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第1話

 空は高く青く気持ちのいい日だった。  校庭では砂埃が舞い、その中を何人もの生徒が走り回っている。  俺は那須太威知(なすたいち)。矢雄八高校の一年生だ。  親は、人生太く強くたくましく知恵もあるようにと俺の名前に無茶苦茶な字を当てた。そのかいあってか、自分で言うのもなんだが俺は結構な男前だ。スポーツが得意で背も高い。勉強はいまいちだがもてるほうだった。  さて、今日は夏休み中の登校日。すでに午後になり、部活は休みなのだがサッカー好きの有志が集まって勝手に球蹴りに興じていた。 「行ったぞ。太威知」 「おうっ」  任せられたボールに食らいつき、俺は大きく足を振り上げる。みんなから豪快だと称される身体の動きで、ボールを蹴った。  しかし。  あっと思った時には遅かった。  サッカーボールは俺の足から変な方向に飛び、弾丸のように校舎側にすっ飛んで行く。  俺は、パワーはあるが繊細なボールコントロールは苦手だった。いまも俺の欠点が最大限発揮された形だ。  進行方向には小柄な人影。  一直線にボールは向かって行く。 「わっ」  かわいそうな被害者の憐れな悲鳴が上がった。  サッカーボールは顔面に勢いよくぶち当たってさらに上へと大きく跳ね上がる。かなりの威力だ。 「すまん!」  後ろに倒れ込み地面に転がった人影に向かって、俺は猛スピードで走りよった。 「大丈夫か」  白い半袖シャツの肩に手をかけて抱き起こす。  地面のひと区画を四角く囲んでいるレンガ。ここに頭をぶつけたのならと思うとぞっとした。 「あ、いたたた」  よかった。取り敢えずは生きてる。俺は顔を覗き込んだ。  そいつはふっくらとしてかわいい顔をしていた。まつげの長さが眼を引く。眼がくるくるしていて、まだ売れる前のアイドルみたいにあどけなく愛くるしい。  いや、そんなことのんきに考えている場合じゃない。顔面は赤くはれて痛々しい風情なのだ。それに頭も打ってるんじゃないか。俺はそっと側頭部に手を添えた。 「怪我したのか。したよな。すまねぇ。大丈夫か」 「大丈夫。……いや、大丈夫じゃないです」  少し心もとない声がこぼれる。 「鼻すごく痛いけど……、あと頭ぶつけました。でもなにより眼鏡。眼鏡がないと僕なんにも見えなくて……」  とても近くから顔を合わせているのだが、どうやら俺の顔もまともに見えていないらしい。苦労して眼を眇めている。  眼鏡、眼鏡……っと。あった。  足元の土の上で透明な輝きが俺を呼ぶ。手をのばした俺は眼鏡が無残に壊れているのを知った。  レンズが両方とも外れているのだ。  俺は黒い眼鏡の枠とレンズとを手のひらに乗せて、持ち主の顔の前に差し出した。ちょっとレンズが厚めだ。かなり度が強いのだろうか。 「やばいな。これ壊れちまってる」  土に汚れている手が俺の手のひらの上を確かめる。そしてちょっと泣きそうな顔を見せた。 「困ります。これじゃあまともに家にも帰れない」 「マジ?そんなに視力悪いのか?」 「両目とも0.01ないんです」  言いながら今度は自分の頭をさする。痛かったらしく顔を歪めた。 「頭のほうはどんな感じだ」 「なんか後で腫れてきそう。グラグラします」  脳震盪を起こしかけているのだろうか。注意が必要だ。  俺は腕をそいつの背中にまわして様子を見る。  転んだ拍子に擦りむいたのだろう。手のひらからは血がにじんでいた。満身創痍だ。 「少し血が出てるな。すまねぇ」  全体的にぽっちゃりとした印象のそいつの腕をそっと掴む。柔らかい感触。身長はないが結構肉がついているようだ。 「保健室いこうか」 「い、いいです」  慌てたように首を振って強く拒否した。それから肩をすくめて遠慮がちに提案してくる。 「それより、家まで送ってくれませんか。このままじゃ帰るの無理です。家に帰れば予備の眼鏡あるから」  お願いしますと頭を下げられ、頭を下げるのはこっちのほうだと恐縮した。 「分かった。ちゃんと送ってく。ホントすまねぇな。許してくれよ。ちょっとここで待ってろな」  俺は後ろを向いてサッカー仲間に大きく手を×にしてサインを送る。 