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背中の輪郭

   * 完結後の秋、11月頃のエピソード。    *  夜になってカーテンを閉ざし、ナイトスタンドの小さな光だけになった部屋は、昼間と印象ががらりと変わる。いつもの世界から遠く離れた場所に来たようで、カーテンを開けるとちがう星にいたら面白い。そんなことを考えてしまうのは、濃紺の壁紙がSF映画に登場する宇宙船や洞窟を連想させるから?  ここが宇宙船でも海底でもかまわない。  僕はベッドに横たわる峡さんの上に乗っている。両手を彼の腹に置いたまま腰をゆっくり落として、猛った彼の肉棒を尻の穴に咥えこむ。ローションで濡らした後口は中までほぐれているが、入口の狭い部分を先端や茎が通り抜けるときは、いつものようにきつい衝撃がある。息を吐きながら彼を呑みこみ、先の方が気持ちのいい場所に触れるまでゆるやかに動く。  峡さんは両手で僕の尻を支え、腰をすこしだけ持ち上げてグラインドする。そのとたん僕の中のちょうどいいところへ先端が当たる。 「あっ……」  たまらず腰をゆらした僕の背中を峡さんの両手がつかむ。彼は激しくは動かない――でも、ゆったりしたリズムで下から突き上げてきて、僕は彼の律動に翻弄されながら腰をふる。 「あ、あ、あ―――んっ……」  僕のペニスはたらたらと雫をこぼし、峡さんの腹の上を擦っている。衝動的に触れようとした右手を押さえられ、僕はもどかしい吐息をつく。 「峡さん――峡さ……」  うすく涙をにじませて眼をひらくと、峡さんは枕の上から僕をじっとみつめている。峡さんはしている最中によけいなお喋りはしない。気持ちいい? なんて聞かないし、わざとらしい睦言もいわない。けれどこの視線は饒舌だ。峡さんにぜんぶ見られていると思うと、僕の中にとくとくと満たされるような不思議な気持ちが湧きあがる。  彼は片手で僕の腰を支えたまま、もう片手の人差し指を僕のへそからまっすぐ上に、文字を書くようにずらしていく。敏感になった乳首に指が触れ、きゅっとつままれる。すかさず僕の中が反応して、襞が彼をしめつけるように蠢く。 「あ……あ、お願い、もっと……」  僕はやみくもに自分のペニスに触れようとする。峡さんの眼が細められ、彼は僕の右手を押さえると、今度はあやつり人形のように僕の指を僕自身へ誘導する。彼の手のひらと自分の指の区別がなくなった錯覚に陥って僕は混乱する。急に峡さんの腰が大きく持ち上げられ、下から激しく打ちつけられた。 「あんっ、あんっ――あ、あ、あ、あ……」  峡さんの腹の上に僕の白濁が散っている。吐き出したばかりの解放感で頭はぼうっとしているけれど、僕の中はまだ彼でいっぱいで、ぐちょぐちょに濡らされたまま内側を擦る感覚に気が遠くなりそうだ。峡さんの両手がまた僕の腰をしっかり支える。温もりに安堵しながら、僕はまた僕の中で峡さんをちゃんと感じようと、ゆっくり尻を上下させる。 「朋晴、なにかあった?」  ふいに峡さんがそうたずねた。 「えっ……?」  僕は首をふり、峡さんの胸に手を這わせる。汗や僕の体液で濡れた肌からはいろいろな匂いがたちのぼる。 「ううん――何も……」 「激しいから」  余裕でさらりといわれた言葉に急に羞恥をおぼえた。と、その瞬間また大きくグラインドされて、脳に走った衝撃に僕は眼をつむった。不意打ちなんて卑怯だ。峡さんは卑怯。 「……だって……明日から――いないんでしょう……」 「たった二週間だよ」 「でも……二回も週末に会えないし……できないし……」  理性というサルが僕の頭の隅っこで「何をいってるんだ馬鹿者、これじゃヤリたいだけみたいだろ!」とののしったが、出てしまった言葉は戻ってこない。 「さびし――あっ……」  峡さんの腰がずれるように動き、腕が僕の背中に回って、体勢を変えたがっているのがわかった。僕はシーツに手をついてうつぶせになる。背中に峡さんの息が当たり、一度抜かれた彼の肉棒が押し入ってくる。そのまま何度も奥を突かれ、濡れた音に打ちつけられる音が重なって、快感で頭の芯が白くなる。  峡さんが長い、低く殺した吐息をつく。達したあとの余韻を味わうように動きをとめ、僕を背中から抱きしめてくる。