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【2020/05 召喚】

《第三週 月曜日 夜》 定時であることを知らせる長谷からの着信で目を覚ました。この後は用事で自分も出るのでもう帰ってもいい、書庫に施錠して帰るよう南に伝えてほしい、と伝えて通話を切った。寝間着代わりにしていたスクラブを脱いで、改めてスーツを着直す。廊下からは二人が施錠して帰るのが聞こえていた。 授業後に届いていたメッセージは、ふみからのもので「お前の家に行ったユカから男が出入りした痕跡があるって報告が来てた。仕事終わったら必ず寄るように。」と記されていた。この部屋に戻ってから「わかってる、定時になったら向かう」と返信して、おれは眠っていた。只でさえ週末のダメージも残っていて、朝から消耗しているのにこのあとのことを考えたら今休んでおかないと深夜まで体が保たない。 昨日は長谷を見送って帰ってからは何も食べていなかった。このあと吐かされるかもしれないが、眠る前に一応プロテインやサプリメントを流し込んでおいた。到着するまでには胃の中からはなくなっているだろう。部屋を施錠し、書庫の施錠も一応確認して、建物を出た。 予めアプリで呼んでいたタクシーが間もなく到着したので、行き先を指定して乗り込む。行き先は周辺は物流倉庫とタワーマンションばかりの湾岸エリア、征谷直人の家だ。そこで何が起きるか想像はつく。これで、一ヶ月分の妥当な働きは果たせるんじゃないかな。あの一晩であの金額取るのはさすがにおかしいでしょ。それに、直人さんたちがおれの目的を知って、おれの望むようにはしてくれなくなって結構経つ。 そろそろどうにかしてくれたっていいんじゃないか。只でさえ今、直人さんは立場を狙われている身だ。目的を果たす前に居なくなられたら、おれはどうしたらいいんだ。そうなったらおそらくふみだって何も報復しないわけはない、ふみが残ったとしても奴はおれを直人さんほど痛めつけることはできはしない。 せめて目的が果たされなくても、願いが成就されなくたっていい。自分を罰したい気持ちにケリをつけてほしい。おれはもう自分に腹が立っても自身で直接傷つけることが難しくて、その事自体にうんざりしている。 タクシーを降りてエントランスに入ると、ふみがソファで待っていた。エレベーターホールに誘導されたところで釘を刺される。 「流石にちゃんと来たな、余計なこと言わないで早く謝って嘘でも行きずりだって言ったほうがいいぞ」 「ま、そりゃあねえ…てかさ、信じないでしょもう。そんな言い訳、余計怒らせるよ」 ふみは前回会ったときと様子が変わっている。 髪は黒髪になり、黒縁の横に長い四角いメガネをかけて、三つ揃えのスーツを着てウイングチップの靴を履いている。スーツのジャケット内側にホルスターが覗く。当然そこには拳銃、オートマチックハンドガンが装備されている。おそらく以前直人さんが見せてくれたことがあった「ジェリコ941」だろう。銃身やマガジンの交換キットモデルで9x19mmパラベラム弾を装填してある。 指定した階に到着すると、先に降りたふみに極力距離を詰めて壁に寄るよう言われた。おれが歩く少し前を先行して進む。ドアに前回来たときはなかった不審な凹みと塗装の剥がれがあった。カードキーを翳してドアを開けると先におれを通して一旦ドアを閉じ、周囲を確認してから入ってきた。 「なあ、今ってそんなまずい感じなの?」 「黙れよ、お前は知らなくていんだよ。いいからそのままオヤジの部屋入れ」 寝室のドアをノックすると、中から直人さんが誰かと尋ねる。 「玲を連れてきました」 ドアを開けたふみに先に入るよう促され、鞄を預けて部屋に入る。ふみはおれの後から入って後ろ手にドアを閉じて、そのまま壁際に立ち警戒にあたる。部屋に入ると、直人さんはスーツでこそないがオーダー品と思われる柄織りのシャツにグレーのスラックスという比較的整った格好でベッドに腰掛けていた。少しずつ近づいていく。 「玲、なんで呼ばれたか、わかるよな?」 「勿論です、お好きになさってください」 手前50cm程まで近づいた瞬間、踝のやや上に強い衝撃と痛みを受けて転倒した。髪の毛を掴んでおれの頭を強引に引き上げて直人さんが笑う。怒りに因る”嗤い”だ。 「弁護士、救急医ときて今度の男は何だ」 「…警察官、って言ったらどうします?」 ドアの前に立っているふみもこちらを振り返った。 肩を蹴飛ばされ床に仰向けに倒れると、直人さんはその上から体を跨いでしゃがみ込み、おれの喉元を押さえつける。顔は絶対に狙わない。カネがかかっていることを知っているからだ。徐々にその手に力が加わり嘔気が襲うが、しかし息が止まる締め方ではない。おれが咳き込むと一旦手を離した。 「ヤクザのオンナがサツと寝るとかあり得ねえぞ、何考えてんだお前」 「そいつ、只の警察官じゃないんですよ」 ゆっくりとこちらに向かってふみが歩み寄り、おれの頭の傍に立つ。呆れたような、軽蔑するような目でおれを見下ろしている。そのまま踏みつけられるなり、蹴られるなりしたい。こういうときのふみの顔はかっこいい。ゾクゾクする。 「あの日臨場して瀕死のおれを発見したお巡りサン」 「なんだそりゃ、お前のファザコン重症すぎんだろ」 直人さんとふみが怪訝な顔をする。 「いや、その人の息子が警察官でゲイでさ」 そこまで告げると、ふたりとも心底呆れた様子で、額に手を当てて天を仰いだ。同じ動作をする辺り、血の繋がりがある親子かのようだ。盃を交わしただけある。 「なんでそんなのと寝れるんだよ、正気じゃねえな」 「おれはもともと正気じゃないですよ。直人さん、もう忘れてるでしょ。おれがなんであなたと契約したのか」

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