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【2020/05 教育】⑦

《第2週 月曜日 夜 リプレイ》 長谷くんを帰したあと、別途剖検があり再び着替えて解剖室に入った。 それが終わって夜半すぎに監察医務院を出て、小曽川に「直帰するので調べてもらってた内容の中間報告をストレージにアップロードしておくように」とLINEで依頼して、仕事用の携帯の電源を切った。 私用のスマートフォンに持ち替えて、アプリでタクシーを呼ぶ。 行先はタワーマンションが乱立するベイエリア。 着信履歴を開き、ある人物の名前をタップする。 履歴の半分以上がこの名前で埋まっていた。 そのまま発信すると、ややしばらくして応答があった。 「玲か、今何処だ、どうしてる」 「すみません、今から行きます」 一言だけ伝えてすぐに切った。 折り返し着信があったが切った。数秒してまた着信があったがそれも切った。 通知に何度も【征谷直人】と表示される。 サイレントモードにしてポケットに仕舞いこんで無視した。 昨年度末に研修の話が出てからずっとよく眠れていない。僅かでも睡眠を取りたくて目を閉じると、微睡みの中、泣き出しそうな顔で自分を犯すハルくんを思い出す。 (ハルくん、昔から直ぐに泣くんだよな) 初めて出会ったときも、再会したときも、救命センターに運び込まれたときも、手の手術をしたときも、ピアッシングしたときも。 顔を変える度に、ピアスが増える度に、セックスする度に。 ハルくんが泣くのが悪いんじゃない、変な性癖がないハルくんにそういうことを要求し続けるおれが悪い。 きっとハルくんは、おれの事は好きだけど、同じくらい憎んでいると思う。 ハルくんにめちゃくちゃに憎まれて殺されたい。 そんなことハルくんは絶対できないだろうけど。 やがて、タクシーは物流会社の大型車両が行き来する他あまり車通りがない、人の気配が薄い場所のバス停で停まった。 領収書を受け取って降りて、直ぐ目の前のタワーマンションのエントランスに入り、 コンシェルジュに部屋番号を伝えて呼び出しを頼んだ。 待合のソファで微睡んでいると、肩を叩かれた。 「随分お疲れだな」 顎髭まで白い、背が高くガッシリとした、穏やかな紳士がそのまま背後から手を伸ばして頬を撫でる。 「忙しいならそう言えばいいのに」 口元に指を当てられて薄く開けると、その指が割って入り上顎の凹凸や舌下を擽る。ザワザワと背中を擽られるような感触が這う。 引き抜かれた指をゆっくりと舐って、征谷の顔を見上げた。 「心配してた、皆待ってたよ」 手を引いてエレベーターホールまで連れられ、腰に手を添えてエスコートされて乗り込む。エレベーターの籠の中では息ができないほどきつく抱き締められた。 「玲、やっぱりダメなんだ。お前がいなければ」 エレベーターが指定フロアに到着し、扉が開く。 征谷の部屋の前に女性が立っている。 「玲さん、お久しぶり」 征谷の妻、由美子。夫の性癖を承知の上結婚し、おれを征谷に充てがった張本人だ。 「大変なのよ、あなたがいないといろいろ」 「すみません、本業がありますので」 契約を結んだのは20年以上も前の事だ。 当時おれは学部生で、ギリギリ未成年ではない歳だった。 年齢を誤魔化して風俗でバイトしてたら呼ばれた先で、カタギじゃない男にプレイもなしに話を持ちかけられ、後日高級ホテルに呼び出された。 そこでめちゃくちゃに扱われた挙句、事情を吐かされ、その場で月額契約することになり、店を飛んだ。 今も月に数度は相手になり、相手をしない月でも最低でも保証額の25万円を受け取っている。 当初、あくまでも事情があってカネが要るから仕事でやっていることだとして、本気になられても困る、その場合は下りるとおれは宣言していた。 おれは、この男だったらプレイ中の事故で死ぬ可能性があると踏んでこの話に乗ったのだ。 もしそんな死に方をしても職業柄跡形もなく処分することくらい朝飯前だろうと思うから乗ったのだ。 仮に死なずに成人したとしても、そのまま 院に進むだろうし、その後研究室に残っても大した給料は出ない、定期収入があるに越したことはないだろうと考えていたためでもあった。 征谷は当初、おれに本気になっていた訳ではなく、自らの性癖に付き合えそうな若者を妻から充てがわれていたがソイツが逃げたため、新たに探させた性奴隷的な見方だった。 しかしおれがどんな欲求やプレイにも抵抗せず応じ、受け容れるものだから、年々プレイ内容は軟化し、征谷のおれに対する執着は増幅した。 実績がつき、仕事が軌道に乗り、教える側に立ち、役職や肩書が増え、年々忙しくなり呼び出しに応えられる時間が減っていくにも拘わらず、まるで我が子にするように細々と気遣うメールを寄越す。 もう金銭的な麺は心配ないし、死なせてくれないならそろそろ切るしかないのだが、それは困ると夫婦しておれを手放そうとしない。 征谷がいっそ離婚するから一緒になってくれとでも言ってくれたら言質をとって「契約違反だから降りる」と切ることができるのだが、そうなればおそらくはビジネスで結婚したと断言する征谷の妻と争うことになるし、そうなったとき一番法的に立場が弱いのはおれだ。 なんて、そんなこと世に知れたら廃業して飼われるしかなくなる。 完全な膠着状態になっている。 「ユカちゃん、玲さんをお風呂へ。服は夜のうちに整えておいてあげて、多分ここからそのまま仕事行くはずだから」 ハウスキーパーに案内されて脱衣所へ向かう。 「奥様、玲さんもういらっしゃらないのかしらって仰ってたんですよ、旦那様も元気がなくて可哀想でしたよ」 厚手の大判のバスタオルとフランネルのローブを手渡すと、安堵した表情で笑った。 「はは、まさか。おれから辞めるっていう選択肢はないですよ。ユカさんだってそうでしょ」 ユカはおれが出入りする前から住み込んでいるハウスキーパーだ。多分少し歳下だが、女性に歳を訊くのも失礼なので正確に幾つなのかは知らない。何故ここにいるのかもわからない。 いつだったか訊いたら「わたしは奥様に助けていただいた身です」とだけ答えていた。 久しぶりに観たバスルームはリフォームされて、最新型の肩口からも湯が流れる浴槽に変わって、テレビのサイズも大きくなり、サブスクリプションで映画も見れるようになっており、Bluetoothスピーカーもついていた。 スピーカーをスマートフォンとペアリングして、ダウンロードしていた音楽を小さく流す。 今夜はどう扱われるんだろう。 二週間シカトしてた上、今月はこれ一回で25万円ということになってしまう。 流石に、それ相当の仕事を求めてくるだろうか。 これまでの仕打ちを思い返すと、腹の奥が疼いた。

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