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【2020/05 道連れ】①
《第3週 木曜日 夜》
間もなく、通話画面が表示されて呼び出しがかかる。須賀要丞、先輩の名前だ。赤いボタンを押して応答すると、挨拶もなしにいきなり会話が始まる。先輩は相変わらず「いらち」だ。昔からこうだ。
「なあ、どうする?」
「じゃあ、今から来てって言ったら?」
世間はアフター5で賑わう時刻。定時上がりの仕事で家庭があれば家路を急ぐ頃だ。無理を承知で呼びつける。
「僕は構へんよ。どこ迎え行ったらええの。何とでも理由つけて行くわ」
先輩は一応事務所持ってて家庭もある身なのに、事も無げに答えた。
「今、大学です」
「ほな御成門で拾うわ、角のローソンな。近なったらもっかいかける」
そのまま通話が切れた。昔からこうだ。何処から向かってくるのか、どのくらいで来るのか全然言わないから連絡があるまで動けないじゃないか。
待っている間、小林さんにメッセージを送ってみる。
「藤川です。うちの棟で発砲事件があったの聞いてると思います。その件で明日面談があるので、緒方教授と小林さんに先に話しておきたいことがあるんですが、明日朝イチでお邪魔していいですか?」
「お疲れさまです。とりあえず私は朝イチで居ますが、緒方先生は依頼が立て込んでいるみたいです。今このまま内容をお窺いして明日私から緒方先生に伝えたほうがスムーズですが、それでは間に合わないようなことでしたか?」
ああ、そのほうが助かる。正直あの立地だし、行き来するだけで結構なタイムロスになってしまう。
「そのほうが助かります。今回の発砲事件の狙いはおそらく自分です。小林さんには以前お伝えしていたと思いますが、当時からあった売春の噂は概ね事実で、パトロンは暴力団幹部です。現在その部下の出所に絡んで組織をはぐれた一派が抗争を仕掛けてきていて、事件はその絡みです。役員会でも噂に関しては耳に入っていると思います。尋問されるであろうことは予想していますが、言い逃れはできないので先手を打って前期いっぱいでの退職を申し出ることになると思います。そこで、小林さんに授業を引き継ぐことを依頼したい。そのために教授には小林さんの昇任を推薦してほしいのです。」
やや暫く間があって、既読の表示がされた。小林さんは内容が内容であるにも拘らず、冷静に穏やかに返事を返してくる。
「お辞めになることはもう決めてしまわれているんですか?どなたか相談はされていらっしゃいますか?」
「いえ。でも、仕方がないです。辞めなければ抗争に巻き込まれて殺されてこれまでの所業や過去の事件のこと知られてスキャンダルになって学校や親の立場や品位を貶めることになりかねない、はたまた、出方次第じゃさくっとクビになるのが先かという状況です。医療法人の役員の肩書も一旦捨てることになると思います。」
やや長考している様子が伺える。
その間に先輩から呼び出しがかかった。もう着いたのに何処に居るのかと仰せだ。今日は地裁に居たので直ぐ着いてしまったという。なんでそれを先に言わないんだと思いながら、急いで片付けて施錠して向かう。
道すがらスマートフォンに入ってきた通知を確認して小林さんの返信を確認する。
「おそらく、運用的にはそれで問題ないですし、緒方先生も状況を鑑みれば駄目とは言わないと思います。でも、藤川先生の研究や検死の実績自体は学校は逃したくないのでは?明日の役員会で交渉できる材料としてそこは使わないんですか?」
「どうかな、役員は正直おれの実績は買ってても、素行に対する印象は決して良くはないと思うし、おれ自身そこまで自分のやってきたことは交渉材料になると思ってない、あくまで自分のための、きわめて利己的な研究だから。あと、すみません。このあと人と会うので返信遅れるかもしれません。自分から持ちかけたのに申し訳ない。」
スマートフォンを内ポケットに仕舞って、ローソンのやや手前向かい側、芝公園4号地の道端に停まっているブルーメタリックのAudi R8 Coupéを覗くと、ウィンドウが下り先輩が顔を出した。やや歳を重ねたものの、出会った頃とさして印象は変わりない。
「おお、よかった。また誂われてるんちゃうかと思たらほんまに来た。待ってな、車道から乗るの危ないから、そこの路地右に入んで」
一旦車を発信させて、先の交差点でUターンしてローソンの裏の中学校のところから路地に入った。あとを追って横断歩道を渡り、その路地に入る。助手席を開けると、強引に腕を引いて、そのままシートにねじ伏せられ、唇を塞がれた。香水の匂いと煙草の匂いで噎せ返りそうになる。
「会いたかったで、玲、今日は帰さへんよ」
先輩はおれの頬に手を添え、親指で繰り返し撫でながら、何度もキスをした。
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