいってやっとアレフは納得したらしい。ぎこちなくうなずいた。
「わかった。イルス、その……」
「なんだ?」
「ありがとう」
アレフの視線はまっすぐすぎて、俺は赤面しそうになったが、なんとか取り繕った。
「で、おまえはこれからどうする。俺はこれまで通りやっていくつもりだが」
慎重に言葉を選ぶ。というのも、アレフはまだ「魔王封じの決意表明」を口にしていなかったのである。他の勇者はみな、焼かれた村を旅立つときにこれをやるのだ。
アレフはまばたきした。「イルス。確認したい」
「なんだ?」
藍色の眸にちかりと白い星の光がまたたいたと思ったのは、気のせいだろうか。
「村がああなったのは……魔王のせいなのか」
「まちがいない」俺は声を低めて応えた。
「村を襲ったのは魔王の眷属だ。封印が解けてから、あんな風に襲われた村は、あそこがはじめてじゃない」
「宿の主人がいったように、魔王を封じればあの災厄は防げたのか」
「そうかもしれない」
「だったら俺は……魔王を封じなければ。育ての親の教えに従うためにも」
そう聞いたとき、俺がどれだけ安堵したかおわかりいただけるだろうか。やっぱり勇者は勇者だぜ! と俺は思ったのだった。
「そうか。がんばれ」
「え?」
「魔王封じは冒険者の仕事としては特級だ。成功すればどんな王侯にも士官できる。火の山までは少々遠いし、途中にやっかいな迷宮もあるが、知ってることは教えてやるよ。おまえならできる。いい仲間を集めて――」
「イルス。俺と一緒に来てほしい」
俺はぽかんと口をあけた。「え?」
「お願いだ。魔王を封じるのを手伝ってほしい」
そしてアレフはジョッキを空にすると、その藍色の眸で俺をひたとみつめたまま、なぜ俺に魔王封じの旅へ同行してほしいのか、くどくどと説明しにかかった。最初に俺をみたときからただ者でないと思ったとか、焼け野原になった村でめざめた時に俺なら真に信頼できると思ったとか、そんな風に命を預けられる友を作れと育ての親にいわれたとか、このほかにもいろいろと述べたてられた。
結局、それでほだされてしまったのだ。
その夜は町の宿屋に泊まった。手持ちの金にはまだ余裕があったので、雑魚寝の大部屋ではなく個室に泊まれたが、ベッドはひとつしかなかった。庶民向けの宿ならよくあることだ。
毛布の下でアレフの体温を感じながら、野宿の方がましだったと俺は後悔していた。そしてこの先の旅のあいだもできるだけ金を稼ごうと心にきめた。同じベッドに眠るなんてごめんだ。とても休息にならない。
アレフの方が先に眠ったと思ったのに、翌朝は彼もすっきりしない顔つきだった。ほらな、と俺は思った。ベッドひとつの安宿んて、二度と泊まるもんか。
こうして俺と勇者アレフの旅がはじまった。
俺としては、魔王封じの|勇者隊《パーティ》メンバーを揃えるまでの「つなぎ」のつもりだった。この旅は俺にとっては二回目で、行かなければならない場所も必要なものもすべてわかっていたが、だからといって、ひと跳びでその場所へ行けるわけでも、必要なものがみずから飛び込んでくるわけでもない。ひとつひとつ任務をこなしていかなければならないし、中にはふたりだと荷が重いものもある。
しかしアレフは他に仲間が欲しいと思わなかったようだ。俺がこれはと思う戦士や治療師を同行させようとするたびに、アレフはそっけない態度で彼らをはねつけた。俺が呆れた顔をすると、アレフは真顔で「俺はあなたがいればいいんだ」という。
「あのなぁ……おまえ、魔王を舐めてるぞ」
「俺にはわかる」アレフは静かにいった。
「ほかの仲間なんていらない。あなたが相棒でいてくれるなら、俺は大丈夫だ」
大丈夫? そうかもしれない。アレフはめきめきと剣の腕をあげたからだ。
町で俺が買ってやった剣は村でなくしたものより良い剣だったが、その後「水晶の洞窟」を過ぎて「祈りの泉」で稲妻の剣――別名「勇者の剣」――を解き放つと、アレフは異能と剣術の合わせ技を使えるようになった。
一口に魔王を封じるといっても、異能の種類は人によってちがうから、すべての勇者がおなじ能力を使うわけではない。俺とアレフの能力は正反対だった――ということは、組めば最強だということだ。互いの苦手を補いあえる。
アレフが最初からこれを察していたのか、そこはよくわからなかった。俺は「元勇者」にすぎなかったから、現役だけに備わっている特殊な嗅覚に欠けていた。
魔王への憎しみから生まれるこの嗅覚は、やむにやまれぬ衝動として勇者の行動を左右する。かつての俺の旅にも、たしかに似たようなものがあった。俺は何度も、仲間の反対を押し切って自分の衝動に従ったものだ。
