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【2020/05 業】⑦
《第二週 金曜日 午前 OJT》
先生に促されて、記録を確認する。
未明にERに搬送されてきてから亡くなった方。
処置中に試料の採取と分析は進められており、検査の結果、多量飲酒および薬物の過剰摂取(興奮作用のあるものと鎮静作用のあるものの多量同時摂取)によるショック死と見られる。
記録によれば、ホテルのフロントからの119通報。深夜に休憩で入った客のうち、ある部屋で一名が出たあと、時間を過ぎてももう一名が退出する様子がないためフロントから内線連絡するが応答がなく、訪問確認したところ室内で発見された。
救急隊到着時、亡くなられた方はまだ生きており、意識はあるものの泥酔している様子でうわ言を言っていた。しかし搬送中に嘔吐、意識がなくなり徐脈となり体温が低下。
到着後、体温保持のため保温しながら消化器内部を洗浄、投薬輸液を行い心拍と呼吸の管理を行なっていたが回復せず、約1時間半後に心肺停止。その後約1時間に渡り蘇生措置を実施するも回復することなく死亡。
身元のわかるものはあったが、一人暮らしのため家族などに連絡をとったが引き取りには応じないと拒否される。但し死因解明のための解剖については了承は得られた。
持ち物から診察券が見つかりそこで処方されたと見られる三環系抗うつ薬トリプタノール抗不安薬メイラックス、SSRIルボックス・エチゾラムなど複数所持。しかし当該クリニックに問い合わせると、エチゾラム以外は当院処方ではないと回答。入手経路が現時点では不明。
但し診察時のヒアリング内容に過去にも酒との同時摂取やODで他院への搬送されたとの履歴有り。
事件性が高いため藤川玲准教授に解剖確認を依頼。
ますはストレッチャーに乗った遺体を、解剖台の上に移乗する。
先生はおれが記録や検査結果を読んでいる間にも皮膚表面や頭髪内の頭皮、外観、骨の状態を順に確認し、そして、眼を開いてペンライトで照射し、口腔も顎を持ち上げて奥まで開いて内部を観察。鼻腔も器具を差し入れて確認し、随時記録用の用紙に各部の状態を記入している。
次、何を確認するのかと思ったら、声をかけられた。
「長谷、背面を上にするから手伝ってくれ」
当たり前だが、生きている動く人間と違い、完全に脱力した状態というのは酷く重い。前回此処で見せてもらったときは軽く腕を持っただけでもその重さに驚いた。おれは体力があるからいいが、先生は持ち上げられるのか。
「先生?」
「ん?」
「誰か呼んだ方よくないですか?」
先生が遺体の足を持って目を丸くしてこちらを見ている。
「ん?なんで?」
「おれ上の方持ちますけど、先生だと脚の方でも大変じゃないですか?」
「や、そんなことないって」
先生の言葉を信じて、声を掛け合ってタイミングを合わせて遺体を裏返す。本当に、思ったより先生体力がある。すんなり返して静かに置いた。
「な?大丈夫なんだよ」
先生が笑って、さっきまでの張り詰めていた気配が緩む。しかし、すぐ次の瞬間、先生の表情が固くなった。ペンライトを照射しながら臀部の割れ目を開き「内視鏡やってないよな、借りるか」と呟いた。
内線電話のところに行き、ERにかけて確認を取り、次に検査室に内視鏡を持ってくるよう手配をかけた。
「長谷、ちょっと見てみろ。粘膜が少し爛れているだろ、これ多分中はもっときてるはずだ。内部粘膜を採取して診断に回す。おそらく今回は開く必要はない」
「確かに赤いですね、てか、解剖はしないんですか」
「しなくて済むならしないさ。な、この患者、酒と薬物って書いてただろ」
「はい、たしかに」
書類と電子カルテを改めて一緒に確認する。
「さっき目視した限り口腔から咽頭口蓋、食道にはアルコールを大量摂取したときのような特徴的な酒ヤケはなかった。つまり経口摂取ではないし多量摂取でもない。そしてその代わり肛門辺縁部および周辺粘膜に軽い爛れがある、つまり、だ」
「え、まさか、お酒こっちから」
血の気が引き、いやな冷や汗が出る。
「そう。直腸粘膜からだと少量でも血中に取り込まれる速さがエグイ。度が強い酒なら即危険に直結する。しかも、この患者、多分処方薬集め歩いて粉にして鼻から常習的に吸ってたっぽい、鼻の奥も灼けてるところがあった」
「おれらの同類のジャンキーがキメながらプレイしてて、ケツからアルコール入れられてショック起こして、ビビった相手が逃げたんだろうな。いつだか芸能人でもあっただろこういう事件」