その瞬間が好きだった。いたわるように髪を撫でられ、汗ばんだ肌をくっつけてじっとしている。 「俺がいなくてもここに来ていいから」静かに峡さんがいった。 「合鍵を渡しただろう?」 「でも……」  僕はためらった。  佐井家の当主の旅行に同行するから、二週間ほど海外に行く。そう峡さんが教えてくれたのは先週のことだった。行先は南米と聞いて僕は反射的に次兄の千歳を思い出した。 「葉月と空良――零の両親が暮らした家を見に行くんだ」と峡さんはいった。 「|藤野谷藍閃《ふじのやらんせん》氏の招きでね。ふたりがその家に落ち着くまでのルートも辿る予定になっている。零は展覧会の準備中だから辞退するそうだが……藤野谷君と訪ねる機会もあるだろうしね……当主はこれが最後の海外旅行になるかもしれない。」  そんな事情なら不満をいえるはずもなかった。最近僕は名族佐井家の付人(家来筋と呼ぶらしい)としての佐枝家――峡さんの役割を知りつつあった。峡さんと彼のご両親で、佐井家当主の身の回りのことや名族のあいだで行われる社交行事の調整をして、こんな風に旅行の付添もするのだ。  血のつながりだけでいえば当主は佐枝さんの祖父にあたるが、今の佐井家は名目上当主ひとりしかいない。だから佐枝家の仕事も俺で終わりだと峡さんはいった。  だけど――この頃は休みのたびに峡さんのマンションに来ているとはいえ、家主が長期不在の時に勝手にあがりこむのはどうだろうか。父は礼節やけじめには厳しい人で、長兄も父によく似ていたから、僕は子供のころから他人の持ち物や領域を侵さないよういい聞かせられて育った。でもここにいたら我慢できず、あちこち見たくなってしまいそうだ。 「いいの? 僕があちこちひっくり返しても」 「ん? いいよ」  峡さんはベッドに敷いたバスタオルをはずし、僕の体を拭きにかかった。セックスのあとはいつもこうなのだ。最初は途惑った僕もいまではすっかり慣れてしまった。それに他人に拭いてもらうのはとても気持ちがいい。セックスのときの快感とはちがう心地よさだ。  もっともこれが次のラウンドにつながってしまうときもある。 「峡さんが秘密にしてるものとか見ちゃうかもしれないですよ」 「いいよ。朋晴に見られて困る秘密はないし」  僕は思わず峡さんをにらんだ。まったくこの人は何をいってるんだ。 「ほんとに?」 「だったら朋晴には秘密があるんだな」  峡さんがにやりとした。タオルでぬぐった僕の背中を指がすうっとたどっていく。脇腹から腰にかけてさわさわと触れられて、くすぐったいのとそれ以外の感覚とで体がふるえた。 「朋晴の秘密は?」 「そんなの」 「俺に隠してやってることがあるんだろ? 何?」 「隠してなんて……」  といいかけたとき、僕はあることを思い出した。たしかに秘密――峡さんに知られたくない秘密はある。彼とこうなる前のあの夜……ローターをアナルに入れてひとりでよがっていたときのこととか……そのあとも……  乳首にかすかな痛みが走った。ぴちゃっと舌が鳴る音が聞こえる。峡さんの手のひらが尻を撫でるが、またも興奮しかけた中心には触れてくれない。 「峡さん――あ――や……ん……」  いきなりぐいっとシーツに押され、峡さんがのしかかってくる。激しい勢いで唇を吸ってくるので僕は舌で応戦する。応戦しながらあの夜のことを思い出していた。峡さんの声がイヤホンから聞こえて……すごく気持ちよくて……  ああ馬鹿! 馬鹿! 僕の頭の隅っこで理性と書かれたサルがまた登場した。そんなこと思い出してまた興奮して! こんなになって! 恥ずかしい奴だまったく! 本人とキスしながらオナニーのこと思い出すなんて……なんて…… 「峡さん……」 「ん?」  僕は眼を閉じたまま腰を浮かせた。せっかくきれいにしてもらったのにまた濡れてしまっている。峡さんの唇が僕の顎の線をたどり、舌が耳に触れる。舐められ、濡らされたところにふぅっと息をかけられ、その息が僕の腹のあたりに下がっていく。  次に聞こえた言葉はまったく予想していなかったものだった。 「そうだな。一緒に住む?」  え?  驚きのあまり僕は眼を見開いた。峡さんの顔はみえない。へそをなぞる舌の感触に腰が踊りそうだ。 