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【1989/05 komm tanz mit mir Ⅱ】⑫

結局浴室で2回目をして、浴槽にお湯を張りながらアキくんの頭を洗って、体も洗ってあげて、浴槽にタオルやおもちゃを浮かべてアキくんがひとりで遊んでいる間に自分も髪の毛を洗った。 浴槽に入り、アキくんの後ろから入って脚の間に座らせて抱っこする。おれが浴槽に浸かるとちょうど良く肩まで水位が上がってきた。おれの肩に頭を載せて凭れかかってアキくんが甘える。 温まった体にひときわ痕が目立って、ひどく艶めかしい。アキくんは何かが気になるのか、おれの手を握って確かめるように何度も指を絡め直す。俯いたままアキくんが話し始めた。 「ねえハルくん、どうしてアキくんとハルくんはいままでバラバラだったのかな。ずっと今みたいにいっしょがよかった」 おれの指を確かめるように一本ずつずっと触っている。 「学校なんて行かなくても平気だったけど、ひとりでも楽しいけど、ほんとはずっと病室やおうちでひとりなのもさびしかった。ハルくんは、寂しくなかった?」 「おれは寂しいと感じる余裕もなかったな、でも寂しかったよ、多分ね」 そう伝えると、アキくんは膝立ちになって体を返しておれに正面からいきなり抱きついた。しかも勢い余ってコケてアキくんは軽く溺れそうになり、おれはその水飛沫をモロに被ってビシャビシャになりながらそれを救助した。 笑いながら「アキくんだめだよ、人間は30cmの深さでも溺れるんだよ」といいながら助け起こすと、アキくんも「しってる!」と笑った。 そのまま浴槽の栓を抜いて、室内を軽く水のシャワーで流してから浴室を出た。アキくんの体を拭いてすべて着せ直して髪の毛を軽くタオルドライして櫛を通してから先にリビングに送り出した。 アキくん、やっぱり顔が濡れるのが嫌なのか、洗ってる間呼吸をどうしていいのかわからなくなるのか、下を向いて髪の毛を洗うのがだめらしく、何回もくしゃみしたり噎せたりしていたので、仰向けに寝せて膝枕して洗った。 その時やはり、どうしても目に入るあの額の傷が痛々しくて、たまらない気持ちになった。アキくんが忘れてしまっても、体に残ったたくさんの傷はきっと完全には消えない。心の傷だってそうだ。 そして、忘れてしまっても記憶は失くなったわけじゃない、おそらくは心の何処かには残っている。それがいつアキくんに牙を剥くかわからない。 そんな時限爆弾のようなものを抱えて、しかも、自分ではおそらく把握できていない自閉症特有の思考の癖や、言動のエラーのようなものも抱えていかないといけない。体だって詳しくは知らないけど健康なわけじゃない。 やがて遅かれ早かれいつかは両親が居なくなる日は来る。アキくんがその時、自立して自分自身を守って、律して生きていけるかというのはご両親とも考えているはずだ。 もし、アキくんのお父さんが言ってたとおりになるのなら、ずっと一緒にいられる。おれがその意思を引き継いでいけたらいいと思っている。 アキくんは、その自覚はないだろうけどおれを救った。おれはアキくんを守りたい。 でも今の関係がずっと続くとも限らない。進路によってまたバラバラにもなるだろう。 譬えずっと一緒にいることは出来なくとも、おれはアキくんから完全には離れないと思う。 アキくんが望むままに、おれは在り続ける。 その先にあるものが何であれ、譬えこの身がどうなろうと構わない。

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