あった。あれは男性と女性での事件ではあったけど。
「同意の上でやってたなら事故死っちゃ事故死だけど、立派にやってる事自体が傷害だし、こうやってほっぽって逃げたら立派な犯罪になっちまうんだよなあ。長谷、この場合の罪状は答えられるか」
「刑法218条が保護責任者遺棄罪、今回は亡くなられているので、219条の保護責任者遺棄致死になります。このような結果になると予測ができていた上であれば未必の故意が認定されたり、故意に死に至らしめるべく行なっていた場合には、不作為によるものとし刑法199条殺人罪が視野に入ってきます」
「よろしい、完璧だ、素晴らしい」
そこに、検査室から内視鏡を持って内視鏡医が到着した。死亡からまだ2時間程度とのことでなんとか内視鏡を入れられると判断。状況を説明し、先生と二人で直腸内部の確認と試料として粘膜の採集を行う。
おれにできることはないので書類の作成を進める。『死体調査等記録書』にこれまでの記録や先生の書き留めていた内容やERから回ってきた死亡診断書を確認しながら記入していく。
先生の予測通り、直腸内部の粘膜にはかなり爛れが有り、強い酒を入れられたとみられることが確認された。内視鏡医が粘膜を採取した試料を持って至急病理診断に向かう。検査結果は電子カルテに完了次第即時添付するとのこと。
「長谷、もう一回飯野さんに連絡して所轄の人間に引き取りに来るよう指示出してもらってくれ、現場では鑑識と機捜動いてるし、所轄署にそろそろ本店の人間来てるはずだから後は任せるしかない」
使い終えた器具はすべて使い捨てのためバイオハザードマークのついた箱に放り込む。
再び二人で遺体を持ち上げて脱仰向けに戻し、先生が脂綿やガーゼや清浄綿、消毒薬を取り出し、遺体を清拭しながら、姿勢や表情なども含め、硬直が始まっている部位を不自然にならないよう、手技で矯正したり入っていたものを詰め直すなどして整えていく。
着用していた衣類を着せ直すことはできないため、先生は入院中に貸し出されるものと同じような室内着をおろし、新たに着せ直した。
遺体を運んだときのストレッチャーの下段に所持品や衣類がまとめてあり、これも引き渡す必要があるため、おれは内容を確認してすべて記録・撮影し目録として添付、それぞれビニール袋や密閉バッグに詰め直し封をした。
その時、微物に気がついた。タバコの葉のようなものが鞄の底にあったが、違う、タバコではない。そして鞄の内ポケットの下が割いてあり、そこからパウチに入った紙片、刺激的な色合いの錠剤が出てきた。薬物だらけじゃないか。組織犯罪対策部の出番になるのでは。
飯野さんに連絡し、ついでにその旨報告したところ、現在本店の人間が向かっているとのことでそのまま待機するようにと指示があった。今後の判断は本店と所轄が行う、あとは先生に言われたこと以外するなと念を押された。
「長谷、お前は袋に入れるとこまでやったら迎えが来るまでにシャワー浴びて着替えておけ。あとは引き渡したら戻って検査結果を待つ。結果が出たら印刷してファックスで直接所轄に送る」
「わかりました」
納体袋をストレッチャーに拡げ、また二人がかりで持ち上げて移乗させる。遺品や衣類一式をかごに入れて下段に収納し、ストレッチャーは入口付近の空きスペースに安置した。
先生は淡々と記録を作成し、電子カルテにも追記していく。
「あの、先生」
「ん?」
顔も上げずに先生が返事をする。
「テンパっててあっちに持ってきたもの忘れてきたかも…シャワー室にあるの使っていいですか…」
「はは、いいに決まってるよ、早くしないと本店の奴ら来るぞ」
目がきゅっと細くして笑てるけど、マスクの下はさっきみたいに笑ってるんだろうか。それとも普段みたいにあまり動かさないまま笑ってるんだろうか。
シャワー室前の通路に積んであるタオルを大小1枚ずつ手に取り、シャワー室に入り脱衣スペース内側から鍵をかけ、換気扇と扇風機を回す。
前回利用したとき温度は概ね適温で調節しなくてもよかったので、一応全身流さないといけないので余計なことは考えず一気に頭から順に洗っていく。
内容に問題があれば戻れば指摘してくれるだろうし、おれが訊きたいことは直接事件に関係ないことばかりだったので、あとは無事に引き渡すことだけ考えるよう自分に言い聞かせた。
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