33 / 41

12 文化祭①

 夏休みが明けてから、悠月の帰宅が毎日遅い。放課後に待ち合わせて一緒に帰るのが常であったのに、最近は別々に下校している。その上、悠月の方が大分帰宅時刻が遅い。どこへ行っているのか、何をしているのかと問うてもはぐらかされる。    今日も、土曜日にも関わらずどこかへ出かけてくると言う。友達に会うだけだと言うが、どうも嘘っぽい。もしや浮気か、怪しげなバイトでもしているのかと痺れを切らした俺は、こっそりと悠月の跡をつけてみることにした。    最初にバスに乗ってターミナル駅へ向かう。俺も同じバスに乗ったが、わざわざ着替えて帽子を被りマスクも着けてきた甲斐あって、尾行には気づかれなかった。そもそも悠月はイヤホンをつけて熱心にスマホ画面を見ており、周囲に注意を払っていない。    バスを降りて駅前の広場でうろうろしていると、何やら見知らぬ男が悠月に親しげに話しかける。黒縁眼鏡を掛けたその男のことを悠月もよく知っているらしく、何やら楽しそうに語らいつつ歩き始める。    駅前の大通りから移動し、狭い路地に入る。狭い路地からさらに細い裏路地へ入り、ごちゃごちゃと戸外にゴミ袋が積まれた雑居ビルの間を進む。空は眩しいくらい明るいのにどうしてこの空間だけ妖しいくらい薄暗いのだろうと苛立ちつつ、見つからないようにこそこそと跡をつけていく。   「ここだ」    狭苦しい上に汚らしい雑居ビルの前で、さらに二人の男が待っていた。一人は帽子を斜めに被ってチューインガムを膨らませ、もう一人は黒いマスクを着けていやに長い前髪を鬱陶しそうに払っている。そして二人とも馬鹿みたいに大きな荷物を背負っている。   「九条くん、こういうの初めて? 緊張してる?」 「全然、大丈夫です」 「別に怖いこととかないから。いつも通りやればいい」 「はい」 「九条は場所が変わったくらいでビビるような腑抜けじゃありませんよ。練習だっていっぱいしたんだし、な?」 「まぁそうだけど、初めてって緊張するじゃん。家でするのと勝手が違うからさ」 「でも声抑えなくていいから、逆に乗れるかも」    まさかとは思うが、この三人全員狼か? 悠月を狙ってるのか。3Pならぬ4Pか。俺という者がありながら許されるだろうか、いや許せない。    歯軋りをしながら殺意すら滲ませて見張っていたせいか、黒縁眼鏡が俺の存在に気づいた。俺と目が合うと、ヒェッと小さく悲鳴を上げて縮み上がる。俺が身を潜めていた電柱を指差し、悠月の腕を引く。おい、その汚い手で悠月に触れるな。今すぐその手を放せ。   「先生?」    最早こそこそ隠れる理由もない。俺はマスクを外し、帽子も脱ぎ、大股でずかずかと悠月に迫った。悠月は丸い目を大きく見開く。   「先生、なんでこんなとこ……」 「お前こそこんなとこでこそこそ何やってんだよ。こいつらと、俺に言えないことやってたんだろ」 「はぁ? そんなんじゃね……ないですよ」 「じゃあ何なんだよ、言ってみろ。言えねぇから嘘吐いてたんだろ」 「別に悪いことなんて一つもやってない」 「悪いことだろうが。俺に黙ってこんな怪しいとこうろちょろして」    俺と悠月が言い争っていると、キャップ斜め被りの男がいきなり大声を上げた。すいません、と叫んで深々と頭を下げる。俺は呆気に取られる。   「時間外にバンド練習しようとして、ほんとすいませんでした!」 「へ……バンド?」    俺はつい間抜けな声を出した。なんだか、思っていた展開とまるで違う。バンドって何のことだ。   「文化祭だからって勉強を疎かにすんなっつー、先生方の言いたいこともわかります。でもこれが最後なんです、オレ達。だから今回だけは見逃してください!」    黒マスクの男も頭を下げる。よくよく見れば、背中に背負っていたのはただの荷物でなく、ギターケースだ。ギターの形をしてるやつ。街中でごくたまに見かけるやつ。   「バンド……ギター……文化祭……文化祭?」    独りでぶつぶつ呟く俺を悠月は渋い顔で見つめた後、やれやれといった具合に口を開いた。   「先生ぇ、何勘違いしたか知らないけど、おれはただ同じ学校の先輩達とバンド練習しようとしてただけなんですよ。怒られることですか」 「てかお前、さっきからなんで敬語……」 「だから先輩なんだって。先生、本当に見覚えない? あっちの佐々野くんとか、去年受け持ってただろ」    悠月はひそひそと俺に耳打ちをする。佐々野、ってのは黒縁眼鏡のことだ。長身だがひょろっとした男だ。   「佐々野くん……?」    言われてみれば見覚えがある。ありまくりだ。確かに去年、何組だったか忘れたが、一年間古典の授業を教えていた。よくよく見ると、残りの二人は三年の生徒だ。本当にうっすらとだが記憶にある。   「あー……ごめんな。なんか勘違いしてたわ。バンド練習? いいよいいよ、大いにがんばりなさい。最後なんだからね、うん」 「ほんとっすか! ありがとうございます!」    斜めキャップも黒マスクも顔を上げて喜ぶ。ただ一人、黒縁眼鏡の佐々野くんだけが訝しげに俺を睨む。   「七海先生……もしかして、ずっと尾けてました? どうしてすぐに出てこないで、電柱の陰なんかに隠れて監視してたんですか」    斜めキャップの三年生が止めようとするが、佐々野くんは俺への追求をやめない。   「最初、オレ達のこと生徒だってわかってなかったでしょう。九条への接し方も変だし、九条も七海先生への接し方が変だ」 「それはオレも思った。七海先生テキトーなことで有名だし、わざわざ追いかけてくるとか怪しすぎかも」    黒マスクの三年生が参戦するが、斜めキャップの三年生がさらに割って入る。どうやらリーダーはこいつらしい。   「もー、細けぇことはいいじゃんかよぉ。それより早くスタジオ入って練習しようぜ。先生も見逃してくれるって言ってんだしさァ」    ほらほら、と背中を押して、雑居ビルに入っていった。狭苦しい上に汚らしいなんて思ってしまって申し訳ない。ここはただの音楽スタジオだ。悠月もビルに入っていく。最後振り向きざまに、べっと舌を出して中指を立てた。

ともだちにシェアしよう!