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5.そして勇者はこの世界の理を実現する。

「イルス」  アレフに揺り動かされて気がついたとき、俺は見覚えのある魔王城の内部にいた。  碁盤目に区切られた黒と白の床は生暖かくすべすべと滑らかだ。どこまでも続くかにみえるこの床のところどころにさまざまなサイズの漆黒の壁が立ち、見通しをさえぎっている。どこが光源なのかわからない真紅の光があたりを照らしていた。アレフの髪も肌も紅く染まっている。  アレフは手をさしのべて俺を立ち上がらせた。 「ここが魔王城なのか」 「そうらしいな」 「火の山の地底がこんなふうになっているとは……」 「ほんとうにあの山の下かどうかはわからないぜ」  俺は用心深くあたりをみまわした。 「火の山はただの入口で、ここは別の世界、別の空間なのかもしれない」  アレフは眉をひそめた。 「そんなことがありうるのか?」 「おまえには前世があるんだろう? 世界がひとつじゃないのなら、そんな考え方もできるってことさ」  ブーツのかかとが堅い床で音を立てた。最初の黒い壁に接近すると向こう側から二体の魔物があらわれた。アレフはすらりと長剣を抜いて近い方へ飛びかかり、俺は異能を発動させてもう一体の顔面に飛び出し、短剣で魔物の一つ目をつらぬいた。床へ崩れ落ちた魔物は霞のようにかき消え、あとには染みひとつ残らない。  すこし先の壁へ進みながら、俺は自分が勇者だったとき、この「赤の広間」を通過したことを思い出していた。魔王はここではなく、別の空間にいる。そこへ転移する座標をみつけなければならなかったはずだ。  みるとアレフは気がかりなことがある顔つきで、点在する黒い壁を見回している。そうだ。俺は思い出した。たしかこれらの壁をたどるには、順序があって…… 「イルス、こっちだ」  アレフはいちばん近い壁の前をすり足で通りすぎ、斜めうしろにある壁の前に立った。今度の魔物は三体で、俺が一体にナイフを突きたてているあいだにアレフは長剣で二体を同時に斬り捨てる。剣の柄の宝石が青く光り、アレフはそれに導かれるように別の壁へ歩いていく。  今はアレフこそが道を知る勇者なのだと、俺の中でふかく納得するものがあった。火の山までは元勇者である俺の知識もいくらか役に立ったかもしれないが、魔王城は真の勇者でなければ前に進めない。  俺たちは真紅の光に照らされながら、あと四回黒い壁の前に立ち、あらわれた魔物を倒した。最後にあらわれた魔物は一体だけだったが、赤黒い肌をぬらぬら光らせた巨大なサラマンダーだった。ふたりで力をあわせてサラマンダーを倒したとき、床にくずれた死骸が消滅するなか、赤い光の輪がぽかりとひらいた。 「アレフ、道だ!」  俺とアレフは同時に輪のなかにかけこみ、次の空間に転移した。そこは妖しく光る触手の森が生い茂る「緑の迷宮」だった。  迷宮の触手は外の荒野をうろついている淫魔の母体である。アレフにも話していなかった俺の秘密の異能はここで多いに貢献した。俺たちは触手に締めつけられても、毒の体液をまきちらされても、けっして無力化されることなくあっさりとここを通り抜けた。  次に転移したのは「青の渓谷」だ。  軽く触れただけで肌を切り裂く、鏡のように反射する青い鉱物で埋め尽くされた谷で、出口を探す俺とアレフを数えきれないほどの魔物が阻んだ。これを打ち破ったのはアレフの異能で、俺は彼の腕に抱かれたまま力強い跳躍でこの谷を乗り越えた。  正直いって切羽詰まっていたので、俺の時はどうやって切り抜けたか、という考えはすこしも頭に浮かばなかった。そしてこの谷からついに、俺たちは魔王がいる「漆黒の地平」へ跳んだのである。  真っ黒の硝子の地平がどこまでも続き、耳を突き刺すキーンという音が反響する。みあげるほどの巨大な玉座に魔王はいた。不快なキーンという音が反響するなか、いびつにひび割れた魔王の声もまたおぞましく、不快なものだった。 「ハハハ、勇者よ、よくここまで来られたものだ」  アレフはすこしも怖気づかず、俺を自分の背に隠すようにしたまま、冷静に言葉をはなった。 