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【2020/05 業】⑥

《第二週 金曜日 午前》 内線電話が鳴って、先生が応答しに立った。 先生は早急に何からの依頼に了承し、電話を切った。 「ERから依頼があったので午前いっぱいそれになる、付き合ってほしい」 断る理由はない。 しかし、そこに小曽川さんが出勤してきて、おれを書庫で待つように伝えた。 書庫に移動して座っていると、少しだけ遣り取りが聞こえる。先生に昨日の報告をし、おれにちょっかい出したことをお説教しているのが聞こえる。 呆れた様子で文句を言う小曽川さんに対し、先生はまるで柳に風といった感じだ。 そして今日これからの話をしたところ、小曽川さんは自分が行くと言い出したが、先生はきっぱりと断った。 渋々部屋を出て書庫に来た小曽川さんは「大丈夫でした?今朝は変なことされてないです?」と念を押して訊く。 「はは、大丈夫ですよ」 しかし、さっきのショックが隠しきれていないのか、顔色が悪いと言われてしまった。 「…小曽川さんは…知ってるんですか、先生が何でこの仕事しているか」 やや間が空いて、小曽川さんは「…訊いちゃったんですか…」と項垂れてしまった。 「まあ、訊きたくはなりますよね…でもだったら、今日はやめておきませんか」 おれは首を横に振った。自分から立ち会いたいと言ったこと、改めて直接先生に教わりたいと思ったことを伝えて、断った。 「わかりました、でも、何かあったらおれにちゃんと言ってくださいね、あの野郎とっちめますんで」 あの野郎って。てか、とっちめるとは…。 ドアをノックする音がして、先生の声がする。 「長谷、準備よかったらもう行くぞ」 「…!? 長谷くんなんか呼び捨てにされてますけど?いいの!?」 小曽川さんの反応がおかしくて笑ってしまった。 「いいですよ、呼び捨てくらい。なんなら小曽川さんも呼んでいいですよ」 「や、呼びませんよ、一応お客さんなんですから…」 先生の後を追って、一旦解剖室横のロッカールームで着替えて手指消毒を済ませ、同じ敷地内にある附属病院の救急救命センターに向かう。 搬入口前に到着してインターホンで呼び出すと、処置で助からなかったご遺体がドレープに包まれてストレッチャーで運ばれてきた。取り急ぎ紙で記録を受け取り、検査データは電子カルテで確認できることを引き継ぎ、二人で解剖室まで運ぶ。 「長谷、ちょっと面倒だが署に連絡して飯野さんから所轄に今回はお前が立ち会う旨許可とってもらってくれ、実際に一通りやってもらう」 「解りました」 一旦ロッカールームに戻り、スマートフォンを出して高輪署代表にかける。識別番号と名前を名乗り飯野さんを呼び出す。 「長谷です、ERのご遺体を一件こちらで剖検することになりました、先生が今回はおれに立会や手続きするよう言ってるので所轄署に連携お願いします」 無事に了承を取り付けたので、戻って先生に報告すると「ご苦労、じゃあ術着の着用を手伝ってくれ、おれもお前が着るのは手伝う」と言い、壁のスチール製のラテラルから術着一式を用意した。 まず先生は前髪を捲りあげて留めたが、そこでおれは目を剥いた。そのきれいな顔には凡そ相応しくない、大きな傷痕があった。先生は気にする様子もなく、自分に帽子を株ぜたりマスクやフェイスシールドを着けてくれるよう声をかけた。 着け終わると術着の包みを軽くもみ、開いて中身を取り出して、両面の差し込みに手を入れて広げる。手を差し入れるとそのまま袖に入るので通し、後ろから手を入れて中から引き上げて着せて、後ろを留める。グローブを嵌めて、前の身頃調整のテープを結ぶ。 「これが一通りの順番だ、手伝うから長谷も自分でやってご覧」 先生の顔か近づく。失礼だとはわかっていても、どうしても傷痕に目が行ってしまう。 「先生、額、どうされたんですか」 「ああ、今朝の話に戻っちゃうけどさ、おれも殺されかけたんだ。おれ自身はもうその時のことは憶えてないけどね」 そんな、なんで、誰に。 訊きたい、訊けない。 「すみません、なんか、つらいこと話させてしまって」 「いや、気にするなって方が無理でしょ、こんなの」 順番に必要なものを取り出して、先生が着せてくれる。 「おれの口からは言わないけど、今なんてググったら何でも出てきちゃうし、隠しているつもりはないよ、一応」 着せ終わると先生は必要な器具を用意するためにまた別のラテラルに向かった。サージカルステンレスの器具の乾いた音と、ガウンの擦れる音が静まり返った部屋に響く。やがて器具や記録用の書面が一式入っているクリアファイルをワゴンに乗せてこちらに戻ってきた。 「長谷、まずはお前は教えたとおり記録や手続きが書けるかが重要だからよろしく頼む。おれはまず検査結果と記録をまず確認する、開くのはそれからだ、検査の数値で凡その死因は確定しているが、此処に依頼されたということはそれなりの事情があるもののはずだから無闇に開く必要はない、慎重にやる」 先生、なんで今日になっておれを呼び捨てることにしたんだろう。自ら教えを請うてきたからにはもうお客さん扱いはしないってことだろうか。気を引き締めないといけない。 書類と筆記具を用意して書式に目を通す。先生も業務用のパソコンがあるスペースで記録や検査データをで確認して戻り、紙でもらった記録と照らし合わせているようだ。 集中しなければいけないのに、先生のご両親が殺された件と、先生自身が殺されかけたことと、当時の記憶を失っていることに、意識が行ってしまう。 「じゃあ、そろそろ始めようか」 声をかけられて顔を上げると、先生はそれまで見せていたものとは違う、凜とした表情と雰囲気をまとっていた。

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