「悪い。俺今日は抜けるわ」  でっかい声を響かせた。 「大丈夫なのか」 「怪我させたのか」  いくつかの心配する声が返って来る。 「これからちょっと面倒見るから。またな」 「おお」  俺がボールを蹴り戻すと仲間たちはまたサッカーに没頭していった。  それにしても。  俺は視線を地面に向ける。ここはいったいなんだ。花壇か畑か。  緑色のネットが支柱ごと歪んでいる。倒れた時に巻き込んだのだろう。もちろんその原因となったのは俺なんだろうが……。 「もしかして、園芸部なんてあったのか」  無礼な言葉にそいつは唇を尖らせた。 「弱小だけど、少し休んでた時期もあったけど……ちゃんと活動してます。ここだって園芸部の場所なんですよ。よくボールが飛んできて迷惑してるんだから」  ふくれっ面で嫌味を返して来る。  レンガで長方形に囲まれた区画には色々な植物が育っていた。花もあれば野菜もあるようだ。  しかし場所が悪すぎる。校庭の真横だ。こんな場所で育てていたらそりゃあ被害にもあうだろう。 「ヘチマか」  ネットに長いつるを巻き付かせたそれらは、かわいらしい黄色い花をつけていた。  学校の花壇で出来るのなんて朝顔にひまわりにヘチマくらいだという先入観がある。俺は何の気なしに聞いていた。 「キュウリです」 「へえ。食えるのか」 「失礼ですね。ちゃんと食べられますよ」  さっきよりさらにふくれっ面になって横のほうを示した。 「ちゃんともう収穫出来てるのもあります」  かたわらの籠には太いキュウリが五本。採れたてらしくぴかぴかしている。鮮やかな濃い緑色。新鮮そうなとげとげ。 「へえ、結構でかいのも取れるんだな。すげぇ」 「まあ、なんていうか、すごいでしょ」  感嘆の声を浴びてそいつは嬉しそうに笑った。  綺麗で純粋な笑顔だ。はにかんだ口元がふにゃっとして頬はツルツルピカピカ。ちょっと見惚れる。  このかわいい顔に眼鏡はもったいないなとふと思った。コンタクトにすればいいのに。  それにしてもなんかデジャブ。こいつどこかで見たことあるような……。  俺はまじまじとそいつのことを観察した。  二重顎とまではいかないがふっくらとした顎の線。  二の腕はぽってりとして触り心地がよさそうだ。  手のひらにも厚みがある。構成しているのは筋肉じゃなくほぼ脂肪らしい。  眼鏡を壊されて、まともにまわりが見えなくて困っているそいつに、俺はまずひとつ提案した。 「お前どこのクラス?荷物取ってきてやるよ」 「ありがとうございます。二年一組です。席は……」 「うそ、マジ。先輩かよ」  衝撃。てっきり同じ一年生かと思ってたのに。むしろ中学生でも通用すると思うぞ。  俺もショックだったがそいつもショックだったようだ。 「え、君一年生なの?それにしちゃ態度大きいよ」 「悪い。よく言われる」  俺は頭をかいて率直に謝った。 「言葉が悪くてけっこうトラブルこともある。わざとじゃないんだけど。ごめんな。あ、いや、ごめんなさいか。すいません」  相手は上級生だ。一応態度を改める。  だが言いなれない台詞にもごもごしてしまい、うまくなかった。  呆れたようなため息が吐き出される。 「無理しないでいいよ。席は窓際の前から二番目。カバンは机の上に置いてあるから持ってきてくれるかな」 「了解した。自分のクラスにもよって来るから、しばらくここで待っててくれ」 「うん」  とは言ったものの、ここで俺にバックレられたらどうしようと不安になったらしい。 「その……なるべく早く戻ってきてくれないかな」  心細げな呼びかけに、俺は安心させるために咄嗟に手を取っていた。  思った通り柔らかい手の感触。温かくてぷにっとしている。  距離感に驚いてまたたきをしているのを見つめ返しながら、力強い声を俺は放っていた。 「心配するな。すぐ取ってくる。男に二言はない」 「……うん。頼んだよ」  勢いに押されて目蓋をパチパチさせているそいつを置いて、俺は校舎の入口に向けて全速力で走り出したのだ。

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