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ペットじゃねえよ 8
誰かに聞いたわけじゃない。実際、この目で見たんだ。
ヘマをやらかした屋敷の魔物に、この男は容赦も慈悲もなかった。それなりに長く仕えていただろうに……一瞬で消し炭となった魔物の姿に非力な俺はもちろんのこと、周りの魔物連中もガタガタと全身を震わせていた。男の何倍も大きな図体を持つ、強面の猪ですら頭を垂れて跪いたくらいだ。
そんな恐ろしい「魔王」だというのに、俺は目を逸らすだけでなく、自身の歯茎を見せつけるほど奥歯を強く噛み締める。
およそ従順でない、奴隷らしからぬ態度。なのにこいつは優しげな声音を変えることなく尋ねてくる。
「エイシ。おはよう、は?」
俺の口から挨拶が聞きたいらしい。唇に親指を宛てがわれ、色づくそこを緩やかに撫でられる。擽ったさに負けて、俺は僅かに唇を動かした。
「お、はよ…………ざい、ます……」
カラッカラの乾いた口腔からなんとかひり出せた自分の声。掠れ具合が半端ない。昨夜、こいつに散々「遊ばれた」せいだ。
嫌々な態度でする挨拶だが、「魔王」は嬉しそうに微笑んだ。ちなみに、俺はこいつの本名を知らない。教えてくれる奴がいないし、こいつ自身も教えてくれないからだ。わざわざ呼ぶこともないから、こちらから聞きもしないけれど。
ともあれ、「魔王」は第一段階の挨拶を俺にさせると、次の段階を要求する。
犬相手なら「お手」、「おかわり」、などの芸を仕込むような感覚だろう。その程度のものなら簡単なのに、こいつが俺に望むものは方向性がだいぶ違った。
「ん。それで? おはようのキスは?」
やるわけねーだろ、そんなもん!
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