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【2020/05 教育】①

《第2週 月曜日 夜》 南と長谷くんを帰した後、一件ERから頼まれた剖検をこなしてから、長谷くんの件を調べていた。 父親は警察官で最後の役職は高輪署の刑事課長、母親は英会話講師で外国人。 横浜市内の高台の新興住宅地の育ちで、小学校からバスケットボールで頭角を著し中学からユースクラブに所属、高校で水球に転向。 国体の強化選手に選ばれたり、代表選考入りまで果たしていた期待のルーキーだったようだ。 なので当時の記事や動画もそこそこ見つかった。 周囲を信頼しているのか、五感が発達しているのか、全く見ずに正確にパスを出し、打てるタイミングや隙があれば必ずゴールを決める。 ボールに反応する早さが違うし、投げる威力や距離も他の選手とは比較にならない。 顔立ちは当たり前だが今より幼かった。でも今よりも目が鋭く爛々としていた。 今も身体は大きく頑健だが、この頃のほうが心身とも張り詰めた感じがある。 何より圧倒的に強いし、かっこよかった。 しかし、3年の夏以降は急に情報が途絶えている。部活の引退時期にしては少し早い気がする。 在席していた学校の名前と西暦や年度を組み合わせて検索すると、同時期に不祥事があったため関係者の処分があったという記事があり、記事内には性的暴行とか強制わいせつという文字があった。 但、彼がこの件に関係していたのかも、これに絡んで競技を辞めたのかどうかも、加害者なのか被害者なのかも、この記事からはわからなかった。 これ以上は憶測になってしまうし、プライバシーの侵害になりそうなので深追いはしなかった。 あとは後日暇なときにでも高輪署のタヌキ課長に長谷くんの親子関係を問い詰める程度だ。 試合の動画の終盤、水から上がった長谷くんが帽子を脱いで顔を上げた瞬間のアップが写った。 プールの塩素で髪の色が抜けているのか茶色い。 そしてよく見ると目の色が緑がかって、頬に少しだけ雀斑があった。 今は髪の色はそこまで明るくない。 目の色も焦茶色っぽかったと思う。 雀斑なんて、あったっけ。明日忘れてなければ、会ったら見てみよう。 今日はもう、リスカの痕の事で「余計なこと言っちゃった…」という感じにしょげた姿が面白くてそれどころじゃなかった。 ハルくんに教えたら「いいオッさんが若い子からかってんじゃないよ」と窘められた。 「お手付き厳禁」と釘も刺された。 大丈夫、あのナデナデに性的な意図はないよ。 でも、あのとき長谷くん、ちょっと勃ってたな。 南の前では気を付けないと叱られそうだ。 《第2週 月曜日 深夜》 「お弁当ありがとう」 兄がダイニングテーブルに空になったお弁当箱を置いた。 あっ、またこんな夜中になってから洗うもの持ってきた。出すの忘れてたの?しょうがないなあ。 「ううん、自分の作るついでだし。明日は今日の晩御飯と同じピーマンの肉詰めでもいい?」 「うん、いや、もう、ほんと作ってもらえるだけありがたいんでおまかせするよ。じゃあおれはこの辺で」 仰々しく合掌してお辞儀して、回れ右。 奥の仏間いっぱいの大きなキャンバスに向かう。 兄は本当は絵を描く人なのだけど、いろいろあって医学部で助手と教員の中間みたいな仕事をしている。 職場では重宝されているみたいだけど、家ではまるで何もやらなくて、家事能力は限りなくゼロに等しい。 わたしがいなくなったらこの人、生活どうするんだろうといつも思う。 わたしは、来年の結婚を準備しているところだけれど、事情があって進捗は停滞している。 破談してしまうかもしれない。 兄とわたしは、遺伝上の父母が違う。 兄はこの家の夫婦の子だけれど、わたしは途中からこの家に加わった子だ。 両親は誰が遺伝上の父母かは知っているが、絶対に教えてくれず、そのまま一昨年交通事故で他界してしまった。 但、成人したときに、遺伝上の母親はもうこの世にいないこと、遺伝上の父親は成人してからずっと私の為に仕送りを始め、今もその仕送りは続いていることは教えてくれた。 そこまでしてくれている人なのに、何故教えてくれなかったのか、何故会わせてくれなかったのか、まだ納得がいかない。 会いたいし、会って直接今までのお礼が言いたい。 何故私を育ててくれなかったのか、何故会ってくれなかったのかとか、どうでもよくはないけど、そんなことはいいから、会ってほしい。幸せに暮らせていたことを伝えたい。 それが叶うまでは次のことなんて考えられない。自分本意なわがままなのは十分わかっている。でも、どうしても。

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