「魔王。おまえを封じにきた」 「余を封じるだと? たかが人の子のくせに、懲りないやつらだ。何度くりかえそうと余は蘇る。おまえたちが何度封じようとしたところで、永遠にな!」 「それでも俺はやるんだ」アレフは噛みしめるようにいった。 「炎に消えた村のために、おまえとおまえの眷属のせいで、無念な心で死んだ者のために」 「ほほう、そうか」  魔王の背中でてらてら光る真っ黒な翼がバサリとひらいた。 「ではやってみるがいい!」  そして俺たちは戦った。  魔王の力はここに来るまでにくぐり抜けてきた配下とは段違いに強かった。アレフも俺も、幾度となく黒い硝子に叩きつけられ、息もできないほどの衝撃を受けた。しかしアレフは勇者の剣と、剣によって強化された異能をもっていた。俺は彼をアシストし、ついにアレフの剣は魔王の翼を粉砕した。  翼を失った魔王は空気の抜けた風船のようにたちまちしぼみはじめ、同時に黒い硝子の地平も椀のように丸くなって、魔王を中心において縮まりはじめた。 「アレフ、いまだ! 魔王を封じるぞ!」  しぼんでいく漆黒の空間で俺たちは跳躍し、そこから脱出しながらも、魔王を黒い硝子でぺったりと包みこもうとした。いまや魔王は俺とアレフの視界のなかで小人のような大きさになっていた。それでも眸はらんらんと輝き、薄笑いをうかべながら宝石のついた剣をかまえるアレフをみつめていた。  そうだ、魔王はいつでも勇者にしか興味がなかった。  魔王の目にほんとうに「見える」のは勇者だけなのだ。それ以外の者がいくら攻撃しようとも、それは魔王にとって不快な虫のようなものにすぎない。  俺はこの事実を思い出した。だからかつて、俺もこうしてあいつと向きあって――  そのときだ。唐突に魔王の視線がみた。 「ほほう。勇者よ」  邪悪な口が横にひらき、ゆがみ、にんまりとした笑みを形づくる。 「こたびのおまえの仲間は、余の眸にうつるぞ。なぜだ」 「だからどうした!」  アレフはそう叫んだが、魔王の眸はいまだに俺を見据えている。 「おまえには以前会ったな。いつだったか? 覚えているぞ――。まったく変わらぬではないか……さてはおまえ」  魔王の指がぬるりとあがる。あとわずかで力を失うはずなのに、魔王の指先からのびた見えない線に俺の体は突然がんじがらめになってしまった。宙づりになった俺は魔王が閉じこめられようとしている封印の中へ墜ちかける。  ほんの一瞬、ふうっと気が遠くなった。 「イルスを離せ!」  アレフが叫んだ。突然俺の体のいましめは解けた。  俺はまた宙へ投げ出され、振り子のようにぐるぐると振り回されたあげく、アレフの腕の中へどさりと落ちた。 「イルスまで奪うのは、許さない! 俺はおまえを封じる!」  アレフの剣が輝き、魔王を囲む黒い球体がしぼんでいく。しかし魔王は顔に笑みを貼りつけたままだった。 「ハッ! 勇者とはめでたいものよ。余と同様に、世界の理のひとつにすぎぬものを。誰も奪われてはおらぬと知らぬとは」 「何をいう! おまえは俺の前で村を焼き――」 「そいつは真実を知っているぞ」  閉じていく漆黒の中で魔王はまた俺を指さした。 「その村へ帰るとよい。すべてがはじまった場所へ」 「おまえはいったい――何をいっている?」  アレフはつぶやいたが、球体が閉じた瞬間に衝撃が襲ってきた。アレフは片手で俺を抱き、もう片手に握った勇者の剣で空中に大きく弧を描いた。  剣の切っ先から安全な空間がぽんと生まれ、俺たちはその中にぽかりと浮かんだまま、火の山の底でどろどろと燃える赤い河に、魔王を封じた黒い球体が落下するのをみつめる。鉄を溶かす熱にも球体は消滅しなかった。ただ赤い河の底へ沈むだけだ。  黒い球体が完全にみえなくなると、俺たちを守っていた空間はふいに上へあがりはじめた。やがて俺とアレフはすさまじい速度で上にのぼりはじめた。あまりにも速いので俺の視界にうつるのは通りすぎる物体の軌跡だけで、自分の足がどうなっているのかもわからない。  俺はアレフの手をやみくもにつかんだ。ぎゅっと片手を握りしめたまま、俺たちはぽんと冷たい夜空に抜け出ていた。