「――ただの同居もまずいか……いずれ籍を――いや、その前にご両親に挨拶を……」  ちょ、ちょっと待って! 待って待って! それってその―― 「峡さ――あ……」  僕は峡さんに食べられてしまった。ぱっくりと、もう何も残らないくらいに。  家主のいない部屋に鍵をあけて入るのはすこし緊張した。  僕はまっすぐリビングへ、次にベッドルームへ行って窓を開け、空気を入れ替える。澄んだ秋の青空がまぶしかった。ガラス越しの太陽がリビングを温めている。外からは車の音や子供の声が聞こえるが、窓を閉めるととても静かだった。静かすぎて落ち着かなくなる。  キッチンは片付いていて清潔だ。旅行中の峡さんとはメッセージのやりとりをしているが、声は聞けていない。移動と時差、それに通信環境のせいで通話のタイミングがつかめないのだ。  僕は教わった通りにコーヒーマシンへ豆をセットする。ひとり分。多すぎたかもしれない。いつも使わせてもらっている青いマグカップを持ち上げて少し考え、もうひとつの方に取り換えた。茶色の地に赤茶と金の筋が入っている焼き物のカップは峡さんのものだが――本人がいないから、ちょっとだけ。  リビングのソファに座ってテレビをつけた。あちこちに峡さんの匂いがあるように思ってしまうのは気のせいにちがいない。換気はしたし、峡さんはいないし、他に用事はないし、ここにいる必要もない……僕は立ち上がり、マグカップを片手にキッチンをうろうろした。料理をしてみようか。旅行のあいだにひとつ料理をマスターして、帰ってきたら食べてもらう、とか……。  夢想しただけで結局何もできなかった。ソファに転がったままテーブルの端に置いてある小説をめくって読んだり、それにも飽きてうとうとしたりして、気がつくと外は暗くなっていた。  惰性の週末だ。三波朋晴、そんなことでいいのか。僕はモバイルをチェックする。峡さんからのメッセージはなし。 『峡さんの部屋に来てます』  そんなメッセージを送ろうかと迷って結局やめた。何の意味もない。今はどこにいるんだろう? ロサンゼルスからメキシコへ飛んで、さらに南へ行ったはずだ。時差は十七時間とか十五時間とか。佐井家の当主には大変な旅だろうし、移動は無理せず急がないペースで、という話だった。僕は明かりをつけてキッチンに立った。ひとり分で簡単なもの。パスタかな、やっぱり。  峡さんのキッチンには色々な道具がそろっている。冷凍庫にあったシーフードとにんにく、塩、唐辛子、オリーブオイル、レモン。ニンニクは弱火でじっくり炒めるんだ、という峡さんのアドバイスを思い出しながら僕はパスタ鍋に水を張る。モバイルでタイマーをセットする。茹ですぎ禁物。  できあがったパスタをリビングに持っていき、テレビを見ながらひとりで食べた。自分のアパートではネットを見ながら食べるので、ゴールデンタイムのアニメやバラエティは久しぶりだ。このマンションではテレビをよくつけているが、峡さんが隣にいると結局ろくに見ていないし。  食べ終えて食器を洗った。モバイルに峡さんからメッセージが届いていた。どう読むのかわからない町の名前が書かれた標識が青空を背景に写っていて、こちらは朝の九時です、の一文が添えられている。なんて返事をしたらいいだろう。僕はモバイルを持ったままマンションの廊下をウロウロした。3LDKで、LDKとベッドルーム以外の部屋をのぞいたことはない。ひとり暮らしには広すぎる気がするけれど、もしかしたら峡さんは誰かとここで暮らしていたことだって――あったのかも……  他の部屋をのぞきたい誘惑を我慢して洗面所へ行った。壁に掛けられたバスローブは紺色の方が峡さんので、水色は僕が来たときに借りているものだ。紺色の方を手に取って匂いを嗅ぐと僕の中の理性のサルが「やめろって、変態みたいだろ!」と怒鳴った。なのにますます衝動がつのってきて、僕はバスローブをシャツの上から羽織った。頭の中のサルにいいじゃないかと反論する。峡さんはここにいないんだし、変態上等。  ベッドルームの枕も掛け布団も峡さんの匂いがする。バスローブにくるまったまま僕はモバイルをいじり、気のきいた返信を考えようとしたが、何も思いつかなかった。