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第4話

次の日、昼の休憩に入ろうとすると店先から甘い匂いがした。 振り返らなくてもわかる。 「なんでお前が来てんだよ」 男が言いながら振り返ると、好美は困ったように笑った。 「いや、ほら、希望は学校だし」 「お前は仕事じゃねーの?」 好美はうつむいた。 「首になった。仕事に集中できなくて……」 「そんな呑気な事言ってる場合じゃないだろ、希望が頑張ってるのになにしてんだよ」 「わかってるよ!分かってるのに、できないんだ。仕方ないだろ!」 「俺のせいか?」 好美はうつむいたまま軽くうなずいた。 「ばっかじゃねーの。レイプ犯に惚れるとか」 「そんなの俺が一番分かってる!なのに気持ちが止まらないんだよ! 胸が苦しいし、心臓痛いし!どんなにお前を嫌いたくたって嫌えないんだ! 嫌なことされても、体がおかしくなる!どうしろって言うんだよ!」 「じゃあさ、抱いてやろうか?」 男は平然と言った。 内心は好美の匂いにやられしゃべるのがやっとだった。 早く帰ってほしい。帰ってくれないと頭がおかしくなりそうだった。まともに喋れてるのか自分でもわからない。 「だから希望に来いって言ったのに」 気分が悪くなり、その場に膝をついた。 「あの」 「俺に近づくな、すぐに帰れ。……いや」 男は何とか立ち上がり、奥の金庫から封筒を持ってきた。 「これ、今までの分とこれからの分。足りてるのかわかんねーけど。足りなかったらまた後ではらう。今払える全額だ。これをもってさっさと帰ってくれ。それからもう来るな」 男は愛しの相手の胸に封筒を押し付けた。 これ以上何もできない。してはいけない。 呼吸を浅くしてるせいで意識がもうろうとしてくる。 そして気が付くと、部屋のベッドで寝ていた。 「え?」 慌てて起き上がると外は真っ暗だった。 「店は!?」 「もう閉めた。鍵の閉め方はよくわからないからあとで自分でしめて」 好美の声が聞こえ振り返る。 そこにはやはり好美が立っていた。匂いが落ち着いている。 「あれ、匂いが……」 思わず鼻をさする 「薬飲んで、匂い落ち着かせる香水付けた」 好美はドアわきの壁に寄り掛かりそれ以上近付いてこなかった。 男にとってはそれが助かるとさえ思えた。 番だとここまで強烈に匂うものなのだと冷静に嗅げる今なら、耐えられなかったのは理解できる。ずいぶん理性が保てるようになったものだと思いつつ、深呼吸をした。 「お金、ありがとう。あれだけあれば希望の学費に十分足りる」 「そうか、ならよかった。もし大学行くようならまた二年後くらいにでも取りに来させてくれ。渡すから」 「うん」 お互い番だとわかっている。出会い方がああでなければ、理性が抑えられていれば。 どんなに悔やんでももとには戻れない。 男の目から涙がこぼれた。 鼻をすする音に好美は気づき、姿勢を正した。 「ないてるのか?」 「本当にすまない、許してくれなくていい。今までのままでいい。けど必要なお金ははらうそれくらいしか俺にはできない」 男は肩を震わせた。 「ずっと恨んでたよ。あの時どうしてあんなことされたのか。あんな無理やり犯されてさ。  痛いし、苦しいし。思い出すだけで吐き気がする」 好美はその場に膝をついた 「でもさ、子供ができてうれしかったんだ。両親は亡くなってたし、親戚もいなくて。家族ができるんだって思って。それだけが生きるかてで、俺の救いだった。生む前は何度か子供の存在を恨みそうになったけど。 生まれたら、全部なくなったんだ。俺を求めて、俺のそばにいてくれる存在。俺が助けないと生きていけない存在。それが俺を生かしてくれた。それがさ、一人でどっか行っちゃう歳なんだよ。寂しくもなるよ……」 好美は壁に頭をあづけた。 「何度も番のあんたを許せるのか、許して幸せになれるのか悩んだよ。でもいい答えや結果は浮かばなかった。 それでも顔を見たら会いたくなった。それだけなんだ」 男はベッドから降り、好美の前でかがんだ。 「すまなかった。本当に」 男が好美を抱きしめると、好美は静かに泣いて男の背に手を回した。 男と好美は手をつないで道を歩いていた。好美の片腕には白いガーベラの花束が収まっている。 駅までの道はそう遠くはない。しかし二人で歩いているとすぐについてしまった。 電車に乗り、お互い近くにいるのに見ることはなく、電車の外の景色を眺めていた。 手からだけ伝わる相手の体温。まるで学生の時のような時間。 出会いがあんな形でなければ、もっと早くこうやって一緒に電車に乗れたのだろう。 好美の降りる最寄り駅につき、改札に近づくと好美の手が離れた。 あったものがなくなり物悲しくなる。 「ありがとう」 好美はそれだけ言うと改札を出ていった。 そこには希望がいて、男の存在は空気のようになったのを感じた。 希望の存在は、好美の希望そのもの。 男は頭がくらくらして立っているのがやっとだった。あの中に入ることは一生ないのだろう。 どんなに愛しくても…… 白いガーベラの花言葉は、希望。

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