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第22話「電話の相手」
返信もなく、電話も来ない。
(やっぱダメか)
自殺に向けての中途半端な意志だけが残った。
しばらく閉じていた目を開けて見つめた先の世界は、やはり明るく輝いている。
(どうしようかな、自殺)
はあ、と深くため息が漏れ、細めた視界の先に夜空と夜景の境が見えた。
プルルルルル
「うわッ!?」
突然鳴り響いた音に危うく40階下の地面に携帯電話を落としかけ、芽依は慌てて機体をギュッと強く握る。
「あっぶな、やば」
驚いたせいと来ないと思っていた電話のコール音に、彼の心臓が壊れそうな程にドキドキしている。
耳の後ろの血管も、首の太い血管もドックドックとうるさい。
軽く冷や汗をかいた彼が鳴り響く携帯電話を恐る恐る見ると、画面には知らない番号が浮かんでいた。
(雨宮さんだ、、本当に掛けてきてくれた、、雨宮さんなんだ)
感動と恐怖が胸に立ち込めて、泣きそうで吐きそうでよく分からない。
初めて出来た彼女が明らかに自分に飽きた態度を見せ始めた頃、前触れもなく突然電話を掛けてきた、あのときの歓喜と多分フラれるんだなと言う予想でぐちゃぐちゃになったときに似ている。
6回目のコールが終わると言う頃に、芽依はやっとカタカタと震える指で通話ボタンを押した。
「、、、もしもし?」
ドラマの役に初めて応募したときのオーディションより、ジェンと初めて挑んだコンサートより、記憶の中のどのシーンよりも今、芽依は緊張している。
深呼吸をして夜の空気を肺に溜め、意を決して囁いたが、答えは返って来なかった。
(あ、あれ?)
「もしもし?、雨宮さん、ですか?」
声まで微かに震えている。
情けなくて仕方がなかった。
《、、はい、雨宮です》
「っ、!」
低く威嚇したような、冷たい声が聞こえた。
当然だ。
雨宮からしてみれば、芽依の存在なんてものは気に障るもの以外何でもないだろう。
電話の向こうの声は不機嫌で、芽依が期待しているような話しが出来そうな隙は少しもなかった。
《あなたのお話を聞く気はありません。言いたいこと言ったら切ります》
「ッぇ、」
今更に気が付いた事がある。
顔を合わせるまでの雨宮はあくまでMEIを恋人にしたいと願っていた男で、無論、口説く相手ならばと優しく丁寧に接してくれていたのだ。
しかし今の彼は芽依へ苦情と説教をしようと言う大人で、メッセージをやり取りしていたときには見せる事のなかったある種の「社会人」の面で向かってきている。
それは機械的であり、冷めた感情しかない人間だった。
「待って下さい、少しだけ俺、、私の。私の話を聞いて下さい!」
彼は芽依が思っていたよりも大人で、賢く、恐ろしくしっかりとした歳上の社会人だったのだ。
《貴方の何の話しを?何を話す事があるんですか?いい加減にしていただけませんか》
ドスの効いた声が、耳に押し当てた携帯電話から聞こえてくる。
《君がどんな人か、何がしたくてこう言う事してるのかに興味はない。私のように必死に結婚相手を探している人間が滑稽だったのかもしれない。若い人から見たらそうだろうとも思う。でも君には関係ないよね。私が君に何かした?》
冷たく響く声が何を意図して何を言っているのか。
芽依は言葉を聞きながら必死に考えたが、やはり胸が苦しく、頭の中に出てくる答えなんてものはなく、ただ雨宮を傷付けてきた記憶ばかりが走馬灯のように目の前を流れて行った。
《君の家族でも殺した?君の親戚に嫌がらせでもしましたか?してないよな?》
していない。
雨宮の心を殺したのも、雨宮にずっと嫌がらせをしていたのも騙していたのも、芽依自身だ。
《もう金輪際関わらないで下さい》
分かってる。
この電話が終わったら死ぬのだから、その言葉だけは守る事ができる。
携帯電話を持ちながら、芽依の身体はガタガタと震えて止まらない。
(人を傷付けるって、こう言う事なんだ)
雨宮の敵意や嫌悪感に気圧されている。
人を傷付けると言うのは、あまりにも簡単な行為だ。
けれどあまりにも愚かで、重い罪だった。
《私は君のような人が嫌いです。一生関わりたくない。それじゃ、》
「ッ、待ってくれ!!」
思考がまとまった訳ではなく、もう勢いに任せて引き止めるしかできなかった芽依は叫んだ。
必死に舌を回し、繋がらない言葉をぶちぶち千切って電話の向こうの雨宮に投げていく。
あまりにも無様な光景だった。
「あ、謝りたかったんだ!!本当に申し訳なくて、アンタが泣くって思わなくて、どうせロクな奴じゃないからからかってやろうって!!でも、アンタ良い人だったから、、俺が思ってたのと違ったから、謝りたかったんだよ!!」
それは若い彼なりの謝罪で、その咆吼だった。
「悪かった!!本当に、すみませんでした!!」
死に際だと言うのに汚らしくてみっともない。
芽依は何もかもに項垂れた。
(カッコ悪い、、最悪だ)
夜空に向かって叫んだ声は雨宮に届いたのだろうか。
電話の向こうは音がせず、雨宮も黙り込んでしまっていて、芽依は気まずくて俯いた。
バクバクと心臓がうるさく、その音ばかり頭に響いている。
夜風は火照ったように熱い彼の頬と首を撫で、落ち着かせるように吹き抜けて行った。
《、、すみません、あの、》
その声は、ずっと話していた雨宮のものだと確信する優しい声だった。
「何で、アンタが謝るの、」
《いや、、》
あと何を言えば、反省していると伝わるのだろう。
芽依は左手を額に当てて、はあ、と重く息を吐いた。
《、、た、竹内メイさん、ですか?》
「っ!」
芽依は息を飲んで目の前の夜景を見つめた。
観覧車は止まっていて、車通りはもうほとんどない。
どうしてバレたのだろう。
いや、会ったとき、本当は少しだけ自分に気が付いて欲しくてマスクを取ったのだ。
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