しかし、おかげで俺たちはずっと|隊《パーティ》ではなく|二人組《バディ》ですごすことになった。アレフに「ほんとうの仲間」ができたらはじまりの村へ帰るつもりだったのに、俺は結局アレフに教えられることをすべて教えてしまっていた。迷宮での道の辿り方、夜の森の危険をどう避けるか、特級魔物の急所はどこか。
アレフは教えた知識と技能をやすやすと吸収し、自分のものにした。俺に教えられないのは異能だけだった。個人によって全く異なる才能の扱い方に、共通のマニュアルはない。
野宿の旅がつづいたある夜、焚火を囲みながら、アレフは自分の前世について口をすべらせた。
ずっと黙っていたのはきっと、俺が笑い飛ばすと思ったからだろう。俺が続きをうながしたので、アレフはぽつぽつと、どんなふうに自分が死んだのかを話した。アレフが前に生きていた世界は、こことおなじように魔物のいる世界で、彼は騎士の家系に生まれたという。君主の後継をめぐる争いにまきこまれ、敵方にハメられたうえ味方に裏切られて炎の中で焼け死んだ、といった。十八歳だった。
「じゅうはちぃ?」
そこで俺は素っ頓狂な声をあげてしまい、アレフは怪訝な顔をした。
「十八歳がどうかしたのか」
「あ、いや、なんでもない」
自分は二十八だった、という言葉を俺はどうにか飲みこんだ。十八で焼かれて死ぬなんて。そしてこの世界で、村が焼かれた時にその苦痛を思い出すなんて、いったいどういう拷問だよ。
「きっと俺がこの世界に生まれたのは、役割があるからなんだ」アレフは焚火をみつめながらいった。「俺はかつて火の中で死に、火の中でその記憶を思い出した。だからこそ魔王を封じるのは俺の役目だと思った。おかしいか?」
燃える薪はしだいに真紅の燠に変わり、白い灰に覆われようとしていた。
「いや、おかしくない」
「そうか? こんなに奇妙な話なのに」
奇妙じゃないさ。ほんとうはそういってアレフの孤独を癒してやりたかった。俺は木の棒で焚火の中心をかきまわした。
「アレフ、火の山へ行く前に一度大きな町で装備を整えよう。十分に休息して英気を養うんだ。魔物をたくさん狩ったから資金は潤沢だしな。いい宿に泊まるぞ」
足した生木の皮に火が燃えうつり、パチンとはじけた。アレフの藍色の眸のなかでも炎がゆらめいている。俺はおもわず、魅入られたようにみつめてしまっていた。ふいにアレフが微笑み、俺はあわてて顔をそらした。
あとで思えば、あのときすでに次に起きたことの前兆はあったのだ。
到着した大きな町には立派な冒険者ギルドがあった。そして立派な冒険者ギルドの周囲には、冒険者目当ての商売がたくさん集まっているものだ。装備品を商う店や鍛冶屋、薬屋があり、宿屋は安宿から贅沢なものまで種類豊富。そして宿屋の通りから一本奥へ行けば、冒険者たちにひとときの気晴らしを提供する華やかな看板が軒を連ねている。
俺たちは並んで人混みの中を歩いていた。ふたりとも宿の隣の風呂屋で旅の汚れをおとしたばかりで、長身のアレフの金髪は露店のランプに照らされてきらきらと輝いていた。彼が客引きの男女に何度も腕をとられ、話しかけられるのを俺は横目で眺め、内心面白がっていた。
とはいえ、アレフは胸をはだけた女たちに声をかけられてもうぶな少年のように真っ赤になったり、動揺することはなかった。ときおりうろたえてはいたものの、如才なくあしらっている。
まったく知らないわけじゃないんだな、と俺はその様子をみて思った。ところがとある路地の手前で黒髪の女に声をかけられたとたん、すこし様子が変わった。
なるほど。あれがタイプか。
ズキリと胸の奥が痛むのに俺は気づかないふりをした。同時に、アレフに男の趣味があるなんて信じていなかったくせに、期待していた自分にいささか呆れた。アレフは立ち止まり、黒髪の女と話している。俺は素知らぬ顔で足を速めた。宿には今回それぞれ部屋を取っている。女を連れてくることもできる。俺はどうするか。好みの金髪でも探すとするか。
この町に来るのは初めてじゃないから、こんな時どこへ行けばいいか、俺にはわかっていた。まもなく俺はとある酒場で、濁った金髪の男と薄めた蒸留酒を飲んでいた。酒場は薄暗く、奥には小さな扉があって、そこを抜けると小部屋がずらりと並んでいる。
「どうだ?」
金髪は扉に向けてあごをしゃくり、俺はうなずいた。
「ああ」
ところが席を立って歩きだしたとたん、つかつかと歩いてきた男が俺の行く手を阻んだ。見通しの悪い酒場の中で、俺には最初ランプを反射する金髪の房しかみえなかった。それなのにそいつは戸口からまっすぐやってきて、迷いなく俺の前に立ったのだ。
「イルス、どこへいく?」
俺は顔をしかめた。
「どうしてここがわかった」
「あなたの髪は目立つんだ。綺麗だから」
俺はため息をついた。その金髪はもちろん、アレフだった。
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