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第38話「やるせない日常」

「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません!!!」 「いいから急ぐぞ。口より手動かせ」 「はい!!」 着ていた筈のTシャツとネイビーのパンツを家に脱ぎ散らかして、鷹夜は平日と同じスーツ姿で、平日と同じ会社の机にはりついていた。 向かい合わせにくっついている目の前の席の油島は、彼に泣き出しそうな声で謝罪を繰り返し、ピシャリとそれを止められて下唇をグッと噛んで涙を堪えている。 午前9時26分。 オフィスには2人しかいない。 (まさかこの資料急に寄越せって言われるとは、、てかこないだの変更なしってなに!!と言うか土曜日に何してんだよ!!休日だよ!!休めよ!!会社開けんなよ!!) 朝、油島のクライアントが上司である上野に急に電話をよこし、「早急に」と突然資料を要求して来たと言う報告を受けて、鷹夜は急いで電車に乗り込み、ここに来た。 嫌な予感のする着信だとは思ったが、まさかの事態に心臓は壊れそうな程激しく動いている。 「あー、止まるな!!3D!!頑張れ!!」 要求されたのは来週の木曜日に渡す事になっていた筈の、油島が抱えているエステサロンの内装のプレゼン資料だ。 店のオープンまで時間があり、ゆっくりと進行していた筈の案件で、無論、鷹夜も後輩の油島からはどこまでどう進んでいるかの話しも聞いていたうえ、度々相談にも乗っていてしっかりと準備して進めていたものでもある。 5年目の油島ならば1人でやり切れる規模のものだったが、変更や突飛な質問、相談が多い案件ではあった。 油島だけでなく、鷹夜も警戒はしていた。 しかし先週も中頃になって急に「変更したい」と言われて、資料を作り直していたところだったのだ。 「大体、はいって返事したの上野さんだろ。お前良くやってたんだよ、何も悪くねえからな。謝んな。上司死ねって思いながら仕事しろ。そしてお前は生きろ」 「あ、ありがとうございます。昨日も、あの、奢ってもらってすみません」 「謝るなってー!!ありがとうでいいからこういうときは!!」 「はい!!すみませ、あ、あの、ありがとうございます!!」 流石にもうないだろうと思っていた矢先の今日、今度はその変更はなしにして、前に提出した案2つをもう少し落ち着いた雰囲気にして出して欲しいと言って来たらしい。 月曜日の会議で内装を決めたいから早急に資料が欲しいと言っていて、上司と言う位置にはいるものの部下の仕事をまったく把握していない上野が勢いで「はい」と答えたが為に、オープンまで余裕があっても「時間があるから後日でいいですよね?」と言うに言えなくなった訳だ。 (余計な事しかしねえな!!) 上野と言う上司はこの施工デザイン課の課長で、元々本社だった現大阪支社から転勤になって東京本社に来た人間だ。 10年前の施工デザイン課の設立に伴い課長拝命と共に転勤になったのだが、彼女自身が曰く付きの人物で、本当は大阪で色々やり過ぎて厄介払いの為に昇進を持ち掛けて東京に島流しされてきた、と言う噂がある。 本来は現場管理をする部署にいた為、図面は読めるがデザインはできず、加えてデザインとしての設計や3Dモデルの立ち上げ等がまったくできないし、覚える気もない。 「施工デザイン課課長」とは名ばかりで、実際には会社の幹部会議や施工部(施工デザイン課と施工管理課の2つが所属する部)でいつか使う会議の資料、無駄に実施される社内アンケート等ばかり作って自分の仕事としており、正直施工デザイン課の課長としては一切機能していない。 (休みの日にあの人の顔思い出すと吐きそうになるな) やたらペラペラ喋る人間で、クライアントとの会議のときに必ず付いてきて世間話や相手方の会社の業績を褒めまくり、向こうを案件にノリノリにさせてくれる役目だけはしっかりと果たしてくれる。 だが、それ以外はいてもあまり意味がなかった。 クライアントが連絡を取り合っていた油島ではなく突然上野に電話をしてきたあたり、何も分からず二つ返事に「わかりましたやります」と言ってくれるだろうとバレていたに違いない。 ちなみに、上野から油島に電話が来た際、会社の鍵を持っていて家族がおらず、予定もなさそうで、尚且つ油島の面倒を見るべきなのは鷹夜だと言って、呼び出して2人で今日中に仕事を終わらせろと言って来たそうだ。 (予定あるんですけど!!) 奥歯を噛み締めながら激しく手を動かし、鷹夜は油島がデザインした内装の3Dを「落ち着いた」雰囲気に変えていく。 主に色味を。 油島が直している案と合わせてどちらか一方を選んでもらい、そこからまた話しを詰めていけばいい。 今回の提出はあくまで方向性を決める大雑把なもので多少は雑でも構わないと、彼はもの凄い速さでサンプルから色を決めた。 同時進行で今田のパソコンも起動して、彼の机に置いたインテリアのカタログをめくり、油島とクライアントの意図に合いそうなものを選んでいき、油島のデータに直ぐに放り込めるように3Dを形作っている。 合わない家具も全て、「落ち着いた雰囲気」のものに変えて行くのだ。 (これ今日中に終わるのか、、軽くした筈なのに3Dデータが重過ぎる。ワンカット作るのに1時間て何でだ?油島が何か重いデータ入れたのか?) パソコンの動きが悪く、データを保存するまでにやたらと時間が掛かっている。 (やべーな、、本当にやばい。午前中で終わる量じゃない) 背中を嫌な汗が流れて行った。 (、、ダメだな。連絡しとこう) 鷹夜は携帯電話をジャケットのポケットから取り出し、後ろに誰もいないかと確認せずにLOOK/LOVEを開いた。

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