会社がある日は通勤の合間や寝る前にいつもと同じようにメッセージを送っていたのに、いざ休日になると何も出てこないのは残念すぎる。  Haru3WAVE:  こちらはもう夜です。峡さんのキッチンを借りました。  僕はそうメッセージを送った。バスローブの襟からは峡さんの匂いがする。シャンプーやボディソープの香りだけじゃない、彼自身の肌の匂いを感じられるのは、僕が匂いに敏感なオメガだからだ。峡さんには僕の匂いがわかるだろうか? 峡さんはベータだけど……  あの日は峡さんにしてやられてしまい、そのあと僕が前後不覚になるまで第二ラウンドが続いたから(まったくあの人は!)一緒に住む? なんて聞かれたことや、続いて峡さんがつぶやいた言葉を追及できなかった。翌朝は月曜で僕はそのまま出勤したが、寝坊して慌てていたからろくに話ができなかったし、ひょっとして僕の聞き違いや夢だったら――と思ったりもした。聞き違いでないなら、あれは……  モバイルがブルブルッと震えた。峡さんからの通話だ! 僕はベッドの上に座り直し、液晶画面をタップする。 「峡さん」 『朋晴』  ふだんの声よりすこしざらついているような気がした。二拍ほどおいて『聞こえてる?』と続き、僕はあわてて「はいっ」と答える。なんだか威勢のいい返事になってしまった。 『やっとつながった。元気?』  気のせいにきまっているが、やたらとセクシーに彼の声が僕の耳に入ってくる。僕は息をのみ、またあわてて「はい」と答える。 「峡さんも。そっちはどうです?」 『いい天気だよ。ほとんど雨が降らないらしい。乾燥している』  最初の違和感が溶けたように消えていく。僕は耳にモバイルを押し当てる。 『いま、何していた?』と峡さんがいう。 「晩御飯を食べて――ぼうっとしてて」 『俺のマンション? 何か作った?』 「パスタ。冷凍庫のシーフード、少しもらっちゃいました」 『全部食べてもいいよ』峡さんの息がスピーカーに当たる音が響いた。『美味しかった?』 「そこそこ。でもひとりだとつまらないですね」 『今度俺に食べさせてよ』 「味の保証はしません」 『朋晴の舌がOKを出すなら俺も大丈夫』  舌。他意のない峡さんの一言に別のことを連想して、僕は落ち着かない気分になる。居心地が悪いのではなくふわふわした気分だ。片手が自然に動いていた。股間を弄りはじめると物足りなくなるまではあっという間だ。僕はボタンをはずし、ファスナーをそっと下げる。  耳元で峡さんが昨夜遅く到着した町について話していた。佐枝さんの両親が暮らしていたところだという。 『朋晴?』  峡さんが呼んだ。僕は無意識のうちにバスローブの袖を噛んでいた。 『眠い?』 「そこまで遅い時間じゃないです」 『こっちはこれから一日がはじまるよ』 「このあとどうするんですか?」 『葉月と空良の家を見に行って、このあたりを案内してもらって――葉月が撮った写真と同じ場所があるらしい。明日はそこへ連れて行ってくれるそうだ』  峡さんの声を聴きながら僕はボクサーの上で手を動かす。バスローブからは峡さんの匂いがするのに、彼は遠くにいて僕のこんな――こんな様子なんて知らないんだと思うと、なぜかだんだん息が荒くなる。 「峡さん」 『ん?』 「その……」  僕と会えなくて寂しい? なんて聞けない――僕はあわてて口を閉ざす。 「……何をいおうとしたのかわからなくなっちゃいました」 『そう?』  峡さんの息が当たる音がまた聞こえた。笑っているのだろうか。 『朋晴がここにいたらいいのにと思うよ』  一気に心臓がドキドキして僕は思わず眼を閉じた。峡さんは時々殺し文句をいうが、わざとやってるのか無意識なのか、なんだかずるい。僕の声は変になってませんようにと願うが、右手は止めたくないし、触ってもいない後ろの方が峡さんを恋しがってむずむずしている。 『これから寝るの?』と峡さんがいった。『今は俺の部屋?』 「あ……はい。その――すみません」 『好きなときに来ていいといっただろう』峡さんの声が低くなった。 『ベッドにいるの?』 「ええ」 『どんな格好で?』  僕は薄目をあけて自分自身を見下ろした。中途半端に下がったズボンに、ずれているボクサー、へその上まで裾をまくったシャツ。上から羽織っている峡さんのバスローブ。こんなこといえるはずない。 