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【1989/05 Salvation】⑩
アキくんの担任の先生は、毎日アキくんと課題をこなすことでおれの理解度が上がっていく手応えと、アキくんのおかげでおれのメンタルが安定してきていることを心から喜んでくれた。アキくんを気遣って最低限しか保健室に来れないままの典子先生も、うちの担任の先生も、同じく喜んでいると言っていると教えてくれた。
アキくんは相変わらずお昼を食べて薬を飲むと眠くなってしまうらしく、午後の授業始まって暫くするまでは起きてこない。
「詳しくは聞いてないけど、薬の副作用とかあったり、食事自体で体に負担がかかって眠くなっちゃうとかあるんじゃないかなあ、大人でも食べたあとなんて正直眠いからね」
先生はのんびり言って、答えを印刷した紙を出して赤ペンを貸してくれた。答え合わせをしている途中でアキくんは起きてきた。流石に詰襟を脱いで寝ることは覚えたらしく、上は白いシャツだ。一旦直ぐ傍になるお手洗いで用便を足して戻ってきて、一緒に続きから答え合わせをする。
アキくんの担任は社会の先生だったけど、英語も堪能で、長文の問題や、会話問題のところはゆっくりと読んで発音も説明してくれたり、此処は大人の人だとこういう言い回しもするよ、日常では口語でこう言うことが多いよ、等ともっと実用的に使える英語も教えてくれた。
あと、若い頃学校を休んで他所の国でホームステイしたり、働いたこと、そこであった面白かったことの思い出話なんかも英語を交えて話してしてくれたり、当時聴いてた音楽の話をしたり、とても楽しかった。
あっという間に掃除の時間になって、片付けをして、また部活動の次官になって人の気配がなくなるのを待ってからアキくんを連れて学校を出た。
いつもどおり茗荷谷駅まで送ろうとしたら、袖を掴まれた。
「ハルくん、帰りハルくんのお家ちらっとでいいから見てみたい」
いきなりそんな事言う?しかも、よりによって今日?困ったな、これで帰宅していきなり電気がつかなかったらかなり恥ずかしい。
「えぇ…来週じゃダメ?」
「だめ~、今日がいい~」
往来で袖を掴んだままぶんぶん腕を振ってねだられては断りにくい。道行く人がおれたちをチラっと見ている。
「うーん、外からちょっと見るだけだよ」
「うん!」
仕方なく、学校から折り返して家がある路地の方へ入っていく。小さな物件が犇めき、日当たりのあまり良くない奥まったところにうちはある。
「ここだよ」
紺色の壁の、無理やりくっつけた門があるこじんまりした我が家の外観を見せる。しかし、これで満足しただろうと思ったら甘かった。
「玄関だけちょびっと見せて」
「えぇ…外からちょっと見るだけって言ったじゃん…」
渋っているとみるみる困り顔になって、しゅんと下を向いてしまった。そんな態度取られたら心が痛い。
門を開けて、玄関の施錠を解除して、少しだけ玄関を開けて覗かせた。その時無意識にいつもの癖で、手を差しいれて入って直ぐの玄関の灯りのスイッチを押してしまった。そして、電気が止まっていることに気がついてしまった。
アキくんはスイッチの音はしたのに灯りがつかないのをやはり不思議に思ったのか、こちらを振り返った。
「でんきこわれちゃった?」
ああ、そうか、電気が止まるって概念がないのか。
「そうみたい、あとでなんとかするよ」
扉を締めて、再び施錠する。門を閉じてアキくんを連れて、今度こそ、いつもどおり茗荷谷駅まで送りに行く。そして、早く家に戻って、学校に連絡して相談しないと。
寄り道したがるアキくんを制しながら、茗荷谷の駅まで連れて出て、無事送り届けて帰ろうとしたら、今度はアキくんが手を離してくれない。
「アキくん、あのね、おれ帰らないと」
言い聞かせても「ハルくん、うち行こ!」と言ってきかない。しかも気のせいではなく、やはりアキくんのほうがちょっと大きいので、アキくんのほうが痩せてるのに思いの外体力があって勝てない。
引き摺られるようにしておれはアキくんの親御さんのクリニックのある、上にアキくんの家がある建物まで連れて行かれる羽目になった。
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