透明で安全な膜につつまれたまま、星空の中を漂っていく。 『寿げ、魔王は封印された』  俺の頭のなかにどこからか声が鳴り響いた。 『魔王はこの世の(ことわり)のひとつ。さればこそ、いずれ大地の循環によって、また火の山の底に現れるかもしれぬ。しかし今は、猶予のときが訪れた。邪悪なものは眠りにつき、地上に平和が訪れた。勇者アレフが、これを成し遂げた』  頭上の星空を映すように、俺たちの足元にも光があった。町も村も、家々の窓や街路には明かりがついている。地平線にはまだわずかに夕暮れの色が残っていたが、ふわふわと宙に浮いた俺たちが最後に立ち寄った大きな町に近づくにつれ、暗い夜の色に変わった。  ドーン、パン!  花火の音がして、夜空の星と競いあうように暗い空に大輪を描いた。その下で人々が浮かれ騒いでいた。そういえば――と俺はぼんやり思い出した。俺のときもこうだった。魔王が封印されたことはすぐに知れ渡り、俺も仲間も町で歓待を受けたのだ。  町はずれの草地にふわりと降り立ったとき、俺はまだアレフの片手を握りしめていた。笑顔をうかべた人々がこちらへ歩いてくる。 「終わった……のか?」  アレフが信じられないという表情でいった。片手に剣を握ったままだった。 「そのようだ」  俺はアレフの手を離し、肘に触れた。 「おまえはやったんだ。勇者アレフ」 「イルス」アレフの声は堅かった。 「魔王は……何といった? あれはあなたを知っていた。真実をあなたが知っていると……はじまりの村へ帰れと……あれは何だ?」 「アレフ」  俺はどうにかこの場を切り抜けようと口をひらいた。 「その話はあとでしよう。今はまず、休んで――」 「俺は村へ帰る」 「アレフ?」  あっと思う暇もなかった。一瞬にしてアレフはその場から消えていたのだ。異能を使った長距離跳躍だ。なんてこった。  集まってきた人々は俺に、消えてしまった勇者はどこだと口々に問いかける。俺は薄ら笑いを返し、勇者は忘れ物があってとかなんとか、間が抜けた弁解をした。そして勇者の仲間としてなんとか威厳を保ちつつ、宙に浮かんだ。  俺もはじまりの村へ跳んだのだ。とはいえ、すぐにアレフに追いつくのはあきらめなければならなかった。  疲労のあまり膝をがくがく震わせながら、俺がはじまりの村の街路に降り立ったとき――当然のことながら、村は完全に元の通りだった。  もちろんそうだ。そうでなければおかしい。  アレフのように一気に跳べないので、俺は短い休みを挟みつつ何度か跳躍をくりかえさなければならなかった。魔王を封じたあとに異能を使うなどとんでもない話だったが、これこそ火事場の馬鹿力とでもいうのか、アレフを追わなければならないという一心でどうにかやったのである。  まだ日付は変わっていなかった。村の宿屋にも明かりがついていたし、勇者が魔王を封じたことはここにもすでに広まっているようだ。教会へつながる通りにはいつもよりも村人がたくさんいた。 「イルスさん! お帰りなさい!」 「今度の勇者さん、やりましたね~」 「しばらくイベントなしだと思うと、嬉しいような残念なような、変な気分ですよぅ」  異能で跳んできた俺の姿はそれなりに目立っていたにちがいない。よれよれの足でなんとか体を支えているとたちまち村人がわらわらやってきて俺を囲んだ。長く留守していたことなどものともしていないし、話しかけてくる連中の顔をよくみると全員「村焼き企画班」だ。  元気そうでなによりだが、俺は久々の再会を喜ぶどころではなかった。 「あのさ、勇者来なかった?」 「今回の勇者ですか?」 「アレフさんならずいぶん前に来ましたよ」  村人の脳天気さに俺は頭を抱えたくなった。 「今どこにいるんだ? この村をみて、どんな様子だった? 大丈夫そうか?」 「はあ、大丈夫……だと思いますけど」村人のひとりが答えた。 「村長が教会へ連れて行きました」 「教会――そうだよな」  俺のときもそうだったっけ。いや、俺のときはまず宿屋、そのあと変だと思って問い詰めたあげく、最後は教会に連れて行かれて種明かしされたのだったか。  