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1day・fry 3/12

「相談あるんで時間いただけませんか?」  営業のホープ桐生から、そう声をかけられたのは3日ほど前。その後すぐに予約取りましたと店の地図と日時のメールが届いた。指定された場所は中目黒の居酒屋。牡蠣専門の雰囲気のよい店だった。暖色系の明かりが下から灯る黒を基調にした暗めの店内。個室の壁は厚く、落ち着いた雰囲気で内密の相談には向いているようだった。  桐生(きりゅう) (しょう)は入社2年目のまだ新人だが、彼が関わったプロジェクトは入社依頼一つも頓挫していないという伝説を更新中で天性の営業スキルがある男だと聞いている。他の社員はこぞって彼と組みたがっている人気者だ。  自分のいるシステム開発部にもよく取引先からもらったという菓子やサンプル品などを差し入れに来ているから知ってはいるが、その程度だ。そんな関係薄の直属の上司でもない自分に一体何を相談する事があるのだろう……?  彼を待たず、始めた酒を口にしながら考えを巡らせる。  逆に違う部署だから相談しやすいという事だろうか……もしかして転職とか?  それはマズイな……。  大事な営業のホープ君を自分の適当なアドバイスで手放す事にでもなったらあの専務にどんな嫌味を言われるか……先に社長や専務に相談すべきだっただろうか……今からでも連絡してみるか……。 「遅れてすみません~~」  そう思いついた時、覚えのある声が聞こえた。  間に合わなかったか……掴んだ携帯をカバンに戻す。 「お待たせしました! これお詫びです」  ブランドの小さな紙袋が目の前にぶら下がっている。中には香水が入っていた。 「すげーーな」  思わず声が出てしまった。この営業野郎……というか、たらし怖えーー会社に行っても、開発部からほぼ外に出ることはない引きこもりの自分には、考えもつかない人たらし技術だ。完全に人種が違う。 「え、何がです?」 「ちょっと遅刻した位で、こんなのいらないよ」 「もらってくださいよ~~今日の相談代です。この香り先輩にぴったりだと思うんですよね~~」  ……男に香水とか、ぴったりだろうとか、訳がわからん!  しかし結局受け取ってしまった。 「あ、燗なんですね~渋い! 俺も同じのお願いしよーー」  桐生は空いたトックリを持ち上げてヒラヒラしながら自分の注文をとった。  嫌味な感じは一切ない。店員への対応も柔らかくて、相手も良く受け取っていることがわかる。けれどなんだろう.……この違和感。 全てが彼の手の上で動いているようなこの感覚。 これが天才営業君の資質なのだろうか.……。  自分の周りに今までにいなかったタイプの人間だから?  苦手意識のせいか? なんだかザワザワする。 「……で相談ってなんだよ?」 「まぁ、もうちょっとしたらでいいですか? 美味しい物食べてお酒飲んでからにしましょうよ」 「まぁそうだな……」  わざわざ先輩を社外に呼び出しての相談だ。余程のことなのかもしれない。性急すぎたか、しかし、ますます転職の事なのでは? と気があせる。 「転職の相談ではないですよ」  ご……ごほっ!!  見透かしたかのような答えに思わず喉元のアヒージョが詰まりそうになった。 「あ、すみません! これ使ってください」  良い香りのするタオルハンカチが目の前に差し出された。 (だからこえーって言ってんだよ!) 「だ……大丈夫だから!」  それを押し戻して、そばにあったおしぼりで口元を拭う。 「ここの料理美味しいんですよ。先輩牡蠣が好きって聞いてたんで絶対紹介したかったんです。俺の好きなものも、ちょっと注文しちゃいますね」  蒸し牡蠣の燻製とウニと牡蠣の醤油麹漬け。牡蠣とワインの専門店で急遽、日本酒にも合うメニューをチョイスって感じか。  意識的にやってるのか、無意識なのか。どちらにしても相手ファーストがとことん身についている。  24歳で出来すぎだろう。なんか可哀想な気持ちにすらなる。  顔を見るとじっ……と見返される。  唇は動かなかったが……。 「同情ですか?」  ……と言われた気がした。  だめだ! 考えても何も思いつかないし、何もかも見透かされそうで考えない方がいい気がする。転職の相談ではないらしいし、とりあえず、食べて飲もう!  肩の荷がちょっと降りると、好物の牡蠣が途端に美味そうに見えてきた。ほんの少しだけ熱の入った蒸し牡蠣を口に入れると香ばしい燻製の香りが鼻に抜け、ぷりっとした身は少し噛んだだけで口の中で弾けて汁が溢れてきた。ジューシーで美味い!  少し濁った温い日本酒で流し込むと最高な気分になる。ここのところ新しい企画で詰めていて大した飯を食べていなかったから、久しぶりの美味い飯と美味い酒だ。  桐生は目の前でニコニコしている。相談の内容は気にはなるが、とりあえず言い出すまでと、せっかくの料理と酒を堪能しようと開き直り箸をすすめた。  食事を取りながら桐生は当たり障りのない会話をしてきた。興味がないとも思わせず、深く探るわけでもない。心地よく貴方に関心がありますよ。という内容。  もちろん嫌な訳はない。けれどやっぱり違和感が拭えない。色々謎すぎる……。 「さて。相談なんですが…」  すっかり酔いがまわった頃。やっと桐生が本題を口にした。酔ってはいてもこれだけは真剣に聞かなくては! 曲がっていた背を正し桐生に顔を向ける。 「2年間俺と付き合いませんか?」 (……? は……??)  言いながら桐生は偉く楽しそうな顔をしている。 「俺ね。誰がどの位自分に好意があるか解るんですよね。今までもずっと一番自分を好きでいてくれる人と付き合ってきました。もちろん女性ですけどね。先輩男性だからちょっと迷ったんですけど、でも深森さん今まででダントツで俺のこと好きなんですよね……」  こいつ今、日本語喋ってる? 酔ってるせいなのかな? 言ってることが全く理解できない。多分、呆然と間抜けづらを晒している自分を全く気にする様子もなく桐生は話を進める。 「だからあなたと付き合ってみたい。だけど同性だし、ずっと続けるのは難しいと思う。結婚も一回くらいしてみたいし。深森さんもそうでしょう? だから2年くらいがちょうどいいんじゃないかなって思うんです」  ……俺がお前のことが大好きだから2年だけ付き合ってやるよって言われてる気がするんだけど、俺の解釈、間違ってる?  ゆとりを超えて第何世代とかいうやつだろうか?  ちょっとスピリチュアル入ってるっぽいのも、またコワイ。  ……なんてグルグル考えている間に彼の綺麗な顔が近づいていた。  右手をぐっと掴まれる。  悪酔いなの~~?  泣き上戸とか笑い上戸とかの特殊なパターンなの~~?? 「酔ってないですよ?」  まただよ……この、超能力的なやつ。 「深森さん綺麗な顔してますね。清潔だし、俺大丈夫な気がする」  何を?  何が大丈夫?  さっきからの色々の全てを処理しきれないうちに気がついたら、生まれて初めて男とキスしていた……。

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