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8 邂逅③
毎日少しずつ、悠月は自分の荷物を俺の部屋に運び込んだ。特別収納の多い部屋ではないので、物が増えた分いらない物は処分した。着ない服、読まない本、遊ばないゲームソフトなどだ。
大家さんにも一応話をつけた。あまりいい顔はされなかったが、早朝から並んで買って持っていった手土産のおかげか、許可が下りた。諸々の公的手続きも済ませ、あとは悠月の両親に挨拶をするだけである。
「親にはおれから言っておくから、先生は何もしなくていい」
悠月はそう言ったが、さすがに何もしないわけにはいかない。けじめとして正当な手順を踏んでから同棲したい。俺は一応こいつの兄で、こいつの通う学校の教師でもあるわけだから、俺がこいつを引き取ることにはある程度妥当性があると思う。その上家庭環境がうまくいっていないし、悠月も俺と住むことを望んでいる。だから自信を持って挨拶に行こう。
巨大な白亜の邸宅を訪れるのは二回目だ。春先の淡い光に包まれて、白亜の城は一際眩しい。ロボットみたいな家政婦は相変わらずであったが、前回と違ってアポを取って訪問しているので、あっさりと応接間へ案内してくれた。悠月の母親と初めて顔を合わせる。俺を見るや否や、無遠慮な高笑いを響かせる。俺は少し引いた。
「おほほ、ごめんなさいね。だってあまりにもよくできた偶然だったものですから。偶然というよりもむしろ、運命という方がふさわしいんじゃございません?」
「あの、お父様はどちらに……?」
「主人は今留守にしています。忙しい人なんです」
四十半ばとは思えないくらい若々しい母親だ。目立つ皺も白髪もない。服装は派手で化粧も濃く、洒落たアクセサリーを身に着け、毛足の長い白猫を膝に抱いている。
「息子から話は聞いてますよ。七海先生……七海っていうのは、あなたのお母様の名字なのかしら。あなた、私が昔付き合っていた男が別の女に産ませた子ですってね。本当ですの?」
身も蓋もない言い方だと思ったが、その通りである。
「ええ。父の葬式で偶然悠月くんにお会いして」
「それで、一緒に暮らしたいと」
「はい。悠月くんにも、色々事情があるみたいですからね」
色々、というのは家庭の事情である。義理の家族とは折り合いが悪いようだし、何よりこの母親だ。役立たずはいらないからと、雪の舞い散る寒空の下へ悠月を追い出した張本人だろう。いらないなら譲ってほしい。大切にするから。
「いいですよ。差し上げます」
想定内ではあるが、いやにあっさりしている。
「いいんですよ。あの子は元々あなたのものですもの。だってあなた、あの子の“お兄様”なんですものね。本当、そっくりですわ。眉と口元が特にね。家族水入らずで良いじゃありませんか。邪魔をしようなんて思いやしませんよ」
女はおもむろに立ち上がり、抱いていた猫を床に放った。猫は困惑したようにカーペットの上をうろうろする。
「私ねぇ、あの子をずうっと大事に育ててきたんですよ。そりゃあもう大事に大事に、宝物のようにね。何度か結婚しましたけれど、夫は皆あの子をかわいがってくれましたよ。でも今は事情が違うんです。あの子より、主人の方が大事なんです。なのに私達の邪魔ばかりしようとするものだから……」
グラスの割れる音、家政婦の微かな悲鳴、さっき応接間を出て行った猫の鳴き声がリビングから聞こえてくる。
「あらあら、騒がしくてごめんなさいね。いくら血統書付きの猫ちゃんでも、躾はちゃんとしないといけませんわね。それで……ですから、先生が預かってくださるのなら安心ですわ。何しろ“お兄様”ですもの。本物の家族は違いますものね」
長い無駄話は済んだ。
帰り際、先ほどの白猫が足元へすり寄ってきた。ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくる。女はそれを引き剥がすようにして持ち上げ、抱きかかえた。
「そういえば、犬も飼ってらっしゃいましたよね?」
「ワンちゃんは主人ので、猫ちゃんは私のペットなんです。かわいいでしょう」
「はぁ」
「それじゃあ、あの子のことよろしくお願いしますね、先生。いえ、“お兄様”」
お兄様、の言い方がいちいち意味深長で気になったが、真意を知ることはできなかった。
それから正式に同棲が始まり、悠月は無事進級して二年生になった。
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