俺は村人に手をふると通りをとぼとぼ歩いていった。石造りの教会は村の規模に似合わず立派なものだ。だからこそ、他のすべてが焼けても残るのだし、何度炎に襲われたとしても、この教会を中心に村が再生するのは自然だと誰もが思う。  大きな扉の前で一度息をつき、俺はやっと扉に手をかけた。以前と同じように、ぎいっと音を立ててひらいた。  窓から光が漏れていたとしても、内部はそれほど明るくなかった。奥の祭壇の向こう側がぼうっと光っている。あそこに地下の村へ降りる石段があるのだ。俺はさっきの会話を思い起こした。村長が連れて行ったのなら、アレフは村――張りぼてではない、本物の村にいるのか。  俺は祭壇に向かってそろりと歩き出したが、どこかで青い光がまたたいたのに気づき、足をとめた。  あれは勇者の剣の光だ。 「イルス」  突然耳元で声がきこえて、俺は飛び上がりそうになった。 「アレフ。おどかすな。そんな、急に現れて……」  アレフは俺の言葉をきいていないようだった。 「この村は燃えていない」彼は低く、断固とした口調でいった。 「あなたはそのことをずっと知っていた?」 「――アレフさんっ」  唐突に祭壇の奥から村長の丸い胴体が飛び出した。 「私たちはあなたを騙したわけじゃ――いや、騙したんですが、それはあなたが勇者となるために、この世界の理にとって必要なことで……」  村長の目がくるくる回り、助けを求めるように俺をみる。 「イルスさんも何とかいってください。勇者だったあなたもここに帰ってきて、我々の秘密を知ったんですから!」 「あなたも勇者だった?」  がしっと両肩を掴まれる。アレフの藍色の眸が俺を見据えた。責めるようなまなざしが恐ろしかった。 「だから魔王はあなたを――」  バーン!  俺の背後で教会の扉が大きく開いた。外にいた村人が――村焼き企画班を筆頭に――わらわらと中に入ってくる。同時に祭壇の奥からも村長を押しのけるように人々が現れた。 「勇者さんごめんなさい! 村が焼かれたふりをして!」 「伝統なんだよ! 怒らないでくれ! この村には絶対勇者がくるんだ、そしたら焼ける!」 「だから、どうせ焼くなら自分たちでってさぁ!」 「これでもいろいろ工夫したんです。イルスさんも協力してくれて――」 「イルスさんも最初はびっくりしてたんですけど、そりゃいつもいつも焼けるようなところじゃ住めないよなって納得してくれて」 「それに勇者は試練にあわないと魔王を封じに行けないらしくて、村を焼かなくても勇者を送り出せないかって試しても、ぜんぜん弱かったんですぅ」  わらわらわらっとアレフを取り囲んだ村人たちは口々にそう話しはじめる。 「それで勇者様、今回はちょっと燃やしすぎたんです。で、あなたを心配してイルスさんがついていったんです」  しまいに母親の腕に抱かれた幼女が「いるしゅをいじめないでぇ!」と叫びながらアレフに向かって小さな拳をふりあげた。 「あ……ああ。わかった……わからないが……わかった……かも……」  アレフは毒気を抜かれた表情で俺の肩から手を離した。 「勇者様。魔王を封じてくださって、ありがとうございます」  幼女を抱いた母親がずいっと前に進み出るとにっこり微笑んでいった。村長の妻である。ある意味村長以上にこの村では偉い存在だ。 「勇者がこの世界にひとときの平和をもたらしてくださるのを、私たちはずっと待っていました。いまはきっとお疲れでしょう? 私たちの村をおみせしますから、ゆっくり休んでいってください」 「あ、ああ……」 「イルスさんもお帰りなさい。さすが元勇者様。今回の旅の仲間は、勇者様とあなたの他に、誰がいたんですか?」 「それは……」  答えようとしたとき、アレフの手が俺の背中にまわった。 「魔王を封じたのは俺とイルス、ふたりだけです」 「たったふたり? そんなことができるんですか?」  驚いたように声を大きくした母親の腕の中で、幼女がぽかんと口をあけていた。  アレフはうなずいた。 「もちろんです。イルスは俺の愛する人ですから」

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