「いつもと同じです」僕はなんとか普通の声を出す。「寝る前にシャワーを借りてもいいですか?」 『もちろん』  シャワー。自分で聞いたくせに僕の頭の中ではまた別の連想が働いた。峡さんが僕の両手を壁につかせて、後ろから彼自身を擦りつけてくる。密着した肌の間を湯が流れ、彼の唇が僕の耳を噛んで…… 『朋晴?』また峡さんが呼んだ。 『今、何してる?』 「え……何も……」 『そう? 会えないと寂しいね』  ぞくっと背筋が震えた。僕は何もいわなかったはずだ。でも峡さんは何かを聞き取ったらしい。 『何かしてる?』ささやく声がモバイルから響く。 「え、峡さん……」 『今何をしているか、俺にいいなさい』 「何もないです。ただベッドにいるだけで……」 『朋晴がそんな声を出すのは前も聞いたことがあるな』 「峡さんは時々……すごく意地悪ですよ」 『どこか触ってる?』 「触ってません」  僕は嘘をつくが、吐息がモバイルごしに伝わるのではないかと心配する。こんなことをいう峡さんも峡さんだ。向こうはまだ朝なのに! 『だったら俺の代わりに触ってみて』  僕はボクサーに突っこんだ手を止めた。モバイルが指の間からずりおちる。 「もう――峡さんってば!」  低い笑い声が聞こえてきた。この人はわかってやってるのか、からかっているだけなのか、どっちなんだろう。そう思った直後、モバイルからこんな言葉が飛び出してきた。 『帰ったら一番に朋晴に会いたい』  僕は眼をつぶった。いったん止めた手が僕の意思を無視して勝手に動いてしまう。同時に後口が峡さんの感触を思い出してしくしく疼いた。 「……峡さんが帰る日、ここにいていいですか?」 『いいよ。深夜になるかもしれないが』 「待ってますから」 『ありがとう』  そういった峡さんの言葉にかぶるように、外国語らしい意味のとれない声が小さく聞こえる。 『ごめん、時間だ。ゆっくりお休み』 「峡さんも……気をつけて」 『声が聞けてよかった』  通話が切れた。  僕はのけぞるように背中を倒し、枕に頭を落とした。ズボンを抜いて足元に蹴りやる。ヘッドボードの棚にはいつものローションがあった。あおむけのまましばらくそいつをにらんでからあきらめて起き上がる。手のひらであたためて後口にそっとなすりつける。指を入れて中を解し、やっと気持ちのいい場所を探しあてる。 (だったら俺の代わりに触ってみて)  まったく何てことをいうんだろう、あの人は。  代わりになんてならないのに。峡さんが帰ったら絶対これだけはいわなきゃいけない。 「それで、俺がいないあいだにいろいろ見て回った?」  裸で上に乗った僕の背中を手のひらで撫でながら峡さんがいった。僕は首を振り、彼の首筋から顎に唇を押しつける。峡さんにいつもされていることの仕返しだ。耳穴を舐めると峡さんがうっと小さく声を漏らす。 「峡さん、行く前にいってた……」ささやいて耳たぶを噛むと峡さんの分身がぶるんと揺れた。「一緒に住むかって話……」 「ああ」  僕は正面に戻って彼の視線をとらえようとした。そうするまでもなかった。峡さんは静かに僕を見ていた。 「OKしていいですか。その先のことも……」  まばたきがひとつ、ふたつ。それから微笑みが浮かんだ。両手が僕の頬を包む。 「いつ越してくる?」  僕は峡さんの手を引きはがした。 「すぐは無理ですよ。僕のアパートとっちらかっていて……」 「それなら先にご挨拶をする方がいいか」 「挨拶?」 「朋晴の親御さん」峡さんはこともなげにいう。「朋晴をもらうんだから」 「ちがいます」  僕の口からは反射的にそんな言葉が出た。峡さんの眼が丸くなる。 「ちがうって?」 「僕が峡さんをもらうんです。あなたは僕のものだから……」  峡さんの手のひらが僕の背中にまわった。肩の骨や背筋、脇腹をたどる指先は何かをたしかめているようだ。僕も峡さんの頬をなぞってみた。かたちや輪郭を覚えるように、鼻、唇、顎の線、眉、ひたい。ぜんぶ指でたどり、前髪の生えぎわを撫でる。 「そうですよね?」  ダメ押しすると峡さんは笑った。ゆるんだ目尻に小さな皺が寄る。 「ああ。そうだね」

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