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【2020/05 消失】⑥

大石先生がERにいることも、亡くなった方が事件性のある死因だった場合先生が呼ばれるのもそれ自体は何も不思議はない。でも、よりによって先生の学校に…の病院のERに?担ぎ込まれた?誰に? 驚いて振り返ると、先生は「わかった、すぐ向かう」と言って通話を切った。立ち上がり、おれの脇を抜けて部屋から出ようとした先生の腕を掴んで引き止める。 「先生、今出るのは危ないです」 「だからって…行かないわけにいかないだろ」 おれの手を振り払って、廊下に出てそのままリビングを経由して寝室に行き、クローゼットを開ける。先生は仕事用の服装に着替え始めた。 シワひとつないオーダーのワイドカラーにフレンチカフスのシャツをシャツガーターで丁寧に留めて、ディンプルを深めにとってダブルノットでネクタイを締める。ジレを羽織った状態で、クローゼットからスラックスや靴下、ソックスガーターやベルトを取り出す。 「おれもついて行きます、先生一人じゃなかったら、少なくとも警察官が居たら手は出せないはずです」 おれも自分の服を持ってきて着替え、荷物をまとめる。 「模様替えと、そこの片付けどうすんの」 先生が袖口に凝った模様が彫られたカフスを付けながらリビングの食べ残しや食器の載ったままのテーブルを指差す。 「おれ早めに引っ越してきて片付けますから、それからでもいいじゃないですか」 「おれ、それまでこの状態の部屋で過ごすの?嫌なんだけど…絶対聴取終わって帰ってきたら腐ってんじゃん…」 不満そうに言いながら着替える先生を横目に、準備が既に終わってしまったおれは仕方なく片付けを始めた。取り急ぎ食べ残したものは戻ってきたらもう食べられないと思うので袋に入れて、キッチンシンクに使った食器類と空き容器を置いて泡状に吹き付けるタイプの食器洗剤をスプレーした。 戻ってくると先生の着替えと準備が完了していた。細身の体にピッタリ沿ったスーツ姿の先生はかっこいい。生地もツヤ感があって見るからにいいものだ。これもきっとオーダーだろう。 「そういや、おれが行った初日って先生スーツじゃなかったですよね」 「授業なかったからじゃない?」 アプリでタクシーを手配して、玄関で到着を待つ。到着を知らせる表示を確認したところで先に靴を履いて外に出て周囲を伺う。特に不審な気配はない。先生を玄関で待機させたままエレベーターを呼び出し、通路の外側に立って先生が乗るまで見張る。 降りて周囲に問題ないことを改めて確認して、タクシーに問題なく乗ることができた。行き先に先生の大学の名前を出すとすんなり通じた。 シートベルトをつけようとした先生に、念の為おれは伏せるように言って自分の腿を叩いて頭を載せるよう促す。先生は服がシワになると言いながらも寝っ転がって呑気にスマートフォンでゲームをし始めた。おれは一時停止や信号待ちが発生するたび周囲を見渡して警戒しているのに、先生ときたら。 「先生、こないだのも、今回のも、どういう経緯でとか知ってるわけじゃないんですよね?先生が直接そういう事情に絡んでるわけでもないんですよね?」 声をかけると、流石に先生も画面を閉じてこちらを見上げる。 「そりゃあまあ、そうだけど…てか、弁護士いるから無駄に拘束されるないんじゃないかなとは思うけど」 ああ、そうか。この人お金持ちなんでした。そういうツテもあって不思議じゃない。 「顧問弁護士的な人、いるんですか?親御さんの医療法人の?」 先生は顔を小さく左右に振った。 「や、それとは別。そこまできちんとしたアレじゃないけどね、いるよ。先輩なんだ、東大の。しかも、ヤメ検の」

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