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3 帰省②
吉永先生の家を出、十分ほど歩いて海辺に出た。数キロに及ぶ防潮林が海に臨む。砂浜はあるけど海水浴場ではない。南へ二キロも行けば漁港がある。漁港と倉庫と食品加工工場。その先は岬で、灰色の灯台が建っている。ここはそういう場所だ。俺が生まれて育った町だ。
多少生臭くとも、真夏の海は言葉も要らないくらい美しい。紺碧の空、群青の海。文句の付けようがない。太陽を浴びて波が白く煌めくのもまた良い。
成瀬は海を見たことはあるのだろうか。東京湾みたいに向こう岸が見えたり遮るものがあったりしない、だだっ広いだけの海だ。もしも見たことがないのなら、いつかここへ連れてきてやりたい。いや、人生初の海がこんなんでは申し訳ないな。どうせなら湘南の海がいいか。海水浴場もあってキラキラしてるイメージだ。湘南からなら富士山も見えるだろう。
そんなことを考えながら、海沿いの道を散歩した。太陽が鋭く照りつける。帽子を持ってきて助かった。そういえば昔、お盆を過ぎたら海に入っちゃいけません、と吉永先生に口うるさく言われたっけ。土用波と言って強い高波が来るから、沖に攫われたら二度と戻ってこられないのだ。
「啓一?」
どこからか声がした。
「こっちこっち」
キャラもののエプロンを着けた男が道路の向こう側から手を振る。防潮林を突き抜ける、鬱蒼とした小道である。
「……誰」
「オレだよ、オレ。久々すぎて忘れちまった?」
近くで顔を見て思い出した。
「もしかして菊池?」
小中とずっと同じクラスだった旧友だ。高校も同じだったので付き合い自体はかなり長かったのだが、卒業後は一度も会っていない。
「奇遇だな、こんなとこで会うなんて。噂じゃ東京に行ったって聞いたけど?」
「お前こそ何してんだよ、こんなとこで。何そのエプロン」
「ああ、これは――」
耳をつんざくようなけたたましい子供の笑い声に、菊池の声は遮られた。すぐそばに公園があって、複数人の子供が遊び回っている。公園といっても大した遊具はないが。俺も昔よくここで遊んだ。
「……お前の子?」
「はは、よせよ。うちのガキはまだ三歳だぜ」
「ガキはいるのか……」
「まぁなんだ。お前がいた施設でさ、オレ今働いてんだよね。こいつらはそこで預かってる子供ら」
菊池は元々普通の会社で働いていたが、数年前に転職したらしい。奥さんとは前の職場で出会ったとか何とか聞かされた。
「啓一は今も東京にいるんだよな。高校の先生だっけ」
「なんでそういうこと知ってんだよ」
「前の所長が時々やってきて世間話してくんだよ。子供達と遊んでくれるし、お菓子も持ってきてくれる。吉永さん、お前のことは特別に気にかけてるみたいだぞ? 昔からいる職員もお前のこと結構気にしてるみたい。まぁほら、お前って目立つし、やっぱりあの、あれだ、色々あったからさ……」
菊池が急に口籠るので、俺が代わりに言葉を繋いだ。
「お袋が自殺したから?」
「自分で言うなよ。せっかく気ぃ遣ったのに」
「気なんか遣わなくていいぜ。別に気にしてねぇし」
母親に捨てられて先立たれた子供がどんな風に成長するのか、みんな気になるのだろう。仕方のないことだ。つまらない噂話くらいしか娯楽がないのだ。
せっかくだから施設の方にも寄っていくかと菊池に誘われた。俺は少し悩んだ。吉永先生がいた頃は毎年出向いていたが、先生がいなくなってからは長らく訪ねていない。俺が住んでいた頃から働いている職員もいるから顔だけでも見せたらどうかと菊池は言う。確かに、一度会って姿を見せれば、くだらない噂話なんかしなくなるかもしれない。
コロコロと足下にボールが転がってくる。女の子がボールを追って俺のそばに来る。六歳くらいか。短いおさげ髪が揺れる。
「タクちゃんの友達?」
タクちゃん、とは菊池のことである。
「そうだよ。もう二十年くらいお友達。このお兄さんもうちの園出身でね、東京の大学に行って、今は学校の先生やってるんだって」
「先生? あたし、上野先生大好き!」
「上野先生は翔子ちゃんの担任の先生でしょ」
「せんせぇねぇ、あたしのママに似てるの。だから――」
向こうで女の子を呼ぶ声がする。いつまでもボールを持って突っ立てるんじゃない、と少し年長の女の子が怒る。菊池は子供達の元へ行って宥め始めた。
「あれ、啓一もう帰るの」
「ああ。邪魔したな」
「園に寄ってかねーの?」
「悪ぃ。猫を待たせてるから」
「猫なんか飼ってんのかよぉ」
菊池はまだ何か喋っていたが、俺は最寄りのバス停まで急いだ。さっきの女の子の舌足らずな“先生”がなんだかあいつを彷彿とさせて、じっとしていられなくなった。
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