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【1988/05 Erwachen des Frühlings】⑦

確かに、その流れであれば全ての辻褄は合う。 しかし、まさかそんな。全部が全部そのとおりだとしたら、アキくんはその7月から11月の間ずっと現場にいたことになる。 その間アキくんがそこから逃げなかったのは学習性無力感によるものと仮定したとしても、その、伯母の女性と一緒だったとなると、その人は夫や家業を放ってそんな長い期間どうやって疑われずにそこに居られたのか。学校関係者や周辺住民や管理人に疑われることはなかったのだろうか。 それだけじゃない。アキくんは少なくとも母親は殺されたということ、そしてその肉を食べたという認知はあるということになる。そんな状況で精神的ダメージを受けた子供のケアの事例なんて、おそらく少なくともこの国にはない。 海外や昔の事例にしたって、生命の危機によって已むを得ず喫食したり、快楽殺人の延長で喫食したと言う事例はあれど、親を殺され、遺体を処理するために殺害した本人じゃない第三者に食わせた事例なんかそうそうない。 性的虐待を受けた男児のケアにしたってそうだ。只でさえ男児の性的虐待は申し出る子供自体が少ないし、況してや成年女性から受けた虐待なんて「羨ましい経験」のように言われてまともにケアする段階にまで上がってこないのだ。但し、そう言った経験をした子供に思春期以降生じる問題というのは非常に大きい。 只でさえ発達や身体の面で問題を抱えていた子供は、社会生活でのハンデや周囲との摩擦、できないことや失敗によるストレスも大きくメンタルのケアが必要になることも多いのに、更にそんな稀に見る困難を背負ったアキくんが今後何事もなく成長できるとはとても思えない。実際、現時点で問題は起きているのだ。 「わかった、とにかく、その予想が当ろうが外れようが、アキくんはケアできる環境に置かないといけないことは絶対だ。引き渡すことはできない」 「頼む。そういうことも念頭に置いてアキくんのケアと伯母夫婦の面談にあたってけれ。おれはおれで合間に外堀埋めて切り崩す。この箱はこのまま預けっから、存分やってくれ」 そう言うと、小曽川は席を立った。 廊下を追って玄関まで送る。屈んで靴を履く姿を眺めてすっかり見送るつもりで気を抜いていたら、そっと身を起こして近づいて、抱き寄せられた。耳元で「じゃあしたっけ、週明け」と言って出ていったあとも、暫くその感触や声が残って消えなかった。 互いにもう世帯があるというのに、まだわたしのことを諦めていないのだろうか。わたしがどうあろうとも、自分の立場がどう変わろうとも、恋愛感情というのはそう揺るがないものなんだろうか。 わたしには恋愛感情も、性的欲求というものもよくわからないままおとなになった。さくらさんはそれを承知で、仕事の効率化、生活の合理化のためにわたしと結婚した。共同経営と共同生活のための結婚で、恋愛感情や性的欲求というものが一切絡まない結婚だ。子供も持たないと取り決めている。 とは言え、もし、アキくんに見守りやケアが必要で引き取りたいと言えば反対はしないだろうし、寧ろ賛同してくれると思う。そのとき、わたしとさくらさん、或いは、わたしを小曽川の関係はどうなっていくだろう。 でも今は、アキくんのケアと、伯母と面談する上での対策を考えておかないと。

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