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5.指笛の響き
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件名:ありがとうございます
From Tomoharu.Minami
To Kai.Saeda
佐枝峡様
三波朋晴です。先日零さんのところへお見舞いに伺った際に峡さんからのお礼を渡していただきました。お気遣いに恐縮しましたが、とても嬉しかったです。僕の初めて見るブランドでしたが、シンプルでかつ洒落ていて、素敵だと思いました。大切に使いたいと思います。
零さんはこれから回復するところなのだと思いますが、また元気になって新しい作品を拝見できる日を楽しみにしています。峡さんにもまたどこかでお会いできることがあれば幸いです。このたびはありがとうございました。三波朋晴拝
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件名:Re.ありがとうございます
From Kai.Saeda
To Tomoharu.Minami
三波様
佐枝峡です。メールをありがとう。時計、気に入ったのなら良かったです。零から三波君はとてもお洒落な人だと聞いたので、選ぶ時は緊張しました。
零はまだ元気がないようですが、時間がたてば戻るでしょう。今回の事件ではこちらも肝が冷えましたが、今後は藤野谷君もついていますし、保護者としての役割も終わりのようです(三十歳になった大人に保護者も何もないようなものですが、零の環境は特殊だったので、周りも少し過敏なところがありました)
三波君は零の作品の熱烈なファンだそうで、零は照れていますが、叔父としては素朴に嬉しく思っています。
今回の一連の騒動に関しては、三波君にも不愉快なことがたくさんあったと思います。つねに落ちついた対応をとってくれて本当にありがとう。礼といってもごく些細なことでしかなく、わざわざメールを貰って申し訳ないくらいです。
零に聞いたところによると、三波君は美味しいものがお好きだそうですね。いずれ機会があれば、零も一緒に、どこかお誘いできればと思います。それでは。佐枝峡より。
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さあ、これからどうしたものか。
峡さんからの返信を読んで僕は頭を抱えている。
ここまではどうということのないやり取りだ。僕がお礼のメールを送り、そこに峡さんが返事をくれた、それだけのことだ。返事が来たのは早かったし、文面はこれっきりさようならという雰囲気でもない。しかし正直、それ以上のことはわからない。結びの誘いめいた言葉も、佐枝さんと一緒にとなっていて、僕と一対一で会いたいと峡さんが考えているとは――想像しがたい。
そうなんだろうなぁ、と僕はため息をついた。これがアルファの連中なら、じゃあ今度ハウスで会わない? と聞くだけで、お互いどんな目論見があるにせよ、話はすぐ進むんだけどなぁ。
おまけに峡さんはベータだ。ちょっと遊びませんかといっても、女性にしか興味がないかもしれない。
おいおい、そこからか。
僕は自分に突っこんだ。で、どうする? いや、そもそもおまえはどうしたいんだ? アルファの連中のように峡さんとデートしたいのか? それとも単にもっと親しくなりたいだけなのか?
実をいえば自分でもよくわからなかった。だいたい最初は何だったっけ? 峡さんとの初対面は、ギャラリーで行われたTEN-ZEROの新製品プレゼンだ。佐枝さんが紹介してくれたのだ。一目見た瞬間に高校の時の講師を思い出してどきっとしたのがはじまりで、それから僕は峡さんに会うたびに心臓が跳ねあがるのを感じている――というわけだ。
それはハウスで出会うアルファと(その後のセックスの誘いも含めた)駆け引きをする感じとはまったく違っていた。
駆け引きなどしたくなかった。もっと彼といろいろな話をしたかった。何がするのが好きなのか、ご飯が美味しい店の話、今何をしているのか……
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件名:Re.Re.ありがとうございます
From Tomoharu.Minami
To Kai.Saeda
こんばんは。零さんがいろいろ僕のことを話してくれているようで、恐縮です。たしかに僕は美味しいものを探すのが好きで『たべるんぽ』に@HARU3という名前でよくレビューを書いています。退屈なときにでもご覧ください。それでは。三波(ChatID:Haru3WAVE)
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『たべるんぽ』は誰もが知っている口コミグルメサイトだ。実は僕はべスト500レビュワーの称号持ちである。食レポを面白くまとめるのが得意なのだ。峡さんにはどうでもいい話だろうが、このくらいなら引かれないんじゃないか。
