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【2020/05 炬火】④
おかしいな、と思ったのはいつだっただろう。
仲良くしてくれてた近所のお兄さんにされたことを話してしまったときは、単純に大人としてしてはならないことをした相手にひどく憤っているんだと思っていた。そして教義的に同性愛なんてとんでもないことだということもあってのことだと思っていた。
でも、おれはその後数年経って母に伴われ遠方の人里離れた土地に建つ神殿のようなところに連れて行かれ「穢れを祓い、祝福を授け、さらなる成長を願う」ための儀式を受けた日、儀式のあと通された部屋で位の高い会員に同じようなことをされた。
しかもそれがあまりにも屈辱的なものであったため、母のもとに戻ったとき強く訴えたのだが、母はまるでそれが誇らしく喜ぶべき、今後も段階を踏んで繰り返し受け容れるべきものことだというように語った。そのとき、これ以上この団体には関わりたくないと思った。
それで、母親がおれをそういうところに誘い出す余地を作らないため部活動に入ったり、クラブチームに入ることにした。父にはスポーツがしたいとだけ伝えて相談した。両親どちらにも本当のことは言えなかった。おれは、両親にも、自分にも嘘をついていた。
後から知ったのだが、母親は本来その宗教の会員同士でないと婚姻が許されないのに、反対を押し切って勤務する英会話教室で知り合ったうちの父に一目惚れして懇願されて駆け落ち同然に結婚したという経緯があった。その際どうやら、父は母の信仰には関与しないこと、父方には信仰を強要しないことは話し合って決めたようなのだ。
しかし、母親はその代わりおれのことは必ず入信させたいという意思があったようで、父や父方の人間には黙って、嘘の理由をつけてはおれを連れて行っていた。おれもそれに口裏を合わせるように言われて、当時は特に疑問も持たず従っていた。
それが明らかになったのが、おれが高校三年の夏だ。
このような状況に至る前からも何度か他にも同性愛関係になった相手がいることも、母親に連れ出された先で何が起きていたのかも、何故おれがスポーツにのめり込んでいったのかも、洗いざらい喋った。
そして、異性との健全な友人関係を抑圧しておきながら宗教の場ではそのようなことが強要され繰り返されたことについて、母を責めた。この出来事をきっかけに、母は家を出ていった。
父はおれに公務員になることを勧め、警察官募集試験のための準備や手筈を整えてくれた。仕事にも一層注力するようになり、実績は評価されていたが、反面、仕事のない時間は分別無く酒を飲むようになり、やがて業務にも支障を出すようになっていった。
やがて、おれが島嶼部で勤務しているさなか、膵炎を起こし、帰らぬ人になった。教会を通じても生家に連絡しても母とは連絡が取れず、葬儀にはこなかった。
父か倒れてた前後から、亡くなって全てが片付くまで、父の弟である叔父と、その妻にあたる叔母、従兄弟であるその家の姉妹が手を尽くしてくれた。こうなってしまった事情を知っても誰のことも責めずに。おれの性的志向についても不問で。…あの人達が居なかったら、おれは今頃どうなっていただろうと思う。
おれは島嶼部での勤務を終えて都心に戻り、面談をした際に鑑識官を志望し、募集がかかるという情報を掴んでからが決まるとその準備に明け暮れた。一人暮らしに移行したのもこの頃だ。
そういうことを経た上で、試験に合格し、専門課程を修了して、配属されて、現在の状況がある。
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