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【2020/05 狂濤Ⅲ】①

《第三週 月曜日 業後》 おれと小曽川さんは学校を出た後、帰りを考えて東京駅出て旧駅舎を使ったホテルのラウンジの隅で話をしていた。小曽川さんからそのエピソードを聞いたおれは混乱していた。 小曽川さんの妹さんは先生の実の娘で、小曽川さんとはほぼ年子で小曽川さんの1学年下。つまり、おれよりも歳上。仮に現在31歳6ヶ月とすると、計算が合わない。先生が12歳のときの子ということになってしまう。 そして12歳といえば、先生が事件にあったその年のことだということになる。 「え、だって、計算合わなくないですか」 「それがね、合ってるんですよ」 仕事を終えた小曽川さんは相変わらずお洒落で、昼間とは違う人に見える。でものんびりゆっくりした口調は変わらない。 「あの事件、長谷くんは何処まで知りましたか」 おれが知っているのは、伯母夫婦に因る犯行であったこと、お父さんが消息不明なこと、殺されたお母さんの遺体を食べさせられていたこと、先生は思春期早発を起こしていたこと、現在の親御さんが看護していたこと、そこまでだ。 「ああ、やっぱそうでしょうねえ、それ以外の部分というのはちょっとね…さすがに事態が事態だったので報道側で追求をやめるよう統制がかかっていたから、一般の人が調べられる範囲での記録は出てこないでしょうね」 一旦そこまで言うと、食前に出されたシャンパーニュを一気に流し込んでから小曽川さんは言った。 「おれが成人したとき、うちの父親が珍しく話したいことがあるって言うから二人で飲みに行ったんですよ。そのときに事件のこと聞かされて、我々に何かあったら優明のことを頼む、って言われて、でも」 「でも、なんですか」 溜息をついて、しばし小曽川さんが黙り込む。その間にディナーのメインディッシュが運ばれてきた。小曽川さんは食前に飲んだものと同じものを飲みたいと言ってオーダーしてから、話を再開した。 「流石に優明本人には、最近まで言えませんでしたよ。ずっとバースデーケーキやらプレゼントやら全部送ってきてたことも、ずっと仕送りがあってそのお金を学費にあてたとかそういうのもですけど、生まれについてなんて」 思いつめた顔で俯いている小曽川さんに、おれは小さな声で語りかけた。 「小曽川さん、教えて下さい、絶対に口外はしません。先生は一体何でその歳で子供なんて…事件もあったのに」 すると、小曽川さんは顔を上げておれの目を見て言った。 「あの事件があったから、ですよ。直接は報道統制がなされたので書かれませんでしたが、ぼかして加害者は被害者の子供を妊娠しているという表現にはなってましたけど、見ませんでしたか」 そうだ、確かに見た。 「それは、見ました」 「それのことです、その時の子供が優明なんですよ」 言葉が出てこない。優明さんは先生の実の子で、加害者の子って。いったいどうして。おれは被害者の子を妊娠しているという記述を見たとき、消息不明になった先生のお父さんの子を身籠っていたのかと思っていた。 「あの人、加害者の女に殴り倒された後、そのまま監禁されて、母親の遺体を食わされただけじゃなくて、レイプされたんですよ、しかも繰り返し、何度も」 目の前が暗くなり、色褪せる感じがした。 自分が嘗て、先輩に連れ込まれて襲われたときのことを思い出す。好意の有無関係なく、性行為を強要され、一方的に欲望を満たすために体を支配されたときの言葉に出来ない喪失感と恐怖が蘇る。 「なんで、加害者はそんなことを」 「不妊に悩んでいたそうですよ、夫由来で」 怒りで手が震える。 「でもだからって、なんで子供相手に」 少し間をおいて、小曽川さんは呟いた。 「いや、寧ろ子供だったからでしょう」

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