考えこみながらえいっと送信ボタンを押し、僕はもう寝ることにした。反応がなければそれはその時のこと。
モバイルが鈴の音を鳴らしたのは歯を磨いていた時だった。チャットアプリにフレンドリクエストが入っていた。Saedakai――峡さんだ。僕は秒速で友達登録をした。インターネット社会万歳。
峡さんとつながることができたのはよかったとして、僕の迷惑メールフォルダは毎日パンパンに膨れ上がっている。よくあるスパムは自動でゴミ箱へ直行するので件名も見ないが、この二週間ほどは気に障るメールが毎日何通も届く。件名は「大丈夫か?」「また会いたい」「友達だと思っている」果ては「悪かった」「どうして無視する?」だ。
送信者の見当はついている。僕は他の迷惑メールと同様に削除しようとして思いとどまった。捨てアカウントを設定してそちらへ自動転送する。送信元のアドレスはいまのところ五つほど。中身は見ていない。メールを送るだけで満足するのなら勝手に満足していればいい。それ以上に及ばなければ日常生活に実害はない。
苛立つのはヒートが近いせいだろう。皮膚がわずかに熱を持ちはじめ、周囲や自分自身の匂いが気になってくる。予感のような微熱がきた夕方、僕は休暇を申請した。オメガはヒート期、最低でも二連休は取れる。週末に続ければ四日休めるわけだから、標準的なヒートならこれで十分おさまる。
その間どうするかは人によってさまざまだ。自宅でだらだらすごす。パートナーとのんびりしたり、旅先でどこかにこもる。さもなければ〈ハウス〉へ行き、適当な相手をみつける。あるいはハウスの中でひとりで閉じこもってもいい。
〈ハウス〉はアルファとオメガ専用の娯楽施設だが、中の個室でひとりで処理するのを好むオメガもいる。たとえ生理的に必要だったとしても、誰かとセックスする手続きはけっこう面倒くさい。
もっとも僕自身がそう感じるようになったのはここ一、二年くらいで、十代の終わりにヒートがはじまったころは面倒だとか、まして「手続き」だとはまったく思わなかった。相手を探して駆け引きするのは一種のゲームで、ヒートがなくてもセックスは楽しかった。
それに何となく倦みはじめたのは、ある時期から、一夜をともにしたアルファが僕を一種の賞品というか、トロフィーや褒美のように思っていることに気づいたからだ。
やれやれ、僕は見た目がいい。休日に繁華街を歩いているとファッション雑誌のカメラマンに声をかけられることも、スカウトの名刺をもらうこともある。
とはいえオメガの例にもれず、子供のころの僕はここまで容姿でちやほやされたことはなかった。
たしかにもとの目鼻立ちは悪くないはずだが、それは僕のベータの家族にもあてはまることだ。オメガ性の容姿の変化はよく「みにくいアヒルの子」に例えられる。十五、六歳ごろから性成熟がはじまると、肌や髪に艶があらわれてなめらかになり、頬から顎、首にかけての線がすっきりし、眸が大きくなって、みるからに容貌が整う。体つきも変わり、動きが柔らかくなる。
ヒートがはじまるのはもっと後だが、こうなるとそれまでベータの中に紛れていたオメガもはっきり周囲に見えるようになる。アルファはオメガをみつめ、選ぶようになり、ベータはオメガを「ちがう存在」として扱いはじめる。そしていろいろなことが少しずつ、あるいは急激に変わっていく。一緒に木登りをしたり指笛の上手さを競っていた幼馴染のあいだにもその変化は訪れる。
オメガはアルファやベータの気分にさとくなり、それがわからないベータはオメガをいぶかしむようになる。つがいのいないアルファはヒート期のオメガの匂いに惹きつけられて発情 する。
そしてベータはこの衝動をけっして理解できない。
ボスとつきあって逆説的に良かったことは、彼にとって僕はトロフィーではなかったことかもしれない。鏡の前で髪をセットしながら僕は何気なく思った。ボスにとっては世界にただひとりの相手しか存在しないも同然で、トロフィーどころか、他の誰も代わりになりようがなかったのだ。
これを運命のつがいという。考えようによってはひどい話だ。
そうはいっても、ハウスや道端で出会うアルファを単純素朴に好きになったり、つがいになりたいと思えない僕は、ボスよりもっとひどいのかもしれなかった。そんな僕がアルファとの駆け引き の賞品になってしまったのはある意味自業自得で、あるときそれに気づいた僕は、ハウスを誰かと出会う場所と考えるのをやめてしまった。
オメガだからといって、ハウスだけが世界ではない。僕にはまともな家族がいるし、仕事もあるのだ。
なのにそんな僕であっても発情期 はきちんとやってくる。
外に出ると空気には水の匂いが濃く漂っていた。僕は磨いた靴に足をつっこみ、アパートに鍵をかけた。手首が軽いと思ったら腕時計を忘れている。そのまま行くか少し迷って、結局取りに戻った。もう一度鍵をかけながら、手首の薔薇の留め金をなぞる。なめらかな銀は皮膚の上で柔らかく存在を主張していた。
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