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【1989/05 Salvation】②

その辿々しい言葉遣いとは裏腹に、声は落ち着いた大人のような声だった。そういえば、座るときの動作自体は子供のように見えたが、さっき立っていたのを見たときも、背丈はおれとそんなに変わらなかったような気がする。 「アキくん、何年生?」 訊いてみると、やはり首を傾げて「わかんない」と言った。やっぱりなにかワケアリの子なんだろうか。でも、背後の机に置いてある本は、高校生の数学の参考書や生物の教科書だ。ノートには細やかに顕微写真が模写されているのも見えた。 「おーいしくんは?」 ああ、会話聞いてたからおれの苗字は知ってるのか。中学入ってからは教室に一回も行ってないけど2年生であること、さっき来てた人は自分のクラスの担任であることを話した。アキくんとはおそらく担任が違うからクラスは違うことも、本当はそれぞれ教室があってそこに通うことも教えた。 「ふーん、でも、アキくんは通うのこの部屋でいいんだって言ってたよ。おーいしくんも、明日もここ来る?」 今の状況から考えると、明日以降どうなるかなんて、正直わからない。それでも一応「うん、まあ、多分」と答えると、アキくんは嬉しそうに笑った。そのとき、養護教諭の典子先生が戻ってきた。アキくんは動きが急にピタッと止まり、表情がこわばり、言葉を発さなくなった。 「大石くん、起きて大丈夫?アキくんと何か話してたの?」 「いえ、別に、特に何ってほどでもないです」 パイプ椅子から立ってベッドに戻ろうとすると、心細そうな顔でアキくんはこちらをじっと見た。「後でまた話そう」と目配せするが、いまいち伝わっていない感じがする。アキくんはどうして保健室登校なのか、本人はわかっているんだろうか。典子先生き訊いたほうがいいんだろうか。 そのあと、アキくんは学校で使う教科書や副教材などを一式受け取り、それぞれに名前を書いて保険室内に用意してもらったカラーボックスに収納したり、何やらテストを受けたりしていた。その様子に聞き耳を立てているうちに、今後の生活の不安で暫く良く眠れていなかったおれは寝入ってしまった。 気がついたら授業が終わる時間になっていて、廊下が騒がしい。野次馬が様子を見にチラホラ行き来しているのがわかる。部活の時間になって人が居なくなるまでは帰れないな、と想いながら布団から顔を出すと、アキくんが目の前で立ったまま本を読んでいた。 「帰らないの?典子先生は?」 「帰っていいって言われたんだけど、人がいっぱい集まってて怖くてこっち来ちゃった、先生会議って言ってた」 恥ずかしそうに言うと、本を閉じて、手に持ったままベッドの端に座る。 「今日、おーいしくんと一緒に帰ってもいい?」 「いいけどおれ、アキくんち何処か知らないよ?何処住んでるの?」 「こひなた」 それもそうか。学区同じだもの、住んでるとこもこの辺りに決まってる。訊き方が悪かった。 「江戸川橋と茗荷谷、どっち寄り?」 アキくんはやや暫く考えて「電車使うときは茗荷谷から乗ってる」と答えたので「じゃあ茗荷谷の駅まで送るよ、人が居なくなったら帰ろう」と言うと、表情が明るくなった。 同世代の人間と話したのなんて、正直いつぶりだろう。況してや誰かと一緒に帰るなんてこと、小学校の低学年以来だ。おれのことをよく知らないからというのもあるだろうけど、変に詮索してこないので、警戒しなくてよいのが心地よかった。

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