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2 懐の猫②

 スナックからの帰り道、俺の心はまだ決まらない。玄関のドアを開けた時のことを思い浮かべる。成瀬にいてほしいのか、いてほしくないのか。いたらいたで、なんでいるんだよって思うと思う。家主のいない家で何をしてるんだよと。でもいなかったらいなかったで、なんでいないんだって思うだろう。どこへ行っちまったんだよと。    お前にとって俺ってどういう存在なの。なんでうちに来るの。俺じゃなくてもいいの。俺じゃなくても、温かな食事とベッドを与えてくれるやつなら誰でもいいの。俺よりも都合のいい飼い主が現れたら、お前は簡単に乗り換えてしまいそうだ。    こんなことなら、試すようなことをするんじゃなかった。試されてるのはむしろ俺の方じゃないか。こんなに悩むなんて、成瀬のことで頭がいっぱいになるなんて、全然予想してなかった。こんなの想定外だ。もっと軽い気持ちで始めたことだったのに。    アパートに辿り着く。俺の部屋は一階の角部屋だ。外から見るに灯りはついていない。やっぱりいないのか、と安堵だか落胆だかわからない溜め息を吐き、鍵を回した。   「……先生?」    いた。成瀬は来ていた。玄関入ってすぐの段差にサンダルを履いたまま腰掛けてこちらを見上げる。なんでいるんだよと俺が言う前に成瀬が口を開く。   「捨てられたかと思った」    立ち上がり、俺に抱きつく。   「ねぇ、捨てないでよ。何でもするから」    そう言ってキスしようとするので、掌で口を押さえて宥める。   「捨てるとか捨てないとかそういう問題じゃねぇだろ。そう盛るな」 「でも、おれが悪い子だからいつまでも帰ってこなかったんでしょう? ごめんなさい。今夜は酷くしていいですから、だから許して。怒らないで」    何か様子が変だ。言っていることも支離滅裂だし。そう思って電気をつけて気づいた。空き缶が二、三本、床に転がっている。大切に取って置いた俺のレモンチューハイが! つい大声を上げた。成瀬は怯えたように縮こまる。   「お前、もしかしてこれ飲んだのかよ」 「ご、ごめんなさい。の、喉が渇いて、勝手に……空けて……ごめんなさい」 「別に怒ってねぇけどよ。ダメでしょ未成年のくせに」    参った。想定外に想定外を被せてくるパターンか。成瀬の目はすっかり据わっているし、頬も赤く上気している。ていうか一人で三本も飲んだの? 急性アルコール中毒にならなくてひとまずよかった。   「お前もう寝ろよ。この酔っ払い」    成瀬を抱き上げて運び、布団に寝かせた。しかし成瀬は逆らって起き上がろうとする。   「せんせ、ごめん、ごめんなさい、嫌いにならないで」 「ならないから。大人しく寝ろ」 「ほんとう? じゃあ抱いて。エッチして」 「それは無理だ」 「なんでぇ。だっておれ、そうじゃないと、おれ……」    成瀬はおもむろに半ズボンを脱ぐ。パンツも膝まで脱いで、四つ這いになって尻の合間に指を這わす。白い尻がふりふりと揺れて男を惑わす。   「馬鹿、何やってんだよ」    怒鳴りつけて服を着させようとするが、成瀬は頑なだ。涙を溜めて恨めしげに俺を見る。   「なんでしないの? おれのことどう思ってるの? そんなに嫌い?」 「別に、嫌いとかじゃ」 「じゃあ抱いてよ。嫌いじゃないならこういうことできるでしょ。大人の男の人はみんなこういうのが好きだって、こうしたらみんなおれのこと好きになるって、みんなそう言ってたんだ。先生もおれのこと好きになってよ」    みんなって誰だよ。俺は違う。そういうんじゃない。成瀬のことは大切だけど、それはあくまで一教師としてであって、こういうことをしたいわけじゃない。大切なら尚更、こういうことはするべきじゃないはずだ。    でもこのまま放置するのもかわいそうかもしれない。