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【1989/05 komm tanz mit mir】⑪

やっぱり、アキくんが受けた被害は、性的なものだけじゃないのでは。切りつけられたような傷も、この額の傷も、明確な攻撃性をもって与えられたものにしか思えない。 「なんでなのか、お父さんとお母さんも知らないの?」 「わかんない、きいちゃいけない気がして、言えないの。お父さんもお母さんもやさしすぎるから、なんか言えないの」 アキくんはアキくんなりに、ストレスを抱えていることを初めて知った。子供返りして無邪気に甘えているだけだと思っていた。もしかして、負い目を感じて無理してそのように振る舞っているだけなんじゃないか。そう考えると胸の奥が痛んだ。 「アキくんは、いつからアキくんなのかもわかんないの、気がついたら病院にいて、お父さんかお母さんがずーっといっしょだったの。病院出たら、ここが今日からアキくんのおうちだよって、連れてこられたの」 自分が何者なのかわからないまま、自分の身になにか起きたのか知らないまま、おそらくは治療にあたったお医者さん夫婦に引き取られてアキくんは此処に居る。 アキくんの身に何が起きたんだろう。本当の親はどうしたんだろう。きょうだいは、ほんとならいたはずってことは、生まれずに死んだのか。 「ねえ、アキくん、それ、おれがアキくんのお父さんとお母さんに訊いたらダメかなあ」 「うーん…アキくんはこわいから今のままでいい…」 アキくんが望まないのに、訊く必要はないか。でも、いつかはアキくんも知ることになるんだろうか。それはアキくんにとっていいことなんだろうか。或いはもうこのまま知らないままのほうがいいんだろうか。その内容にも凭るだろうけど。 「ねえハルくん、ハルくんはアキくんにさわられるのきらい?」 話が先程の行為のことに戻った。本当にアキくんは自分の過去の話には触れてほしくないんだな。怖いって言ったのも本当なんだと思う。本能的に忌避したくなるような、重大な事情があることはアキくんも察しているんだろう。 「嫌じゃないよ、でも本当はきっとダメなんだよ、こういうの」 アキくんはいつもの「なんで?」という表情でおれを見る。 「普通、男同士でそういうことしないんだよ」 「普通ってじゃあ何が普通?だからお父さんおこったのかな」 あ、やっぱりやろうとしたことはあるんだ。 「男と女ですることだからさ。親子でもそういうことはしないんだよ」 やっぱりアキくんはいつもの「なんで?」という表情でおれを見ている。 「こういうことの目的って、繁殖…子供を作ることにだからなんじゃないかな」 合ってるかわからないながらも説明してみる。 「子供を作ること?知ってるよ交尾って言うんだよ、動物はみんなするよ、テレビでも見た。でもね」 ん?でも? 「さっきもいったけどね、オス同士でも交尾ってするんだよ。人間もするんだよ、アキくん知ってるよ。昔は当たり前だったこともあるんだよ。するって知ってるのに、なんでダメなのかな」 ああ、やっぱアキくんのほうがよく知ってるし、よく考えてるんだ。 自分がそういうものを避けてきたせいもあるけど、生活をどうするかにばかり追われて、そんなこと疑問に思ったこともなかった。自分には関係がないと思っていた。 友達という概念に、性行為が絡んでくるとも思っていなかった。 言われてみれば、同性の友達とそういう関係を持っては、何故いけないんだろう。

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