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【1989/05 Salvation】⑦

結局、午前中に焼き菓子をもらった恩もあるし、アキくんは多分食べたことがないだろうなと思うと、冷凍クレープを食べさせてあげてもいいなと思ったので、希望通り卵焼き&チーズちくわと、冷凍クレープをトレードした。 冷凍クレープにはみかんのつぶつぶと、チーズ風味のヨーグルトクリームが入っていて、給食の時間には半解凍状態で届くようになっている。正直かなりおいしいけど、給食以外で見たことがない食べ物だ。 お弁当を食べ終えて、はじめてそのクレープを口にしたアキくんは余程お気に召したのか、小動物のように両手で持って目を見開いてキラキラさせて食べていたけど、その後、ピルケースを開いたときにはそのキラキラは消滅して「もうおなかいっぱいでお薬飲みたくない…」とすっかりテンションだだ下りになっていた。 パッと見ただけでも10錠以上あるし、中には糖衣のないものや大きな粒のものもある。それに、単純にそれだけの量飲むとなるとそれなりに水分も必要になる。億劫になるのは仕方がない気もする。 「でも、飲まないと体が大変なことになるんじゃないの?」 声をかけると、困り顔のまま頷いて、ふーっとため息をついた。そして意を決したかのように飲みづらそうなものから順に、お茶を口に含んでから口に入れて、少し上を向いて飲み込んでまた次と、休まず連続して飲んだ。飲み終えてからアキくんはまたため息をついた。 「あーあ、お薬飲んでから、ご褒美にクレープ食べればよかった。おいしいのがどっかいっちゃった」 その時無意識に手が伸びて、アキくんの頭を撫でた。撫でられたアキくんは最初驚いた顔をしたけどやがてはにかんで「えへへ」と笑って、リュックサックのサイドポケットから歯磨きセットを出し、入口近くにある小さな流し台のところに行って歯磨きを始めた。 磨きながら急に思い立ったように「先生が来るまでベッドで寝っ転がったらだめかなあ、おうちではご飯食べたらねむくなっちゃうから、ちょっとゴロゴロしてるんだけど」などと話しかけてくるので、全部制服に零れて汚れてしまう。慌てて駆け寄って、洗面台の横にかかってたタオルを濡らして制服を拭いた。 「おーいしくんなんかちょっとお父さんみたい」 そう言われて、複雑な気持ちになりながらも、ちょっとうれしかった。 「ベッド、おれが寝てても必要な人が来ない限りそんなうるさく言われたこと無いから、寝たかったら寝てもいいんじゃないかな。アキくん病気のこと先生たちだってお父さんに聞いてるから大丈夫なんじゃない?寧ろそのための保健室登校なんじゃないの?」 そう言うと、アキくんは安心したのか「じゃ、歯磨きしたらちょっと寝る」と言って、泡だらけの口を濯いで、ペーパータオルで口の周りを拭いて、小走りでベッドのあるカーテンの裏側に消えた。歯磨きセットは洗面台に置いたままになっている。多分このままにしたら忘れて帰っちゃうだろうなと思い、ペーパータオルで軽く拭いてから回収してアキくんのリュックサックに片付けた。 その時、アキくんのリュックサックのサイドポケットの中に、精神障害者保健福祉手帳と書かれているパスケースのようなものが入っていた。アキくんの顔写真が貼られて割り印がされていて、詳細は書かれていないが、3級となっている。アキくんはどんな状態で、どういうことにどのくらい支障があるんだろう。 おれが見ている限り、アキくんは体はおれより少し大きいくらいかもしれないのに、あまり良く食えてないおれよりも痩せていて、喋りが辿々しくて、落ち着きがなくて、抜けているところがあって、甘えん坊でとても自分と同じ年齢とは思えない。ひどく幼い感じがすることは確かだ。 アキくんのお父さんは「ちょっと変わってるでしょう」と言ってはいた。でも先生方からは特に何も聞かされていなくて、同じようにプリントをこなすように渡されて、実際おれよりもスラスラ答えていた。言動と持っている知識量がとてもアンバランスだ。先生が来るまで起きなかったら、先生に少しアキくんのことを訊いてみよう。 ベッドのあるカーテンの向こう側からは、眠りに落ちたアキくんの寝息が聞こえてくる。眠りはそんなに深くないのか、夢を見ているのか、ときどき何かむにゃむにゃ喋っている。

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