理由はわからないが泣いているし。半裸で泣いている十五歳の少年を放置してシャワーを浴びるなんて、鬼畜の所業ではないのか。元々酔っていたせいもあって頭が回らない。    気づくと俺は、成瀬の肌に触れていた。熱い。火傷してしまいそうなほど熱い。そしてしなやかで、滑らかだ。これが若さか。   「せ……するの?」    成瀬は振り向いて期待の眼差しを向ける。だが俺はぴしゃりと跳ね除ける。   「しねぇ。絶対に」 「じゃあ……あっ」    後ろの孔に指を入れた。柔らかい。濡れている。   「お前が満足するまで付き合ってやるだけだ。絶対に、最後まではしない」 「あ、あっ、せんせぇ……」    触れてわかった。ここは男を知っている。大分使い込まれている。いい孔として機能するように作り替えられている。一体誰に、などと難しい話を考えている余裕はない。   「どこがいいの? わかんねぇから、教えろよ」    男とするのなんて初めて。アナルプレイがそもそも初めてだ。勝手がわからない。   「もっと、浅いとこ……入口の方……」 「ここは出口だろ」 「ぅあ、も、もっと、前……っ、じゃなくて、下……」 「どこだよ。ちゃんと言ってくれないとマジでわかんねぇ」    中を右往左往しているうち、ある一点を指先が掠めた。ビクッと成瀬の腰が跳ねる。   「ここ? ここがいいの?」 「うん、んっ、そこ、ぐいぐいして、強くして」    全く、傍迷惑な酔っ払いだ。俺もこいつも甚だしく酔っている。だからこんなことになった。俺は心を無にして、流れ作業的に成瀬の要求に応える。    こいつは俺のお袋と同じだ。精神のバランスが崩れるとすぐに男を求める。体を重ねて一刻の快楽に身を委ねれば全てが許されると信じている。そういう宗教なのだ。セックスに救いを求めている。憐れだ。そんなもの、幻に過ぎないのに。だけどそれで本人が救われるのなら、俺は構わない。だから俺は、お袋のためだったら何だって――   「いやっ、お父さん!」    成瀬が何か口走った。俺は手を止める。   「ん、な、やめないで」 「だって今」 「やじゃない、やじゃないから、つづきして」    仕方ないからそうする。同じ箇所をしつこく擦る。イイのかイヤなのかわからない。成瀬は涙を零して喘ぐ。   「い、いや、やぁっ、おとうさぁん」 「俺はお前の親父じゃねぇ。先生だ」 「せん、せい……?」    虚ろな瞳に俺を映せ。四つ這いの状態から仰向けに倒し、顔を覗き込んだ。   「お父さんはこんな酷いことしない。俺は先生だ。七海先生。言ってみろ」 「な、なみ、せんせい……ひ、ひどくなんかないよ……おれ、好きだよ、こういうの……ほんとうに、好きなんだよ」 「そうかよ」    本当に好きなら嫌とか言うな。涙も流すな。もっと気持ちよさそうにしろよ。どうしてそんな風に、苦しそうな顔しかできないんだよ。   「おと、さん、おれ、おれもう」 「お父さんじゃねぇ。先生だ」 「せんせ、いく、いきます、もっとして、そこ、ずっと、しててぇッ」    成瀬は俺にしがみつき、達した。達したらしかった。らしいというのは、男の象徴は萎んだままで、何も出なかったからだ。しかし後ろの孔が女陰のように激しくうねったので、これはどうやら達したらしいとわかった。出さなくても絶頂できるらしい。   「どう。落ち着いた? 満足か?」    指を抜くと透明の糸が引く。始めは人差し指だけだったのに、いつの間にか中指も入っていた。強い力で愛撫してしまったが、痛がる様子は微塵もなかったなと今更思う。女相手に同じことをしたら絶対に怒られる。   「せん、せぇ……いれてぇ?」 「しねぇって言っただろ。もう寝ろよ」 「やだ、こんな、半端なまんまじゃ……」    ヒクつく蕾を開いて見せつける。充血した媚肉が覗く。思わず喉が鳴るが、俺の決意も固い。いくら懇願されても、最後までは絶対にしない。最初に決めたことだ。大人として、越えてはいけない最終ラインは一応弁えているつもりだ。もう手遅れかもしれないが。   「じゃあもう一回してやる。次イッたら終わりだ。いいな?」    ずぷずぷと、抜いたばかりの指を再度埋め込む。成瀬は男とは思えないほど大きく股を開いて俺の指を受け入れる。   「そ、んなの、たりないっ、もっと太いの……」 「わがまま言うな。どうせここ弄ったらすぐイクんだろ」    実際、成瀬はすぐに達しそうになった。直腸内の性感帯が余程気持ちいいらしい。手慰みに、萎えたまんまの性器を触ってやろうとすると、めちゃくちゃ嫌がられた。どうせ気持ちよくないし勃たないから、何もしなくていいと言う。   「おと……せんせぇ、おれもうっ……またいく、いきそ、です」 「うん」 「せんせのゆび、かたくって、おれのおしり、きゅんきゅん、して、きもちくって、」 「感想とかいいから。イクなら早くイけよ」    成瀬は激しく身悶え、また出さずに達した。余韻で全身がピクピクと痙攣する。指を抜くと肉襞がねっとり吸い付いてくる。   「どう。今度こそ満足?」    ティッシュで拭いながら尋ねると、掠れた声が返ってくる。   「やぁ……もっと、して……いれて……」    またかよ。とんだ業突く張りだ。   「挿れるのはなしだ。お前、これ以上やってどうすんだよ。ケツ擦り切れちまうぞ」 「いい、こわれていい……痛くしていいから」    救いようのない馬鹿野郎だ。俺もお前も。   「じゃあまた指でしてやる。嫌になったらちゃんと言うんだぞ」    いつしか夜は明けていたが、窓の外が白んでいることには誰も気づかなかった。  その後、指がふやけるまでやってようやく成瀬が力尽きて眠ったので、俺もようやくシャワーを浴びて眠ることができた。    *    腹の上で動く影がある。啓ちゃん、と呼ぶ声がする。懐かしい匂い。お袋か? 濡れ羽色の髪も、シルエットもよく似ている。ああ、なんだか下半身が涼しい……   「おかぁさん……」    そう呟いた自分の声で目が覚めた。お母さんなんてどこにもいない。   「起きたか? 先生」    続けて聞こえてきたのは、小憎たらしい子供の声。成瀬がシャツを一枚羽織っただけの姿で俺の股間に跪き、口で奉仕していた。反射的に手が出る。拳で思いっ切り殴ってしまった。成瀬は頬を押さえて後方に倒れる。その隙に俺は急いで服を着る。   「ってェ」    口から鮮血を流す成瀬を見て我に返った。   「わ、悪い」 「はは、酷いじゃねぇか。昨日は甘やかしてくれたのに」    都合よく記憶が飛んでいることを期待したが、しっかり覚えているらしい。頭を抱えたくなる。   「にしても朝一番にお母さんとは、先生あんたマザコンか? マザコンの男はモテねぇんだよな」    小馬鹿にしたように笑うのでむっときた。   「お前こそ何なんだよ、昨日の取り乱しようは。なんで酒なんか飲んだんだ? 字が読めねぇほどおバカなんでしたっけ」    すると成瀬もむっと眉をしかめる。   「いいだろ、あれくらい」 「よくねぇよ。一気にいっぱい飲むと体に悪いんだぜ。背も伸びなくなるし」 「うるせぇ、どうせもう伸びねぇし」    殴った頬が赤く腫れていて、さすがに罪悪感を抱いた。   「……っていうか、あ、あんたが悪いんだろ。帰りが遅いから……」    思いがけない言葉に、えっ? と間の抜けた声を出してしまった。成瀬は真っ赤になって、怒っているのか何なのかよくわからないが、ぞんざいに服を着たかと思うといきなり立ち上がり、玄関へ駆けていく。   「え? は? 帰んの?」 「帰る! 先生のばーか! おっさん!」 「いやまだおっさんじゃ」    ガチャン、と無機質な音を立ててドアが閉まった。

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